6. アジア通貨危機における為替レート変動の評価と今後の課題

 

本稿では、昨年来東アジア地域でおきている、激しい通貨変動の要因を吉川教授が提起した均衡為替レートの概念を使って検討した。すなわち、東アジア諸国通貨価値の下落が、単なる投機性のものか、それとも実体経済を反映したものかを均衡為替レートと実際の為替レートの推移を比較することによって考察しようと試みたのである。

吉川教授の均衡為替レートの概念は、国際市場で貿易財の一物一価が成立するという前提の下で、単に両国の購買力を均等化させるだけでなく、生産性格差や交易条件の変化も反映した為替レートとして定義されている。具体的に我々は、日本と韓国、タイ、米国と韓国、タイについて、吉川教授が日米レートを計算した方法に沿って均衡為替レートを算出した。

算出結果を要約すると、まず日韓については、1990年代初めから均衡為替レートは、現実の為替レートよりもウオン安で推移しており、アジア通貨危機後の円高ウオン安は、現実の為替レートの均衡為替レートへの収束過程とみなすことができる。この点は、80年代後半の急激な円高、ドル安が日米の均衡為替レートへの収束過程であり、投機性の強い為替変動というよりも実体経済の変化を反映していたとする吉川教授の解釈と似ているが、その原因は異なっている。すなわち、日米の為替レートの動きが、80年代前半に拡大した、日米の労働及びエネルギー生産性格差を調整する動きであったのに対し、日韓の場合は、80年代後半における韓国の労働法改正を契機とした賃金の上昇が、90年代を通して日韓の賃金格差を拡大させ、それを調整する動きがアジア通貨危機の中で生じたと解釈することができる。

一方日タイについても、1990年代に入って、均衡為替レートが現実の為替レートよりもバーツ安で推移していたことから、アジア通貨危機における円高、バーツ安は、日韓のケースと同様、現実の為替レートが均衡為替レートへ収束する動きとして捉えることができる。しかし、その要因は、両国の賃金格差というよりも、労働生産性格差及びエネルギー格差、特に後者の影響によるところが大きい。

また米韓については、日韓と同様1990年代に入って、均衡為替レートが現実の為替レートよりもウオン安で推移し、アジア通貨危機を契機にドル高、ウオン安が生じたが、現実の為替レートは均衡為替レートをはるかに上回るウオン安となった。米タイの場合は、90年代に均衡為替レートが現実の為替レートよりも若干バーツ高であったにもかかわらず、アジア通貨危機においては逆方向のドル高、バーツ安が生じ、均衡為替レートと実際の為替レートの格差はかえって拡大している。この動きは、日韓、日タイと違い、投機性の強い為替変動と解釈することができる。しかし、一方で両国のケースとも賃金で測った購買力平価については、ドルの価値を大幅に高く評価し、米タイについては、現実の為替レートが購買力平価に近接していることから、国際金融市場が賃金格差を指標として為替レートの評価をおこなったとも解釈することもできる。

以上が、我々が算出した日本、米国と、韓国、タイに関する均衡為替レートの評価であるが、最後に残された課題をあげておこう。

まず統計上の問題がある。我々は手元でとりうる限りの統計資料から均衡為替レートを計算したが、日米はともかく、東アジア諸国の統計は、その作成方法の吟味や現地での統計資料の収集等より正確なものを使っていく必要があろう。

次に日米のような先進国同士の為替レートを考える場合は、産業構造や貿易構造が似通っているため、貿易財という概念で一括してよいが、タイのような国と先進国とでは、産業構造、貿易構造が大きく異なっている。こうした異なる経済構造をどのように均衡為替レートに反映させるかは、今後の課題であろう。

最後に、我々の分析では今回のアジア通貨危機に際して、ドルが過大に評価されていることが示された。これに関して我々は、投機的な資金の動きまたは賃金で測った購買力平価への調整という二つの解釈を示したが、さらに加えれば、情報産業などに代表される米国の先端産業の生産性をどのように評価するかという問題がある。我々は製造業に属する産業のデータから均衡為替レートを算出しているが、こうした新産業の生産性をどのように均衡為替レートに反映するかは今後の課題であろう。

以上のように、東アジア諸国の均衡為替レートを算出する際には、日米間の均衡為替レートを算出する以上の課題がある。しかし、現実の為替レートの動きだけをみて、それが投棄か実体経済を反映したものかを議論しても、結局は水掛け論に終わってしまう可能性が強い。その意味で、客観的な指標を使った均衡為替レートの算出により、通貨危機の問題を考察することは今後とも重要であると思われる。