久保 亨(信州大学 人文学部)
表1 中冊の統計表
表2 地域別工場数・生産額
表3 産業別工場数・生産額
表6 金属製品
表7 製粉業
表8 製革業
表12 東北地域の工場生産額
表13 規模・地域別生産額
表14 産業別生産額の比較
われわれの主な関心は、近現代中国経済の発展過程の総合的な把握をめざし、とくに民国期中国(1912−1949年)における工業部門の生産規模とその構造を明らかにするために必要な基礎作業を進めることにある。
従来の研究史を振り返る時の一つの大きな問題は、民国期の中国経済が到達していた発展段階について、正当な評価が下されてこなかったことである。近代工業部門の発展に対しても、それを過小に評価する傾向が強かった。むろん民国期の中国経済の発展を評価しようとする試みが全くなかったわけではない。すでに1960年代にジョン・K.チャン(章長基)は近代工業部門の生産指数を編成しようと試みているし、近年刊行された呉承明らの『中国資本主義発展史』第3巻やトーマス・ロウスキーの著作、著者の一人がまとめた『中国経済100年のあゆみ』等は、いずれも民国期中国の経済発展を再評価する叙述を含んでいる1。しかし全体としてみると、1950年代以降の人民共和国期中国の経済発展を過大に評価する傾向が強かったのとは対照的に、1940年代以前の民国期中国の経済発展に対しては、過小評価に陥る傾向が一般的であった。そして前者の過大評価傾向と後者の過小評価傾向とが、いわば相互補完的な関係にあったことも注意されなければならない。
こうした問題点が生まれた背景は、@大陸において共産党の政治支配を正当化するための経済史研究や統計作成作業が行われ、客観的な学術研究が困難にされてきたこと、A半植民地・半封建社会論をはじめとして、民国期中国経済の発展を困難視する理論が大きな影響力を持ったこと、B民国期中国の経済発展を評価するための資料が不足していたこと、などにあったと思われる。
本稿はこうした問題点を克服するため、とくに1933年の工業生産の規模と構造を明らかにする統計資料について考察を加え、それを再編成する基礎作業を進めようとするものである。まず2節で民国期の東北三省を除いた「中国内地」を対象とした工業統計とそれにもとづいた推計作業を簡単に紹介する。次いで3節では、ベンチマーク年とした1933年に限定し、推計のための基礎資料である『中国工業調査報告』およびそれにもとづいた工業生産額の各種推計作業について詳しく説明する。4節ではこの『中国工業調査報告』の結果数字の吟味を行い、その問題点を明示する。5節では4節の問題提起に基づいて『中国工業調査報告』の修正を行う。6節では、まず5節の結果に基づいて1933年における中国内地の近代工場部門の生産額の推計を行う。次いで内地・手工業部門、同・外資工場部門、東北三省(満州)・工場部門の生産額を推計する。また本推計結果と既存の推計結果との比較を行う。最後の7節では本稿のまとめと今後の課題を示す。
1.Chang (1969) 、Rawski (1989) 、許・呉 (1993) 、久保 (1995)。