アジア通貨危機と均衡為替レート

 

宮川 努 (日本開発銀行) 

外谷英樹 (名古屋私立大学)

 

  1998年7月

 

* 本稿を作成するにあたって多くの方からデータの提供をいただいた。特に日本開発銀行調査部の乾友彦氏、神藤浩明氏、一橋大学経済研究所COE作業室の大瀬令子氏、粉川友子氏、玉沢美香氏、教官秘書室の松崎有紀氏、深尾研究室の森山由美子氏に深く感謝したい。また、一橋大学経済研究所、南山大学、東京大学におけるセミナー参加者からは有益なコメントを頂いたことに感謝したい。

 

      目  次

        1.はじめに:アジア通貨危機の解釈

        2.東アジア経済の発展と現状:韓国とタイを中心として

        3.均衡為替レートの考え方

        4.均衡為替レートの作成方法

        5.均衡為替レートの計測

        6.アジア通貨危機における為替レートの変動と今後の課題

        参考文献

        統計資料

            図1−1 日韓・日タイレート

            図1−2 米韓・米タイレート

            表2−1 日米韓タイの主要経済指標

            表4−1 均衡為替レート作成のためのデータ

            表5−1 技術係数が基準年で一定と仮定した日韓均衡レート

            表5−2 対日均衡為替レートの変化要因

            表5−3 技術係数が基準年で一定と仮定した日タイ均衡レート

            表5−4 技術係数が基準年で一定と仮定した米韓均衡レート

            表5−5 対米均衡為替レートの変化要因

            表5−6 技術係数が基準年で一定と仮定した米タイ均衡レート

            図5−1 日韓レート

            図5−2 日タイレート

            図5−3 米韓レート

            図5−4 米タイレート

        Abstract

 

 

 

 


 

 

1.はじめに:アジア通貨危機の解釈

 

昨年初めからの韓国やタイにおける経済不安は、7月にタイがIMFの緊急融資を要請するに至って表面化するとともに、タイ・バーツの価値は大きく減価することになった。これがいわゆるアジア通貨危機の始まりである。この通貨危機は、タイ1国にとどまらず、韓国やマレーシア、インドネシアにも飛び火し、東アジア諸国は急激な為替変動の波にあらされることとなった。こうした中で昨年末までには、韓国及びインドネシアもIMFの支援を受け、経済再建を余儀なくされた。実際に図1−1図1−2をみると、1997年から98年にかけてウオンは、円、ドルに対して50%程度、バーツは、円、ドルに対して30%程度、減価している。

 

ここ10年間の東アジア経済が、「世界の成長センター」と呼ばれるほど、良好なパフォーマンスを示していただけに、アジア通貨危機の衝撃は大きく、こうした危機を引き起こした急激な国際資本移動と為替レート変動に対し、議論がまきおこっている。例えばマレーシアのマハティール首相のように、投機的な資金の国際移動を規制すべきであるという主張がなされる一方で、ジョージ=ソロス氏のように、国際的な資金移動の規制に反対する意見もある。またG7などの国際的な会合では、こうしたグローバルな通貨危機に対し、新しい制度的枠組みを模索する動きもみえる。

今回の通貨危機を契機として、これが本当に投機的な資金移動の結果なのか、それとも東アジア諸国の実体経済を反映した結果なのかを検討しようとする動きは、数少ないが徐々に発表されている。最も注目されているのは、通貨危機が生ずる前から、Krugman (1996)が論じていた東アジア諸国の経済成長が、労働と資本という生産要素の大量投入によるもので、生産性の向上がみられず、高経済成長は長続きしないという見解である。これにしたがえば、今回の通貨危機は、実体経済の動きに合わせたものといえるであろう。また日本でも寺西(1998)が成長する中産階級への所得分配政策の一環として、為替レートを高めに誘導し実質所得を嵩上げしていた状況が、バブルの崩壊とともに顕在化したという見方が出されている。一方大野(1998)は、東アジア諸国の通貨の下落が実体経済に比して行き過ぎであるとの意見を表明している。しかしいずれの議論も、客観的な経済指標に基づいて、今回の通貨危機がどこまで実体経済を反映し、どこまで投機的なのかを示すまでには至っていない。

通貨危機をめぐる一連の議論を通して想起させられるのは、1985年9月のプラザ合意以降の急激な円高・ドル安現象である。当時円/ドル・レートは、84年末が1ドル252円であったのに対し、87年末は1ドル122円と2倍強の上昇を示した。この急激な円高が引き起こした不況は、戦後最大の円高不況と言われ、当時としては最大の5兆円にのぼる経済対策が講じられたことは、記憶に新しい。

当時も急激な為替レートの動きを、投機的な資金移動とみなす考え方が多数を占めていた。しかし、その後の吉川(1990)、(1992)の研究で明らかにされたように、1ドル150円程度の水準は、当時の日本経済の実体を反映した為替レートの水準であり、決して投機的な為替レートの変動がすべてでなかったことが示されている。後に詳しく述べるように、吉川教授は、日米の貿易財価格が一致するような為替レートを均衡為替レートと考えた。経常収支がほぼ均衡していた1975年の名目為替レートを、均衡為替レートとすると、その後はそ日米の貿易財価格の変化によって均衡為替レートが決まることになる。貿易財の価格は賃金や輸入財価格及び労動生産性、石油製品等の生産性に依存するため、結果的には、これらが均衡為替レートの動きを決めることになる。このような考え方にたてば、日本は70年代から80年代にかけて、合理化、省力化、省エネルギー化を通して貿易財価格の低下に努めてきた。こうした価格低下努力を反映して、本来は円高に方向への調整が進むはずであったが、80年代前半にレーガン政権が大幅な減税により、財政赤字を増加させたことから金利が高まり、その結果ドル資産が選考されることによってドル高・円安現象が生じた。80年代の後半の円高・ドル安は、この前半の為替レートのミス・アライメントを是正する動きとして評価するのが、吉川教授の研究の趣旨である。

しかし当時は、こうした客観的な経済指標に依存することなく、行き過ぎた円高との評価を下し、戦後最大規模の財政政策と低金利政策の継続をおこなった。こうした過度に刺激的な経済政策の結果が1980年代後半のバブルを引き起こし、現在の我々はそのバブルの後遺症と巨額の財政赤字に苦しんでいるのである。

現在のアジア通貨危機に関しても、当時の日本と同様に為替レートの急激な変動を単に投機的と評価することにより、誤った経済政策をとる可能性はないだろうか。本稿は、こうした問題意識から、吉川教授が提起した均衡為替レートの概念を、韓国ウオン、タイバーツに適用することによって、アジア通貨危機がどの程度まで実体経済を反映しているのかを検証し、この通貨危機に関する経済判断に一つの客観的経済指標を提示することを目的としている。

本稿の構成は以下のとおりである。まず次節で、韓国とタイを中心とした最近の東アジア経済の状況を簡単に解説する。そして第3節で、均衡為替レートの考え方とその経済的意味について述べる。第4節では、第3節の議論に基づいて、具体的なデータを使って均衡為替レートの作成方法を説明し、第5節で実際の計測値を示す。また第5節では簡単なシュミレーションにより、どのような要因で均衡為替レートが変化し、実際の為替レートとの違いが生じたかについても分析をおこなう。最終節では、こうした分析結果のまとめをおこなう。