4.『中国工業調査報告』の検討




本節の課題は、劉大鈞『中国工業調査報告』の中冊と下冊の数字を比較検討し、その問題点を見いだすことにある。まず二つの調査結果の違いを明らかにするために、地域別の工場数と生産額を表2に示す。

工場総数でみると、工場法対象の工場のみを対象とした中冊では2,421工場であるのに対し、30人未満の工場も含む下冊は18,721工場で、前者は後者のわずかに13%に過ぎない。地域別分布も両者では異なり、中冊では上海市だけでおよそ半数を占めたが、下冊では四川省と北平(北京)市の比重が中冊に比べて高くなる。中冊と下冊のどちらを採用するかによって、近代工業発展の地域格差に関する見方に大きな相違が生まれる。生産額については、中冊の下冊に対する比率は78.0%に達しており、規模の大きい工場の生産性が高いことを示している。

しかしいくつか不可思議な数字が見受けられる。山西省、察哈爾省、綏遠省の三つの省では、工場数は下冊の方が中冊よりも大きいのに対し、生産額では両者の関係が逆になっている。中冊の生産額の一部が下冊には含まれていない可能性があることを意味している。

表3は産業別(第2級の分類)に、工場数(F)・職工数(L)・生産額(Y)に関して中冊と下冊を比較したものである。表中の備考欄に記した○印は、三つの項目中の少なくとも一つについて、下冊の方が中冊を下回っている産業である。84産業中の約四分の一に当たる21産業でそのような現象がみられる。その内訳をみると過半の12産業では F・L・Y のすべて、4産業では Y のみあるいは LY、1産業では L のみについて、下冊の方が中冊よりも数字が小さい。したがって、下冊が中冊の一部を含まない産業が、Y に関しては少なくとも20、L については同じく17存在する。

前節で述べた調査対象工場に関する中冊と下冊の相違からわかるように、同一産業ごとに下冊の数値から中冊の数値を控除すれば、それは当該産業における職工30人未満の機械工場数を表わすはずである。表4には、産業別の全国総計値から算出した1工場当たり職工数と1職工当たり生産額である。この表から以下のことがわかる。

まず下冊マイナス中冊の1工場当たり職工数をみると、マッチ製造業や膠製造業等13産業で30人を上回っている。このことは何を意味するのだろうか。三つの可能性が考えられる。第1は、中冊編制の基礎になった「工場調査詳表」における単なる調査漏れである。しかし当該調査が周到な準備を経て慎重かつ厳格に実施された経緯に鑑みると、調査漏れを唯一の原因とするわけにはいかない。

第2にそれらは工場法の適用外であった職工30人以上規模の「手工場」であったからではないか。『中国工業調査報告』上冊の中で「分業估計表」(下冊)の調査概要に言及したところで、「今回の調査に於いては更に広義の解釈をなし、単に新式機械を使用しているもののみならず、新式原料を用いるもの、或いは製造方法や製品が外国商品を模倣しているような場合でも、すべてこれを概算表の中に加えた」と記述してある22。下冊では必ずしも機械使用工場だけが調査対象になっていたわけではない。

第3の可能性は、それらは中冊の調査時期には操業停止中であったが下冊の調査時期に操業再開された機械工場であったらしいことである。青島市を除く山東省におけるマッチ工場の事例でその可能性を検討する(表5)。中冊では1工場しかリストアップされていないが、それが下冊・福山県烟台の工場と同じであることは、資本・職工数が一致することから推定可能である。また同時にそれが昌興火柴無限公司であることも、両者の設立年次と存続期間との正確な対応および資本額の一致から推定できる。下冊の済南市3工場が具体的にどの工場であるかは特定できないが、他の県については『中国実業誌』に掲げられた工場と一致していると結論しても間違いはないだろう。興味深いことは同表の7列目の中国実業誌における各工場の操業状況の記述である。烟台の昌興火柴無限公司を除くすべての工場で、1931〜33年にかけて断続的に操業を停止していたことが備考欄に記述されている。操業停止が無かったと思われる昌興火柴無限公司のみ中冊に掲載されていることが、この第3の可能性の根拠である。

このように完全に特定化できる大規模な工場が、「工場調査詳表」(中冊)の調査対象から一つのみならず複数で漏れるとは到底信じられない。むしろ意図的に除かれたと判断する方が合理的である。すなわちそれらが工場法適用外工場、換言すれば職工30人以上であったにもかかわらず「手工場」であったか23、あるいは何らかの理由で操業停止に陥っていたからであろう。

表4に戻ろう。1職工当たり生産額については、職工規模の小さい下冊マイナス中冊の数値の方が、職工規模が大きい中冊のそれを上回る現象が、全83産業の約三分の一に相当する28産業で観察される。また各産業の単純平均値を比較しても、平均職工規模28.5人の下冊マイナス中冊の1職工当たり生産額(5,196.8元)が、同じく125.6人の中冊の3,708.6元を40%も上回っている。経済学者の通念からすれば、工場規模が大きいほど労働生産性は高くなる。しかし『中国工業調査報告』のデータからはそれとは逆の事例が少なからず観察される24

このような現象が発生した原因を探るため、表4で逆転現象が見られた産業の中から、金属製品、製粉、製革の三つの産業を事例にとり地域(市・省)別の数字を提示してより詳細に吟味してみよう。

表6は金属製品について示したものである。まず、中冊で掲げられている青島市、湖南省、河北省の工場のすべてあるいは一部が下冊に採録されていない。もちろん両調査の実施時期にラグがあり、その間実際に工場が倒産あるいは操業停止してしまった可能性を否定しないが、われわれは下冊に報告漏れがあるという解釈をしておく。第2に、上海市の場合下冊から中冊を控除して求めた1工場当たり職工数がわずか5.3人であったにもかかわらず、その職工1人当たり生産額は規模で14倍に相当する中冊のそれを若干上回るばかりでなく、中冊の全国平均値よりも高くなっている。

次に製粉業を取り上げる(表7)。この産業では、工場数をみると全17地域中9地域で中冊と下冊が一致している。しかしそれにもかかわらず、職工数と生産額の数字も一致している地域は、厳密には上海市だけであるが、生産額のみに若干の誤差がある湖南省、察哈爾省もそれに加えておく。青島市では工場数と職工数は一致しているが、生産額には23万元の格差がある。江蘇・安徽・湖北・山東・綏遠の5省は工場数は等しいものの、職工数と生産額が一致していない。特に生産額の不一致の程度が大きい。もちろん数の上で工場が同じでも、個々の工場そのものが両者の間で一致している保証はないが、やはりこの不一致は理解に苦しむ。さらに中冊と下冊の工場数が異なる地域でも奇妙な結果が現れている。浙江省では、工場数・生産額は下冊が中冊を上回るが職工数は逆である。他方河南省では、工場数・職工数は下冊が中冊より多いものの生産額は下冊が少ない。

3番目の例は製革業である(表8)。この産業の特徴は、いずれの地域でも工場数・職工数・生産額のすべてについて、下冊の方が中冊よりも同じかあるいは上回っている。問題はいくつかの地域における規模に関する職工1人当たりの生産額(生産性)の水準である。まず、上海市、広州市、湖北省では職工規模が小さい工場の方が大きい工場よりも生産性が高くなっている。特に上海市で規模半分以下の工場が生産性では逆に10倍以上になっていることは、到底信じ難い。また青島市、山東省、山西省では、下冊から中冊を控除した結果の生産性は、中冊の全国平均値(3212.2元)よりも60〜80%以上高い。

以上三つの産業について『中国工業調査報告』の結果を細かく検討してきた。それによれば、『中国工業調査報告』の利用に際しては下記の点に留意すべきであろう。

    @)いくつかの工場は、中冊では収録されながらも下冊では収録漏れになっている可能性が高い。

    A)中冊調査時に操業停止状態にあり調査対象から漏れた工場法適用工場が、下冊で捕捉されている。

    B)下冊に収録された工場法適用工場でも、その職工数あるいは生産額は中冊の数字と一致しない。特に生産額の乖離の程度が大きい。

    C)下冊の数字を用いた時に生じる規模に関する生産性の逆転現象、すなわち職工規模が小さい工場の方が大きい工場よりも1人当たり生産額が高い現象は、地域(市・省)ごとの数字を見ても確かに観察される。

ここでわれわれが採るべき途は二つある。第1は『中国工業調査報告』の調査結果を原則として信頼し、修正はたとえば製粉業における浙江省の職工数あるいは河南省の生産額のような必要最小限のものに止め、おおむねその結果数字を受け入れることである。ただしその場合は、上記C)に関してなぜ経済学者の「通念」から外れた現象が発生したか、その理由を説明しなければならい。第2の途は、経済学者の「通念」を尊重し、いくつかの前提条件をおいて『中国工業調査報告』の結果数値を大幅に修正することである。

まず第1の途から検討してみよう。ここでの問題は、規模に関する生産性の逆転現象を如何に説明するかという点に絞られる。それが発生するケースは四つ考えられる。@われわれは付加価値ベースの計算をしていないので、大規模工場が原材料を供給し小規模工場がそれを用いて完成品を製造するような場合、A小規模工場が大規模工場よりも高い品質の製品を製造する場合、B規模に関する不経済が存在する場合、C小規模工場の方が年間労働日数が長い場合、である。しかし、たとえば中国の機械工業でも日本と同様に小規模工場が部品を大規模工場に納入するケースが多かったようで25、@のような事例が一般的であったとは思われない。また、われわれの表8では小規模工場の方が生産性が高い製革業では、「大資本を有する外国系工場の競争によって大中工場共に大きな影響を受け、小工場に於いては下級製品の製造に転向して辛うじてその地位を維持するの外なきに至った」と報告されているように26、Aの事態についても想定し難い。Bについても、大規模工場ほど新たに設立されたものが多く、自由市場経済体制の下にあった民国時代に、規模の不経済が存在するにもかかわらずなぜ大規模工場を建設するのか、その理由を説明しにくい。Cの労働日数ついては、確かに小規模工場の方が若干長かったようである。たとえば北平(北京)市では、新式工場の作業時間は9〜11時間、旧式工場では10〜12時間だが、小工場では夏季12時間冬季15時間の作業を行う所もあった27。しかしこの程度の差ではこれまでに見た生産性格差を説明することはできない。たとえ『中国工業調査報告』の結果を正しいと認めても、そのことがもたらす規模に関する生産性の逆転現象の発生原因を的確に説明できない。われわれにとっては、第2の途すなわち『中国工業調査報告』の数値修正を行う方が望ましいようである。





 


22.劉(1937)上冊第3編1-2頁(大塚(1942)203頁)。





 


23.もちろん下冊マイナス中冊で職工規模が30人未満になったところでも、それらが手工場であった可能性はある。





 


24.前節で述べたように、中・下冊では生産額のカバレッジが異なる。しかしそれを考慮しても格差は非常に大きい。





 


25.劉(1937)上冊第2編13頁(大塚(1942)39頁)。





 


26.劉(1937)上冊第2編79頁(大塚(1942)126頁)。





 


27.劉(1937)上冊第3編18頁(大塚(1942)226頁)。