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相対価格変動と近代中国の経済発展




王 玉茹



中国南開大学経済研究所助教授

一橋大学経済研究所客員研究員

(1997年10月から1998年9まで)







私の博士論文のテーマは「相対価格変動と近代中国の経済発展」です。この論文では,主に1860年代より1930年代までの中国における相対価格変動および経済発展の関係を対象として、生産物価格(一般的な物価水準、相対価格)、要素価格(利子率、賃金率、土地価格)の数量分析を試みました。

まず、中国近代の経済発展を研究するためには、経済発展の内在的メカニズムを明らかにする必要があると思います。中国近代社会は伝統的な自然経済から近代的な市場経済への転換期であり,したがって市場の形成と成長は中国近代における経済発展の一つ重要な側面だと考えられます。価格は市場変動のバロメーター(晴雨計)として、経済発展の動向全体と緊密な関連をもち、資源配分を決定します。したがって、中国経済発展に関する研究において,相対価格の変動は一つ重要な課題だと思います。

つぎに、経済史研究において、資料やデータは重要なものです。工業化以前の中国経済社会に関する長期的なデータはかぎられており、生産量や所得に関する十分なデータの入手はきわめて困難です。その中で、一番豊富なのは価格資料です。

南開経済研究所は1927年に設立されて後、物価統計資料の収集、整理、分析に着手し、連続性のある物価指数を編纂しました。私はこのような既存資料を利用して、中国近代の経済発展を分析しました。

これから、四つの部分に分けて、紹介したいと思います。


    一、中国近代物価総水準の動向

    二、貨幣相対価格の変動

    三、商品の価格比と価格差

    四、生産要素の相対価格変動

    参考文献


      図1 中国卸売物価総指数の動向(1867-1937年)

      図2 中国卸売物価総指数の周期波動(1868-1935年)

      図3 中国銀価とイギリスとアメリカ卸売物価の動向(1867-1936年)

      図4 中国、イギリス、アメリカの銀購買力の動向(1867-1936年)

      図5 銀価と輸出入商品価格と卸売物価変動の関係(1867-1931年)

      図6 価格変動伝達メカニズムのモデル

      図7 中国近代輸入と輸出商品価格の動向(1867-1936年)

      図8 中国近代輸入と輸出商品価格の周期波動(1868-1935年)

      図9 中国近代工業品と農産品卸売物価の動向(1867-1937年)

      図10 中国近代における工業製品と農産品の卸売価格の周期波動(1868-1935年)

      図11 上海金融業者間短期貸出金利の動向(1873-1936年)


      表1 主要都市間食糧価格(1920年)

      表2 西省各県における商品価格表(1936年12月)

      表3 福健省各県における食塩価格表(1912-1935年)

      表4 各地における米価格の季節変動指数(1896-1931年)

      表5 江蘇省武進県における農家先価格の季節変化

      表6 天津銀行における貸出金利率の動向(1892-1937年)

      表7 石炭鉱工人の貨幣賃金と実質賃金の動向(1904-1937年)

      表8 上海紡績工人の貨幣賃金と実質賃金(1910-1937年)

      表9 北京における建設業労働者の賃金指数(1862-1925年)

      表10 中国農業工人の貨幣賃金と実質賃金指数(1906-1933年)

      表11 中国農地価格の変動(1912-1933年)

      表12 中国農地価格指数(1906-1933年)

      表13 11都市における平均地価表

      表14 中国における近代部門の資本形成と産業資本の増加

      表15 中国近代産業の固定資本投資(1903-1936年)

      表16 中国工業部門構造の変化(1921-1936年)

      表17 中国国民所得の分配(1933年)





 

一、中国近代物価総水準の動向

 (一)物価総水準の変動趨勢と特徴

1、一八八〇年代中期の近代化開始後、中国の物価水準は上昇趨勢をみせています、1887年-1931年の五十年間の間に,三倍以上に上がりました。図1をご覧ください。

2、長期的な動きからみると、その上昇は一直線ではなく、波動を繰り返しながら上昇しているように見えます。図2のように、五十年間は二つの周期に分けられます。第一周期は1887年から1914年までの二十五年間です。1887年に始まる物価上昇は、1905年にピークに達し、その直後から下降して、1914年に谷底にたどり着きました。第二周期は1914年から1936年までの二十五年間であり、1915年から再び急激な物価上昇がおこり、1931年にピークに達し、1932年から下降しました。

3、中国近代物価の変動振幅は西欧の工業国と比べて、明らかに小さいものです。

 (二)変動要因

1、中国における物価上昇原因の一つは、銀の流入とインフレです。当時中国の対外貿易は黒字で、多くの銀が海外から流入し、その結果,貨幣供給量過剰が発生しました。

2、人口増加,労働生産性上昇による需要増大も,物価上昇の原因となりました。

3、中国近代における物価の変動には国際経済の影響もみられ,その周期波動の趨勢は国際経済変動の趨勢とほぼ同じです。

4、中国の物価波動振幅が西欧工業国の波動振幅より小さい原因は,一つには全国的な統一市場が形成されていなかったことであり,もう一つは西欧工業国が金本位制に移行していたのにたいし中国は銀本位制であり、したがって国際市場変動の衝撃が小さかったことです。



 

二、貨幣相対価格の変動

 (一)動向

世界の先進工業国が金本位制に移行したにもかかわらず、中国は1935年まで銀本位制を維持し続けました。そのため中国貨幣の銀は他の国家では一種の商品ということになります。また、中国は主要な銀生産・消費国ではなく、銀の価格は国際市場に左右され、自ら決定はできません。価格の決定権は主にアメリカとイギリスにありました。図3から当時の中国における銀価格をみると,下降趨勢が認められ、中国貨幣のインフレが始まりました。

 (二)変動要因

1、 当時,世界の先進工業国では銀が貨幣の地位から撤退したので、その需要量は減りましたが、生産量は増える一方でした。金銀相場の変動によって、金価格が継続的に上昇したのに対し、銀価格は暴落しました。

2、第二に、国際市場で銀の購買力が下降したため、大量の銀が中国に流入しました。1867年から1931年まで、中国に流入した銀は9.5億海関両(海関テール)に達しました、当時は経済発展が加速した時期であったにもかかわらず、流入した銀は貨幣としての需要量をはるかに上回り,物価上昇をもたらしました。

 (三)中国経済に対する影響

1、為替相場の下落。

金と銀の価格相場の変動は中国の為替相場に大きな影響を与えました。為替レートの下落は、直接に,輸入品価格の上昇及び沿海地域における物価上昇をもたらしました。

2、輸入品の価格上昇は,民族工業の保護という客観的な役割を果たしました。1920年代末から30年代初までの世界経済大恐慌の中でも、中国の経済は好調でした。

3、他方で経済発展に対しマイナスの面もありました。この時期,中国の輸出品は大部分が農産物,一次産品であり、価格弾力性が小さく、価格変動に対する反応は鈍かったのです。他方、伝統的な輸出品に品質改良がみられず、国内生産と流通のコストも高くなったことなどの原因で、国際市場での競争力が失われました。輸入品価格の上昇、輸出品の減少の結果として、近代工業の発展に必要な設備の輸入が制約されました。



 

三、商品の価格比と価格差

 (一)輸入商品と輸出商品の価格比

1、輸出入商品価格と銀価格、物価の関係

貨幣価格変動の分析を通じて、三者の関係が分かります。中国近代における物価変動は、図5のように、最初に国際市場の銀価格が下降し、その次に、中国の輸出入品価格が上昇し、最後に中国の一般的物価水準が上昇するという経緯をたどりました。この関係から、中国近代における物価変動メカニズムをモデル化したものが図6です。もし、上記三種の物価の週間あるいは月間の指数が入手できるなら、モデルの有効性が検証できます。

2、動向

(1) 輸出品の価格指数や輸入品の価格指数も上昇の趨勢をみせました。輸出品と輸入品の価格動向を比較してみれば、輸出品は輸入品より価格上昇が急速でした(図7参照)。

(2) 輸出入品の価格変動は物価総水準の波動と同じく、周期波動の趨勢をみせます。

(3) 輸出品と輸入品の価格変動を比較してみれば、輸入品は輸出品よりもアメリカ、イギリスの物価変動と接近しています。その原因は、輸入品の価格が国際市場により規定されていたからです。逆に輸出品は国際市場に強く影響されていません。その理由は,中国は輸出品価格の決定権を失っていたけれども、中国の輸出品の構造が国際市場における商品流通構造と異なっていたためです。

 (二)工業製品と農産品の価格比

1、動向

(1) 図9から、中国近代における卸売物価指数の上昇は,工業製品より農産物のほうが急速であったと見られます。1867年から1937年までの七十年間に、農産品卸売物価指数は3.1倍になったのに対して、工業製品卸売物価指数は1.8倍にしか増えていません。

(2) 図10に見られるように、農産物と工業産品の卸売価格には同じく周期波動の趨勢があります。両者の趨勢は一致していない所がありますが、それは農産物価格が自然条件の影響を受けるためだと思われます。ただし周期波動の転換点(ピークと谷)は両者とも同じです。

2、変動要因

(1) 農業と工業とでは労働生産性に違いがあり,農業労働生産性の向上は工業より緩慢でした。

(2) 工業製品価格は農産物と比べて国際市場と緊密な関連をもっており、輸入商品の価格は直接に中国工業品の市場価格に影響を与えています。1860年から1980年代中期にかけて、工業製品の卸売物価は下降していますが、それは外国の廉価な工業品の中国へのダンピング輸出によります。1880年代中期以降,自然経済の解体,国内市場拡大などにより中国の工業製品価格は上昇趨勢を示しました。

3、中国経済に対する影響

(1) 農産物価格の振幅は工業品より大きく,かつタイムラグを伴っていますが,これは加速度原理が中国に適用できることを示しています。

(2) 工業部門生産コストの増加は中国の工業化に対して不利な点です。

 (三) 商品の価格差

1、地域価格差

地域間の価格差は一国における市場の形成と成長を反映しています。同じ種類の商品の価格が地域によって異なる場合,それが運輸コストから生じた差であるなら合理性がありますが、もし、価格差が流通コストより大きいとすれば、それは市場不統一、不発達の反映だと考えられます。以下の例から中国近代における市場の状況が見られます(表1表2表3参照)。表に示したのは,すべて日常生活用品の地域間価格差です。交通運輸業の発展にしたがって地域間価格差が縮小する傾向が見られますが、その動きは非常に緩慢でした。この事実から,中国において統一市場が形成されておらず、経済発展に地域間不均衡が存在していたこと、市場の成長がまだまだ不充分であったことが理解できます。

2、季節価格差

供給においても需要においても季節的差異が存在します。特に農産物の場合、その生産上の特徴から,季節のカラーがついています。しかし、経済発展、貯蔵技術、運輸、情報などの進歩にしたがって、当然,価格の季節変動は縮小します。大きな季節価格差の存在は経済の不発達、市場の未成熟のしるしです。表4表5から、十九世紀末から一九三〇年代の間に、季節価格差の縮小が見られること、したがって市場が緩慢ながらも成長していたことが分かります。



 

四、生産要素の相対価格変動



入手可能な資料及び近代中国の具体的状況に照らして、以下の順序で生産要素の相対価格変動を分析していきたいと思います。まず生産面から,相対価格変動の国民経済構造に対する影響を説明し、その次に、国民所得の分配に対する影響を明らかにし、最後に経済発展総体に対する影響を論じたいと思います。

工業部門の生産要素を分析する際には、資本と労働力の相対価格変動のほかに都市における土地価格の変動を考慮に入れる必要があります;また農業部門の分析には、労働力と土地の相対価格変動のほかに、資本価格変動の要素を分析に組み入れる必要があります。以上の分析を行ったうえで,最後に全体をまとめたいと思います。

近代社会に入る前の中国の商品経済は西欧より発達していました。西欧国家と比較して、資源配分に対する国家のコントロールはだんだん弱くなり、市場の作用が強くなっていました。しかし、近代的な意味での市場の成長はかなり遅いものでした。前近代の中国で最も不足していたのは資本であり、その次は土地、対して、一番豊富であったのは労働力です。このため労働力を惜しまず、多量に投入する中国式の生産方式(精耕細作)が形成されたのです。

次に近代中国の状況を分析したいと思います。

 (一)資本価格ー利子率の変動

前近代中国(伝統社会)において、金融資本は高利貸の性質を帯びていました。利子率は非常に高く、それは生産とあまり関係がなかったのです。明清時代に入ると、商品経済の発展につれて、「票号」と「銭荘」などの金融機関が相次いで生まれ、発展してきましたが、その主な業務は両替、地方間の送金及び業界内部の貸付にとどまり、預金や貸付などには一定の限界がありました。1840年以後、外資系の銀行がはじめて開港都市に支店を開設して、中国向けの輸出入のために融資業務をはじめました。1887年,中国自身による近代的銀行ー通商銀行が創立されました。それ以来、貿易の拡大および近代工業の誕生につれて、中国の金融市場はまず沿海開港都市から発展を開始し、在来の金融機構も近代的な銀行業務を行うようになりました。20世紀初め、特に中華民国成立直後、中国近代化の速度が速くなり、銀行法など金融関係の法律の制定によって、銀行業は大きく発展しました。1937年までに銀行数は162ヶ社に達し、1700の支店がありました。資本金は43,430.2万元、預金総額は406,750.6万元、貸付総額は259,455.6万元になります。侯継明氏の推計によると、1921年から1936年まで貸付額の年成長率は12.3%です。

1、利子率の変動趨勢

全国的な銀行貸付利子の資料がなく、中央銀行の債券割引制度の実施時期も遅かったため、利子率変動を分析するには、短期貸出金利からの接近を試みるしかありません。それは金融業者間(銭荘と銀行)の短期融資の利子率なので、利子率の趨勢を反映するものとみることができます。

1935年までは銀本位制であったので、まず銀短期貸出金利の長期データから分析しましょう(図11参照)。

天津(表6)の例から、その趨勢が銀短期貸出金利の動きと大部分同じであることがわかります。すなわち、十九世紀末二十世紀初に少し上昇し,1911年以降少々下降しましたが、ずっと安定的な水準を維持しました。上海の銀行に関する資料も同様です。

全体的に見ると、都市では外資系銀行の利子率は中国系銀行より低く、商業が発達した沿海地域の利子率は内陸、辺境地域より低かったのです。中国の農村、特に交通が発達していない辺境地域では,あいかわらず高利貸資本が主流でした。統一的な金融市場は,まだ形成されていなかった言えるでしょう。

2、変動要因

(1) 貨幣発行量の増加

Rawskiの研究によると、1910年から1936年までの間に、中国貨幣発行量は3.56倍に増えており、年間平均増加率は5%です。

(2) 外資の流入

資本供給の増加は必ず利子率の下降をもたらします。

 (二)労働力価格ー賃金の変動

1、中国近代労働力市場の形成

その特徴は:

(1) 労働力が農村から都市に流入し工業労働力を形成しました。

(2) 移民  a.海外   b.開墾ー東北

(3) 農村における労働力市場の出現

国民総生産に占める近代工業の比重がとても低いため、農村から都市に流入した人口の数量や速度も限られています、移民の場合、ほとんどは自然災害や戦争のために人口密度が高い所から低い所に移住するものであり、まだ統一的の労働市場を形成するものではありませんでした。

2、賃金の変動趨勢

賃金に関する長期的、系統的なデータ資料は非常に不足しており、一部分の企業データしか集められません。その中で最もすぐれているのは開 炭鉱の賃金指数です。その中から四種類の比較的長い期間の賃金指数を取り上げて、鉱業、 紡績業、都市手工業及び農業の賃金変化趨勢を分析しました(表7表8表9表10参照)。

十九世紀末から1930年代の近代化がスタートしたばかりの五十年間、都市農村労働者の名目賃金はすべて上昇したかに見えますが、実質賃金についてみると、産業労働者は上昇しましたが、手工業と農業労働者はあまり大きな上昇がなく、下降したものもあります。

3、要因

各産業の近代化程度が違うので、労働生産率の成長も違ってきます。同時に,中国の二重構造の優勢が発揮できなかったことも指摘できます。

 (三)土地価格の変動

中国の土地は早くも前近代社会より自由売買が認可され、土地市場が存在しました。清朝では土地交易を制度化、標準化する傾向が見られ、土地の交易機構もありました。

1、農地価格の変動趨勢

農業は中国近代社会で最も重要な部門であり、農地価格は鉱山や都市土地価格の基準点でもあるので、土地価格に対する分析は,農地からスタートしたいと思います。

表11表12から農地価格の上昇速度は農村の小売り物価の上昇速度を上回ったと見られます。

2、鉱山と都市地価の変動趨勢

中国近代鉱業は洋務派官僚によって建設されたので、鉱山用地価格は低水準のままでした。二十世紀に入ってから上昇傾向がみえますが,農地ほどではありません。これに対して都市地価の上昇はもっとも急激です(表13参照)。

 (四)生産要素相対価格の変動が中国近代経済発展モデルに対する影響

1、相対価格の変動趨勢

以上の分析を通じて、近代中国生産要素相対価格の変動趨勢を下記にまとめたいと思います。

十九世紀後半期から1930年代にかけて、まず資本価格ー利子率:周期性波動の中で下降があったにしても、明らかに同時の先進国家より高かったです;労働力価格ー貨幣賃金:近代産業部門中で上昇したように見えますが、幅はそんなに大きくなく、伝統生産部門中の貨幣賃金は少し上昇しましたが、実際賃金はあまり変化しなかったか,あるいは下降しました、先進国と比べると、中国の労働力価格は低廉でした;土地価格:農地と都市用地はそれぞれ上昇しましたが、都市地価の上昇速度と上昇幅は先進国より低かったといえます。

2、中国近代の経済発展モデルに対する相対価格変動の影響

(1) 利子率の下降は資本蓄積を加速させ、資本の有機的構成を高めました。工業部門構造に変化が生じ、重工業は軽工業より急速に発展しました。

(2) 土地価格と農業貨幣賃金の上昇は農業の経営方式を更に小作制(租佃制)に傾斜させました。中国伝統農業の地主的経営方式は農業の資本主義化を阻害しました。ただし東北地方だけは近代的な農村経営方式の比重が比較的高かった(約10%ぐらい),それは資本価格の下降及び栽培面積の拡大、及び農業資本投入のある程度の増加があったからです。

(3) 生産要素相対価格の変動は国民所得の分配構造や資源の流れに変化をもたらしました(表17、巫宝三氏の研究)。

A.近代部門賃金の比重が比較的高いこと

 (資本利子率の下降、賃金コストの上昇)。

B.伝統的生産の比重部門、主に農業非賃金収入の上昇。原因:土地の利益率が高いこと(小作料は一貫して高水準)。

C.国民所得に占める賃金所得の比率は49%、非賃金所得の比率は51%。

以上述べたことを要約するならば,(1)第1に中国近代における生産要素相対価格の変動は産業構造をある程度変化させましたが、その速度は非常に遅く、資源配分は農業に傾斜する構造になっていました,(2)第2に,そのことが中国における近代化の緩慢さを規程し,六十年間を経た1936年の中国は,依然として農業国家でした。

これで報告を終わります。



 

 参考文献:

 王 王茹:『近代中国価格構造に対する研究』1997年5月。