5.均衡為替レートの計測

 

本節では、前節で示した均衡レートの計測式(8)式及び(9)式から、日韓、日タイ、米韓、米タイ間の均衡為替レートを導出する。この算出結果を検討することにより、最近のアジア通貨危機は本当に投機的な資金移動の影響が強いのか、それとも東アジア諸国の実体経済を反映した結果なのかを考察する。

図5−1図5−2は、1970年初頭より現在までの日韓・日タイの実際の為替レートおよび(8)式より導出された均衡為替レートを示したものである。また、図5−3図5−4には、同期間の米韓・米タイの実際の為替レートおよび(9)式より導出された均衡為替レートが示されている。まず、日韓・日タイレートをみていくことにしよう。

 

5.1.日本と韓国、タイの為替レート

日韓、日タイの実際の為替レート、均衡為替レートとも、趨勢的に韓国の通貨価値が下落していることを示している。また注目すべきことに、日韓、日タイのレートとも、実際のレートと均衡レートの関係が非常に類似した動きをしてきたことがあげられる。すなわち、両者とも1988年あたりまでは現実の為替レートと均衡レートはほぼ一致した動きをしてきたのに対し、それ以降は現実の為替レートは均衡レートに比べて、韓国及びタイ側の通貨高を示していることである。しかし、97年半ばに始まったアジア通貨危機によるウオン及びバーツの下落により、こうした現実の為替レートと均衡為替レートの乖離は縮小する傾向にある。

それでは日韓、日タイの均衡レートがどのような要因で変化し、また現実の為替レートと何故乖離が生じたのかをを検討しよう。まず、Yoshikawa(1990)に従い、ここでは基準年における各国の技術係数a、bが、それ以降も一定であるとの仮想的な均衡レートと、均衡レートを比べることにより考察していく。均衡レートとある要因を固定した仮想的な均衡レートの差が大きい場合は、固定した要因が均衡レートに大きな影響を与えてきたということが確認され、逆に、2つの差がほとんど見られないときは、その要因はあまり均衡レートに影響を与えていないことが判明されることになる。

表5−1は、日本と韓国の技術係数が基準年の1977年で一定と仮定した場合の日韓均衡レートである。この表をみると、韓国の労働投入係数が一定の場合、均衡為替レートは大きくウオン安にふれることが示される。一方日本の労働投入係数が一定の場合は、逆に均衡レートにおいてウオンの価値が上がることになる。原材料投入係数の場合は、韓国の係数を一定とした場合は、均衡為替レートに影響を与えず、日本の原材料投入係数を一定とした場合は、ウオン高となる。特に、韓国の労働投入係数でそれは顕著であり、仮に韓国の労働投入係数が1977年より進展しなかったのであれば、95年において韓国の通貨価値はおよそ1/3となっていることが示されている。このことは、韓国の労働生産性の上昇が、相当程度韓国の通貨価値をウオン高に向かわせたことを示しているが、しかし実際の為替レートに比べればウオンは低く評価されている。これは何故だろうか。

この点を二つの側面から調べてみよう。一つは日本の労働生産性の動きである。表5−1で日本の労働生産性が一定の場合、韓国の均衡為替レートは、1995年時点で現実の為替レートに近い値(11.6ウオン/円)をとっている。しかし、均衡為替レートがこれよりもウオン安になっているのは、日本側もここ20年間で労働生産性が上昇しているからである。この点を確かめるために、表5−2で両国の労働生産性格差をみると、76年から90年まで、日本が韓国を0.3%(年率、以下同じ)上回っているものの、91年から95年は逆に韓国が日本を4.4%上回っており、結果的に20年間を通してみると、両国の労働生産性格差は、わずかに日本が韓国を1.0%上回るに過ぎない。すなわち、韓国の労働生産性は上昇したものの、一方で日本の労働生産性も上昇しているため、結果としては為替レートに対して相殺し合っている。これに対し、原材料生産性は、20年間を通して日本が韓国を年平均2.7%ずつ上回っており、この面では均衡為替レートをウオン高、円安に向かわせる効果をもたらしたといえよう。

しかし均衡為替レートに対して影響力が大きかったのは、二点目の賃金格差である。いま賃金で測った購買力平価の推移をみてみよう。表5−1をみると、購買力平価は、均衡為替レートとほぼ同じ動きをしていることがわかる。また表5−2の賃金格差をみると、1976年から90年までは、韓国の賃金が日本の賃金を年率13.0%上回ったのに対し、同時期の均衡為替レートも年率15.0%とほぼ同率で、ウオンが安くなっている。また91年以降も両者ともに10%ずつ変化し、韓国賃金が日本の賃金を上回っている部分が、均衡為替レートのウオン安に反映されていることがわかる。したがって、韓国における労働生産性上昇による均衡為替レートの増価は、日本における労働生産性、原材料生産性の上昇による円の増価によって相殺され、日韓賃金格差が、均衡為替レートにおけるウオン安をもたらしたことを意味している。

この日韓の賃金格差は、1980年代の後半から拡大するが、これはすでにみたように、韓国において、1987年に労働法が改正され、労働組合の力が強くなり、賃金上昇が進んだ時期と軌を一にする。このように労働賃金格差が均衡為替レートと現実の為替レートの乖離要因となる点については、 Yoshikawa(1990)が算出した日米の均衡為替レートのケースと対照的である。 Yoshikawa(1990)の場合は、1980年代前半に均衡為替レートが、現実の為替レートよりも大きく円高に振れていた要因が、賃金で測った購買力平価にあるのではなく、労働生産性や原材料生産性の面において、日本が米国を大きく上回っていた点にあることを指摘していたのである。日米の場合は1980年代後半に、日韓の場合は昨年後半から、現実の為替レートが均衡為替レートへと収束する動きを見せているが、同様の動きをしていても、その要因となる各国間の実体経済の差が異なる点は興味深い。

次に日タイ間の均衡為替レートの動きをみてみよう。日本とタイの場合は、産業構造及び輸出構造に差があり、各国の製造業を貿易財として一括することに問題はあるが、すでにみたように、ここではタイの輸出構造に合わせた財のインデックスを比較する形で、均衡為替レートの検討をおこなう。表5−3は、表5−1と同様、各技術係数を基準年の1986年で一定として、均衡為替レートを試算したケースを表示している。これをみると、両国の賃金で測った購買力平価は、我々が計算した均衡為替レートよりも、はるかにバーツ高となる。実際表5−2で、日韓のケースと同様、賃金格差で均衡為替レートの動きが説明できるかという点をチェックすると、1970年代の後半はほぼ同率の動きをしているものの、80年代以降は、賃金格差が2.9%タイが日本を上回っているのに対し、均衡為替レートは11.2%バーツ安に動いている。このことは、技術係数の格差が日タイの均衡為替レートをよりバーツ安の方向へ向かわせていることを示唆している。そこでそれぞれの技術係数を一定としたケースをみると、日タイ均衡レートに影響を与えてきたのは、タイの労働投入係数、日本の労働投入係数、および日本の原材料投入係数であったことが確認される。特に原材料生産性格差は、76年から95年で年率12.2%の割合で日本がタイを上回っており、均衡為替レートをバーツ安に向かわせる点で大きく影響したとみられる。

 

5.2.米国と韓国、タイの為替レート

次に米韓、米タイの為替レートを見ていくことにしよう。図5―3図5―4よりまず米韓および米タイの実際のレートは、最近の通貨危機を除けば、比較的安定的に推移してきたことが確認される。これは両国の為替レートがこれまでほぼドルにリンクしていたことによる。一方、均衡レートは、実際のレートと異なり、かなり変動してきたことが示されている。特に、両均衡レートととも1980年代前半に大幅な均衡レートの下落が見られる。またその後80年代後半にかけて、均衡レートの上昇が見られるが、90年代に入り再び通貨の下落傾向が見てとれる。ここで80年代における両国の大幅な均衡レートの下落は、主に石油価格などのエネルギー価格の上昇によるものと考えられる((9)式のPm)。特に、エネルギーの大半を輸入に依存している韓国、タイは、その影響が深刻であったと考えられよう。その後、石油価格が低下していくにしたがい、均衡レートも増価傾向となっている。90年代に入ってから米韓レートは、日韓レートと同様、均衡為替レートが現実の為替レートよりもウオン安で推移しているが,日韓の場合と異なり、今回アジア通貨危機により、現実の為替レートは、均衡為替レートに収束するどころか、それよりも大幅にウオン安に進んでいる。一方米タイレートの場合は、90年代に入ってから均衡為替レートは、現実の為替レートよりも若干バーツ高で推移していた。それにもかかわらず、アジ通貨危機では、バーツの価値が大幅に低下したため、均衡為替レートと現実の為替レートとの差は拡大してしまった。

それでは、米韓・米タイ均衡レートは主にどのような要因で変動しているのだろうか。日韓、日タイのケースと同様、基準年における韓国及びタイの技術係数a、b、そして米国のUCL、UCMがそれ以降も一定であるとの仮想的な均衡レートと、均衡レートを比べることにより考察していく。表5−4は、韓国の技術係数、米国のユニットコストが基準年の1977年で一定と仮定した場合の米韓均衡レートと賃金で測った購買力平価を表示している。この表をみると、賃金で測った購買力平価は、均衡為替レートに比べて大幅にウオン安となっている。このことは日韓のケースと異なり、米韓の投入係数の違いが、均衡為替レートの動向に大きな影響を与えていることを示している。実際表5−4をみると、韓国の労働投入係数、米国の原材料ユニットコストが、均衡レートに大きな影響を与えていたことが確認される。

ただ日韓、日タイのケースと同様、表5−5で両国の労働ユニットコスト及び原材料ユニットコストの格差と均衡為替レートの動きをみると、80年から95年の15年間で、韓国の労働ユニットコストが年7.0%ずつ米国の労働ユニットコストを上回っている。同時期の賃金で測った購買力平価が11.5%ずつウオン安に動いていることから判断すると、韓国の労働生産性上昇がウオン安を抑制しているものの、均衡為替レートがわずか1.0%ずつしかウオン安に動いていないことを十分に説明してはいない。一方原材料ユニットコストは、年率9.1%で韓国が米国より低下しているので、この部分が均衡為替レートにおけるウオン安を抑制したと考えられる。ただ90年代に入って現実の為替レートが、均衡為替レートよりも、ウオン高の方向で進んだことは、この韓国の生産性上昇を過大に評価していたとみなすこともできる。

また表5−6は、米国とタイのユニットコスト、技術係数が基準年の1986年で一定と仮定した場合の米タイ均衡レートと両国の賃金で測った購買力平価を表示している。ここでも賃金で測った購買力平価は、均衡為替レートよりも大幅にバーツ安となっている。したがって、タイのエネルギー投入係数と米国の原材料ユニットコストの米タイ均衡レートに与えてきた影響が大きいことが確認される。この点は表5−5でも確認できる。

最後に、米韓・米タイ均衡レートから最近のアジア通貨危機を検討してみよう。図5−3図5−4を見る限り、ウォン、バーツのドルに対する最近の下落はそれぞれの均衡レートを上回るほどの大幅な下落であることが分かる。したがって、対円レートとは対称的に、対ドルにおけるアジア通貨の下落は均衡レートを越えたものである。この意味については色々な解釈ができよう。一つは、よくいわれているように実体経済を反映していない投機的な資金移動を反映したものではないという見解である。いま一つは、米韓、米タイの場合も、賃金で測った購買力平価については、大幅なドル高となっており、実際の為替レートもその購買力平価に近づく動きをしていることから、国際資金市場が、各国の生産性効果をみず、賃金格差だけに焦点をあてて、適正な為替レートへの調整をおこなったとも解釈できる。この点については、今後の研究課題であろう。