マレーシアの金融発展と貯蓄動員

銀行・年金基金・投資信託の役割



首藤 恵


      1.はじめに

      2 金融制度改革と資金フロー

         (1)金融制度改革と貯蓄動向

         (2)家計貯蓄の構成要素

         (3)政府貯蓄の構成要素

      3 貯蓄動員機構としての国内銀行部門

         (1)国内銀行の育成と全国展開の支援

         (2)フランチャイズ効果とレントの保証

      4 強制貯蓄機構としての年金基金

         (1)貯蓄手段としての被雇用者年金基金

         (2)強制貯蓄機能と社会保障機能の矛盾

      5 投資信託とファンド・マネージメント産業の育成

         (1)国営ユニット・トラストとブミプトラ政策

         (2)資本市場整備と国営ユニット・トラスト改革

         (3)ファンド・マネージメント産業の育成

      6 銀行主導型システムからの脱却−−むすび

       

      [引用文献]

      [付 表]







     



     

    1.はじめに

     

     東アジア諸国の中でもマレーシアのユニークさは、独立後の比較的早い時期から成長のための「貯蓄基盤の確立」を重視し、1970年代には「社会的安定」のための所得再分配と資産保有の平等を実現する手段として、国内金融制度構築に着手した点にある。銀行部門をベースとする「自発的貯蓄動員機構」と、年金基金をベースとする「強制貯蓄動員機構」の相互補完的システムが、高い貯蓄率と社会的安定を同時に実現する鍵であった。

     1960年代には、中央銀行主導による全国規模の銀行ネットワーク形成と、年金基金制度など社会保障基金による強制貯蓄を2つの柱とする貯蓄動員機構が整備が始まった。1980年代から展開された公営企業の民営化と資本市場の育成も、その過程で生じる資本所有と所得分配の不平等への対処に慎重に配慮した制度構築をともなったのである。ブミプトラ社会による証券投資と資本所有の促進を目的に、国営投資信託会社が設立されブミプトラ優遇ファンドが売り出されて、広く全国規模での零細貯蓄の動員に大きな貢献を果たした。

     こうして貯蓄動員ルートと貯蓄インセンティブを巧みに組み合わせた貯蓄動員政策は、1970年代後半から驚異的な貯蓄率の上昇をもたらし、ブミプトラ(マレー人)の社会的地位の向上に成功した。しかしながら、銀行ネットワークの拡大は、国内銀行への各種優遇措置と厳しい競争制限措置に支えられて、政府系銀行による寡占的市場構造を生み出し、年金基金は社会保障機能と金融仲介機能との矛盾に直面してきた。国営投資信託も、投資機関として本来のリスク分散機能を果たすものとは言い難い。

     金融発展プロセスにおける「効率と安定性のトレード・オフ」が途上国の直面する最大の課題であることを考えれば、国内貯蓄動員と社会的資金配分を重視したマレーシアの選択は、金融制度構築の面で注目すべきものであろう。ところが、政府主導型成長から民間主導型成長へ転換し、金融グローバル化が進むなかで成長のための外資依存度を強めるにしたがい、従来の金融システムのもつ脆弱さが明らかとなった。民間主導型成長へ転換するには、銀行部門の競争促進による金融仲介ルートの多様化と、長期資金供給とリスク投資の場としての資本市場の基盤整備が不可欠の条件である。マレーシアの金融システムがもつ強さと弱さを明らかに分析することは、金融制度構築の視点から東アジア型金融発展を分析する上で興味深い論点の一つと考える。

     本論の目的は、マレーシアの金融発展における貯蓄動員政策に注目し、銀行、年金基金、投資信託の相互補完的役割について論じ、金融自由化と対外開放に際して金融システムが直面する課題を指摘することにある。本論の構成は次の通りである。2節では金融制度と資金フローの特徴について概観する。3節では、貯蓄動員機構としての銀行部門の役割に焦点を当てて、貯蓄インセンティブの供与と貯蓄意欲の植え付けを重視した国内銀行育成政策の意義と問題点について論じる。4節では、被雇用者年金について、強制貯蓄機構としての機能と社会保障制度としての機能との間の矛盾が広がりつつあることを明らかにする。

     5節では、資本市場育成政策との関連で注目すべきファンド・マネージメント産業を採り上げる。1980年代に急成長した国営投資信託スキームについて、資本市場を介した投資機関としての限界を指摘し、民営投資信託を核とするファンド・マネージメント産業の成長が長期資金動員の新たな手段であることを論じる。6節では、結びとして、金融自由化と対外市場開放を前提とする金融システムの方向性を示したい。国内金融システムの強化は、金融自由化と対外市場開放の前提条件である。投資信託や年金基金が政策金融の手段から機関投資家へ変貌することは、将来の資本市場の動向を決定する鍵であるだけでなく、銀行部門の競争促進の鍵でもある。



     


    [注]

     

    (1)表4は、Linの手法にしたがって、積み上げ方式で家計貯蓄を算定している。Lin(1993)および(1994)は、1980−92年について家計と法人の資産を積み上げて貯蓄を算定し、さらに、賃金・俸給から個人所得を集計して租税控除後の可処分所得を算定し、家計部門の平均貯蓄率を求めている。Lin推計は、証券に関しては、家計と企業ば50:50で保有するという仮定を置いて推計している。表4では、家計の証券保有 は国営投資信託による間接保有のみを算入している。Lin推計では、平均して民間貯蓄の70−80%程度を占めている。また、被雇用者年金基金(EPF)への拠出金は、安定して可 処分所得の5−6%前後を占めている。



     


    (2)この点について、Lin(1994)p63で、同様の指摘がなされている。



     


    (3)この時期における政府部門の歳入・歳出の動向とその要因について、詳しくはIsmail Muhd Salleh(1994)を参照されたい。



     


    (4)以上の点について詳しくは、Herbert(1994)p.123-124を参照されたい。



     


    (5)1985年に初めて民営化ガイドラインが公表され、民間主導型成長政策への路線変更とともに1991年2月に「民営化マスター・プラン」が公表され、1990年代に入って多くの公営企業が民営化された。民営化の実態については、Ismail Muhd Salleh(194)および丸(1997a)を参照されたい。



     


    (6)Lin See-Yan(1992) P.3−4。



     


    (7)Lee and Jao(1982), 邦訳P.90−91。



     


    (8)Hellman, Murdock and Stiglits(1995)はこの点に注目し、金融発展における公的介入に高い評価を与えている。これに関連して、金融発展における銀行部門への公的介入の役割に関して、首藤(1996)を参照されたい。



     


    (9)Lim & Yaakop & Merris(1986)の検証によれば、1978年金利自由化後に、預貸金利がともに需給を反映して弾力化し、預金金利が貸出金利に影響する形で変動を始めた。



     


    (10)1992年末現在、雇用者55107社のうち、26%がEPFへの支払いが出来なかったと指摘されている。Sallehuddin Mohamed(1994), P.262。



     


    (11)Sallehuddin Mohamed(1994)P.264-271を参照されたい。



     


    (12)以上の数値は、Money and Banking in Malaysia(1994),P.307-308.



     


    (13)1978年、ブミプトラ専用のユニット・トラスト機関(YNB)が導入され、翌1979年にYNBは運用会社(PNB)を設立して運用し、その子会社ASNがユニット・トラストの販売を開始した。以降、PNBは親会社として国営ユニット・トラスト会社ASNを管理している。この点については、丸(1997b),P.79ー80が 詳しい。



     


    (14)1981年に行われた調査によれば、当時、ブミプトラ貯蓄の79.2%は、現金・貴金属といった非生産的な手段に向けられていたといわれる。(Abdul Khalid Ibrahim (1994) p.169)



     


    (15)ASN保有者の条件は18歳以上であり、若年層はもてない。



     


    (16)Abdul Khalid Ibrahim(1994) p. 171 Table 1によれば、1990年現在、ASN8 5億500万リンギ、ASB6億480万リンギであったが、ASNは1991年には16億670万リンギ、1992年には10億130万リンギにまで激減した。




     



    [引用文献]

    Bank Negara Malaysia(1994), Money and Banking in Malaysia, 35th Anniversary Edition.

    Ismail Muhd Salleh(1994) "Privatization and Deregulation in Malaysia: Programme, Problems and Prospects" ed.by Vijayamari Kanapathy and Ismail Muhd Salleh, Malaysian Economy: Selected Issues and Policy Directions, ISIS Malaysia.

    Herbert, Clifford(1994) "Role of Government in Mobilizing National and Public Sector Saving" ed.by Al' Alim Ibrahim Generating a National Savings Movement, ISIS Malaysia, P.121-128.

    Herman Thomas & Murdock,Kevin & Stiglitz, Josef E.(1995) "Financil Restraint: Toward a New Paradigm"(Reviced draft of the paper written for the World Bank EDI Workshop, February 1994).

    Lee, S.Y. and Y.C.Jao(1982) Financial Structures and Monetary Policies in South-east Asia, The Macmillan Press Ltd.(邦訳:細井幸夫監訳『アジアの金融市場』東洋経済新報社。)

    Lin, See-Yan(1992) "Financial Market Reform: the Institutional Perspectve--Malaysian Experience--", Senior Policy Seminar on Financial Sector Reform in Asian and Latin American Lessons of Comparative Experience, Santiago, Chile, May 25-28, 1992.

    Lim, Chee Seng & Yaakop, Rosli & Merris, C. Randall(1986) "Deregulation of Loan and Deposit Rates at Commercial Banks in Malaysia" Discussion Paper No.5, Economic Department, Bank Negara Malaysia.

    Lin, See Yan(1994) "The Savings and Investment Gap: An Independent Estimate of National Savings" ed.by Al' Alim Ibrahim P.43-73.

    Salleh, Ismail Md.,(1990)「財政政策と構造調整」横山 久編『マレーシアの経済−−政策と構造変化』アジア経済研究所。

    Sallehuddin Mohamed(1994) "Promoting Savings and Social Security Needs: Expand-ing the Role of the EPF in a Rapidly Expanding Economic Environment" ed.by Al' Alim Ibrahim.

    首藤 恵(1996)「金融自由化の諸問題」矢内原勝編『発展途上国問題を考える』勁草書房。

    丸 淳子(1997a)「国営企業の民営化と株式市場への影響」『武蔵大学論集』第45巻第1号。

    丸 淳子(1997b)「投資信託の機能再考−−香港・シンガポール・マレーシア・タイの投資信託の比較から」『証券経済研究』第8号、日本証券経済研究所。第45巻第1号。