HOME » 刊行物 » IER NEWSLETTER Vol. 13 (Column: Yukinobu Kitamura (Professor, IER, Hitotsubashi University)

所長室から見た景色:2年間の所長職を振り返って

(一橋大学経済研究所 教授/経済計測研究部門)

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所長室の窓から見える八重桜
所長室から見た景色
2年間の所長職を振り返って

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北村研究室の窓から見える八重桜

 

2015年4月から本年3月末まで2年間経済研究所長を務めてきました。まずは、無事に2年間、所長職を務めることができたことをご報告して、経済研究所教員、職員、研究協力者の皆様のご協力、ご助力に感謝申し上げたいと思います。この2年間は、思い返せばあっという間に過ぎてしまい、やり残した仕事も多々あるのですが、所長として対応したこと、考えたことについて書いておきたいと思います。

 

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社会科学統計情報研究センターを臨む新緑の季節

1.大学評価への対応

 

現在、国立大学は様々な評価を受ける仕組みになっています。まず、1998年から始まった学校教育法に基づく自己点検・評価があります。また、2003年に始まった国立大学法人法に基づく国立大学法人評価は、中期計画・中期目標に基づいて6年毎(3年目に中間評価)に行われます。これは各分野から選ばれた約800人の研究者によって評価され、それが運営費交付金に反映される仕組みになっています。また、2004年に始まった学校教育法に基づく認証評価もあります。7年に一度、文科省が認証した4つの認証機関と1つの独立行政法人のいずれかに評価をしてもらうことになっています。その他に、法科大学院などの専門職大学院も個別に認証評価を受ける必要があります。
 
政府は、2016年の第3期中期計画・中期目標期間開始より、国立大学を「地域活性化・特定分野重点支援拠点型」「特定分野重点支援拠点型」「世界最高水準の教育研究拠点型」という3類型に分けて、それぞれの類型に応じたKPI(重要業績評価指標)を設けて、それを達成したかどうかで評価するという仕組みを導入しました。これは、文科省が決定したものですが、財務省や教育再生会議、産業競争力会議などの意見も配慮されていると言われています。その評価が、第3期中期目標期間における、運営費交付金配分の枠組みになることになっています。
 
まさに、我々は評価づけの中で、なんとか通常の研究や教育を維持できるように良い評価を得て、競争的資金を獲得しながら、奮闘しているというのが実情です。
 
経済研究所所長は、全国国立大学附置研究所センター長会議や全国共同利用・共同研究拠点協議会などという全国規模の会合に出席して、情報交換、意見交換することがかなり頻繁にあります。学部長・大学院研究科長にも似たような学部・大学院研究科単位の全国組織はありますが、経済研究所のように全国に開かれた組織では、学部や研究科よりはるかに緊密に全国の同様の組織と連絡をとり、意見を交換し、文部科学省に現状を伝えることが行われています。これらの全国の附置研究所センター長会議や分野別の部会のワークショップを主催する幹事校にも順番に回ってくることもあります。私の任期中には幹事校にならずに済みましたが、次期経済研究所所長は全国国立大学附置研究所センター長会議の第3部会長となり、第3部会の会議やワークショップを主催することになっています。このような会議への出席はほぼ所長に一任されており、所長が全国の学界コミュニティの中である程度の存在感があれば情報交換は進みますが、そうでなければ、なかなか情報が得られないという現実があります。私自身は経済学系の他大学の研究所長とは大半が旧知の仲の方でしたが、自然科学系で全く付き合いのなかった分野の方々とは、なかなか意見交換する機会もなく、このことは残念に思いました。
 
私の所長任期中には、文部科学省の国立大学法人評価委員会の中から、人文社会科学系学部の教育や研究に対してかなり踏み込んだ改革論である『国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて』(通知 2015年6月8日付)が出されました。具体的には、「「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。」という一文が含まれており、それに対して、全国の人文社会科学系の研究者が猛反発をするという事態が発生しました。日本学術会議では、この問題に対して、公開討論会や第1部会の中で議論を重ね、文科省に対して意見書を出しました。
 
人文社会科学系といっても、批判の対処となったのは、主として教育学部の在り方や文学部系の教育の在り方であり、一橋大学のような社会科学全体の教育研究水準の劣化論が出されたわけではなく、また、経済学、法学、商学、社会学といった学部、研究分野が不要であるとか、社会人に必要な教育を提供していないと批判されているという実感もなかったので、一橋大学内部では、この問題に対して大きな議論にはなりませんでした。しかし、私は、先の文部科学省の通知で表明されたように実践的教育にウェイトを移すべしというような考え方は、長期的には日本の学問研究を滅ぼしかねないと危惧しています。私が言うまでもなく、我が国の多くのノーベル賞学者が基礎研究の重要性を訴えておられますが、彼らの多くが1950-80年代に日本の国立大学で学び、研究に従事し、画期的な成果を出してきたことを冷静に考える必要があります。多くの研究者が実感していることは、1990-2010年代にはiPS細胞の研究などごく一部を除いて日本発の大きなブレークスルーは少なくなったということです。これは、学問研究に限らず、実業界でも同様に失われた20年として長期停滞の時期に入っていたという認識にも結び付いています。
 
このことが意味しているのは、学問研究の質量は経済活動と無縁ではないということです。勿論、多くの研究は基礎研究の領域に入るものであり、経済的な実用性はないか、あるとしても、はるか将来の話であり、研究成果が即、経済成長や経済効果をもたらすものでないことは言うまでもありません。むしろ、経済活動が活発な時期には、多少無駄な投資になっても、基礎研究をサポートするだけの余裕があり、その中から多くの研究上のブレイクスルーが出てきたということでしょう。近年、経済成長が停滞している中、日常生活にあまり役に立たない教養教育を授けるより、すぐに仕事の役に立つ実践的教育を提供すべきであるという議論が支持を増やしており、文部科学省の「通知」も、そのような考え方を反映したものだと思われます。
 
これまでの経験が教えるところは、経済的に、あるいは精神的に余裕のない状況では、学問上のブレイクスルーは出にくいということです。過去20年間に日本発の大きなブレイクスルーが出ないことの根本原因は、経済的な停滞にあると考えても大きくは間違っていないのではないかと思います。その意味では、我々経済学者の学術研究に対する責任は重いと認識すべきです。
 
このような大学評価の嵐の中で、何とか踏ん張りながら、そして視界の悪い中で、将来を見据えて、大学評価への対応として私が行ったことは次のようなことです。
 
(1) 外部評価の実施(2016年7月-2017年1月)
これは、2016年度から始まった第3期の中期計画・中期目標期間、そして同じく第2期共同利用・共同研究拠点活動期間に合わせて、経済研究所の期間中の運営方針を明らかにし、対外的に説得力のある研究体制を築くことを意図した企画です。
(2) 共同利用・共同研究拠点の利用促進
国立大学附置研究所の主要な存在理由が、全国共同利用・共同研究拠点としての機能にあることが明らかになりつつある中で、当研究所が提供できる全国共同利用・共同研究拠点としての吸引力を高める工夫をしました。公募プロジェクトの件数の増加、公募形態の多様化、概算要求を通した、国際連携共同研究体制の拡大要求などです。
(3) 日本学術会議マスタープラン2017の採択
当研究所と京都大学経済研究所が中心になって応募した「新しい社会科学としてのエビデンスベース人間科学の確立とネットワーク型大規模経年データの構築」が採択されました。このプランの中で、一橋大学経済研究所は公的統計提供拠点としての役割の強化とミクロデータを用いたエビデンスベースの政策立案の推進を目標としています。
(4) 大型科学研究費(基盤Sや基盤A)の獲得にむけた調整と支援
経済研究所内での競合や重複を回避するために科研費申請の所内でのコーディネーションを行い、採択率の向上を図りました。
(5) 他研究所との連携
経済研究所が外に対して開かれた機関として、公共サービスの提供を促進する目的で、他大学の経済研究所、政府・日本銀行の研究所、民間研究機関等と連携協定・覚書を結びました。具体的なパートナーは、京都大学経済研究所、大阪大学社会経済研究所、慶應義塾大学経済研究所パネルデータ設計・解析センター、内閣府経済社会総合研究所、日本銀行金融研究所、経済産業研究所、社会保障・人口問題研究所、ニッセイ基礎研究所です。既に多くの機関とは、相互セミナーなどを継続的に実施していますが、今後もこのネットワークを拡大していくつもりです。
(6) 委託研究の受託
科学研究費や民間研究助成金を獲得するだけではなく、積極的に委託研究や委託講義などを請け負うことで研究資金を獲得するための制度的基盤を整備しました。一橋大学に政府公共事業入札資格を獲得してもらい、それを前提に、政府入札による委託研究を1件請け負いました。今後はこれをさらに増やすことで、研究所への運営費交付金削減の一部を補っていきたいと思っています。


 

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色鮮やかな秋のもみじ

2.大学改革の在り方

 

一橋大学経済研究所長は学長、副学長、理事、その他の幹部によって構成される大学執行部の運営に協力する部局長の一員として大学に仕える立場にあります。また、一橋大学は国立大学法人として、文部科学省から運営費交付金の配分や各種の行政上の指導を受ける立場にあります。第1節で書いたように、国立大学が果たすべき課題をクリアするというゲームに参加して、評価を受け、それに基づいて資金配分をうけるという仕組みに従っている訳です。
 
これをガバナンス構造として見れば、文部科学省の下に一貫した指揮系統があるように見えます。しかし、この構造にはいくつかの閉じていない穴があります。一つは、誰が文部科学省をモニターして、その政策を評価するかという問題です。政府の構造上は、行政の長である内閣総理大臣が管理責任者ということになりますが、総理大臣が文部科学省の政策評価を行うというより、文部科学省の官僚が自らの政策効果について文部科学大臣に報告し、総理大臣から了承を得るという形をとっていると考えられます。
 
私が関わりのある金融政策や財政政策であれば、それを評価するための情報はほぼ完全に公開されており、日本銀行、財務省などの政策実施主体の政策担当者のみならず、民間エコノミスト、大学研究者などが、こぞって政策評価を行っています。そして、政策が目標を達成できない場合は政策実施主体である日本銀行や財務省は、それを説明する責任を負っています。場合によっては、政策実施主体の長の交代も要求されるほどの、緊張感がそこにはあります。翻って、文部科学省の一連の大学改革に関する政策評価、とりわけ厳密な統計学手法を使った計量的な評価は、どれぐらい行われたでしょうか。
 
文部科学省のホームページには「文部科学省における政策評価について」や「文部科学省政策評価基本計画」が掲載されており、そこでは政策評価の実施に関する方針として「政策評価は「企画立案(Plan)」「実施(Do)」「評価(Check)」「反映(Action)」を主要な要素とする政策のマネジメント・サイクルの中において、制度化されたシステムとして明確に組み込んで客観的かつ厳格に実施し、かつ、評価結果その他の政策評価に関する一連の情報を公開することにより、政策の不断の見直しや改善につなげるとともに、国民に対する行政の説明責任の徹底を図ることを目的とする。」と書かれています。また、具体的な政策評価の方法として、(1)実績評価方式:政策・施策を対象に、その実施後に、政策・施策の不断の見直しや改善に資する情報を提供することを目的として、あらかじめ政策効果に着目した達成すべき政策目標、施策目標及び達成目標を設定し、それらに対する実績を定期的・継続的に測定し、その結果に基づく目標の達成度合いについて評価する方式、(2)事業評価方式:事務事業等を対象に、その実施前に、事務事業等の内容の検討、採否の判断等に際して重要な情報を提供することを目的として、あらかじめ期待される政策効果やそれらに要する費用等を推計・測定し、政策の目的が国民や社会のニーズ又は上位の目的に照らして妥当か、行政関与の在り方からみて行政が担う必要があるか、政策の実施により費用に見合った政策効果が得られるかなどの観点から評価(事前評価)するとともに、必要に応じて事後の時点で事前の時点に行った評価内容を検証(事後評価)する方式、(3)総合評価方式:政策の実施から一定期間を経過した後等に、特定のテーマに係る政策・施策等を対象に、政策効果の発現状況や、効果の発現にいたる因果関係などを、ロジック・モデルを適用するなどの方法により様々な角度から掘り下げて分析し、政策に係る問題点を把握するとともにその原因を分析するなど総合的に評価する方式、などが挙げられています。
 
具体的な評価事例を挙げてみます。「実績評価(施策目標1-1)生涯を通じた学習機会の拡大」の下、「基本目標:高度で体系的かつ継続的な学習を通じた幅広い学習機会を提供する。達成目標:各大学における社会人受け入れ体制の整備状況に応じて、大学の受け入れられる社会人数を増加させる。指標:社会人特別選抜の導入大学数。」とあり、評価結果の概要として「大学等における社会人受け入れの推進については、社会人特別選抜の促進、長期履修学生、サテライト教室の制度化、大学院の高度専門職業人養成機能の充実等により、その環境の整備が順調に図られている。」とされています。また、評価結果の政策への反映状況ということで、「平成16年度までに専門職大学院が77大学(93専攻)において設置」されたと報告されています。この評価方法で何がわかるのでしょうか?専門職大学院の数が増えたことと、幅広い学習機会を提供するという基本目標とはどのようにリンクしているのでしょうか?学習機会ということであれば、カリキュラムの選択肢の多様化であるとか、社会人受け入れの実態(志願者数や入学者者数)、そしてさらに言えば、その大学院の拡充の結果、どのような雇用創出が行われ、どのような職種へ卒業生たちが就いたかを調べるべきだと思いますが、この評価事例ではそのような手法は用いられていません。
 
経済学で政策評価を行う場合、基本的には、ここで言う(3)総合評価方式が用いられます。この場合難しいのは、なにを政策の成果として計測するかということです。(1)で導入された基本目標や達成目標は、国民の生活水準や知的理解力の向上のための手段であって、それ自体は目標ではないと思います。文部科学省が実施していることは、(1)(2)の表面的な数合わせの評価であって、本当の評価である(3)については、未だに本格的には実施していないというのが実情です。ましてや、その評価の元になるミクロデータを公開するということは、全くと言っていいほどなされていません。
各大学の自発的な発案に基づいて創意工夫されたカリキュラムや研究計画を、正面から把握し、評価して初めて、各大学を横並びではない、多様な角度から総合的に評価したと言えるはずですし、ここが大学間競争の舞台になるはずです。文部科学省はこの部分での政策評価に手を付けていないと思われます。また代替的に情報を公開して学界コミュニティに評価を実施させることも行っていないようです。
 
このように文部科学省の評価方法を見直してみると、我々が6年間の中期計画・中期目標をたてて、それを4半期毎に評価する方法は、まさに、(1)の実績評価方式であることがわかります。この方式は手間がかかる割に何を評価しているのかが明らかではありません。我々は社会主義計画経済下で似たような経験をしています。すなわち、各工場は生産ノルマを事前に報告し、それに合わせて生産を行い、その事前計画と事後的な結果が一致すれば目標達成ということで評価されるという仕組みです。いうまでもなく、この仕組みでは新製品を、リスクをとって生産するというインセンティブは皆無です。事前に決められた凡庸な日常雑貨や車、電化製品を、ノルマの達成のために低めの数値目標の下で、だらだらと生産しているにすぎませんが、この評価方式の下ではそのような対応が最善ということになります。社会主義計画経済は、資本主義経済が生み出す魅力的な新製品の前に、なすすべもなく敗北していきました。現在、進行中の国立大学法人に対する中期計画・中期目標の評価方法は、社会主義計画経済と同じ轍を踏んでいるように思えてなりません。例えば、国立大学が中期計画中に、計画に全くなかった画期的な事業を思いつき、それを即座に開始しようとしても、おそらく中期計画からの大幅な逸脱は認められないでしょうから、すぐに予算が付くとは思えません。とすれば、次期の中期計画立案時まで待たねばならず、その間に、より機動力のある私立大学にアイディアを先取りされてしまうかもしれません。消極的な国立大学であれば、中期計画・中期目標の数字合わせに徹して新しいことは何もしないという態度に終始し、その数字合わせも無理をしたくないので、過去に無理なく達成できた数字に近い目標を立てておくという旧社会主義国と同じ対応になることは想像に難くないことです。
 
では大学をどのように評価すればいいのでしょうか。私であれば、(1)実績評価方式と(2)事業評価方式は、各大学が内部で行う段には問題はないと思いますが、文部科学省が得られる情報の価値とそれに使われる各大学側の払う労力の価値を比べれば明らかに労力の方が大きいと思いますので、このような作文作業は廃止したいと思います。また、(3)総合評価方式も、成果が出るまでに、ある程度の猶予を与えて、その間の評価は専門家に中立的に判断してもらい、内容のわからない人間の不必要な関与は排除します。文部科学省が行うべきことは、国立大学法人として、ある程度の独立性を獲得した国立大学が、創意工夫を凝らして、新しい大学運営の仕方を独自に切り開いていくことをサポートすることであって、文科省からの指示待ちの大学や文科省との密接な関係を維持することを使命と任じる大学事務官を増やすことではないはずです。
 
二つ目のガバナンス構造上の問題点は、財務省の予算策定プロセスと関係しています。すなわち、現在予算措置が、5-6年で成果を出すことを前提とし、かつ達成後には予算措置を廃止するサンセット方式に基づくものが主流となってきています。長期にわたって同額の予算を厳しい審査なく出し続けることの弊害は想像に難くないですし、震災復興などの公共事業や2020年の東京オリンピックに向けた各種のインフラ工事は時限付きとすることに違和感はありません。しかし、教育や研究など何十年も継続してやっと成果がでる分野に、期限付き予算措置を実施されると現場は大いに混乱します。例えば、日本において重点的な支援をうけるトップ研究大学の選別は、2003年の国立大学法人法導入以来、たびたび行われてきました。すなわち、2009年にはRU11(Research Univeresity11)ということで、9の国立大学と2つの私立大学がコンソーシアムを組んで、研究大学としての名乗りを上げました。さらに2014年には、文部科学省の指示で、スーパーグローバル大学創成支援校として13大学が選ばれました。一橋大学はこのRU11にもスーパーグローバル大学にも選ばれておらず、同窓会組織である如水会から大いに叱責を受けたところです。そして、今年2017年には文部科学省によって、指定国立大学という新たな枠組みが提示され、そこでも再び、研究中心の国立大学を選定するというプロセスが始まりました。
 
この10年にも満たない期間の間に3回もトップの研究大学を選抜する試みがなされたことになります。戦前期であれば7帝国大学が大学教育・研究の中核であることは揺るぎないものでした。それは戦後にも継承され、長らく旧帝大は特別扱いを受けてきました。そこには新規参入の余地はほとんど与えられてきませんでした。そのような状況から考えれば、この10年間の迷走をどのように考えればいいのでしょうか。文科省からすれば、旧7帝大プラス東京工業大学、筑波大学は多くの資金をつぎ込んで支援してきた重点大学であるので、今後も支援してきたい、しかし、それでは独法化以後、努力をして大学改革を進めてきた他の国立大学を評価しないことになるので、1-2校は新たに加えたい。また指定国立大学の枠組みではないが、私立大学の大学教育におけるウェイトが増加してくる中で、私立大学からも研究大学として扱うべき大学を加えたい、といった様々な思惑の結果が研究大学のリシャッフルを繰り返している理由ではないでしょうか。それに、先に述べたような財務省の財政ルールが重なって、極めて短期間に制度変更を繰り返しているのでしょう。
 
このような制度変更を一橋大学のように、このグループのボーダーラインにいる大学から見れば、文部科学省が何らかの枠組みをつくって、それに応募して、認定されると数年間その予算で事業を行い、またそれが切れるころには次の枠組みに応募するということが繰り返されていることになります。そのたびに大学を挙げて書類を準備し、申請書を出し、期間中に実施することを公約し、それが実施できないと減点の対象となり、予算が削減されるということになります。これでは、大学関係者は、落ち着いて長期的な研究や教育に取り組めませんし、人材の確保もできないというのが実情です。むしろ、大学の格付けはそれほど頻繁に変える必要はないものです。実際に、大学の評価や施設はそれほど短期間に変わることはないので、逆に、何度も研究大学を選んで、その評価をリシャッフルするということは、文科省が提示した制度的枠組みが間違っていたということを証明しているようなものであると解釈できます。間違っていたということが言い過ぎであるとしても、グローバルに競争していく研究大学に入りたい数多くの大学からの要望に文科省が右往左往しているということは否めません。
 
三つ目のガバナンス構造上の問題点は、二つ目の点と関連していますが、文科省がとった政策の事後評価は適切にされているのかということがあります。すなわち、文科省は少子化時代に入った後も、多くの新規大学の設置を認可してきました。そのうち多くの大学が定員割れをおこしており、経営難に陥っています。また新設大学でなくとも、法科大学院やビジネススクールなどの専門職大学院も数多く認可してきました。ご存知のように法科大学院では司法試験合格者を出せない大学が数多く出てきました。さらに、大学を大学院化した際に拡大した大学院生の入学枠を、多くの大学が満たしていない状況が続いています。文科省は就職先の見つからないオーバードクター問題や現役院生の就職先の確保の目途もつけずに大学院枠を拡大したことに対する本源的な対策は取らず、学術振興会のポストドクのポジションを少し増やした程度の対応に終わっています。文科省の返事は決まっていて、文科省としては、設置審議を適切にやっているので、その後の運営の巧拙は、各大学の自己責任であるということです。国全体の教育の全体像、将来の動きを総合判断して政策を実施していくのが文科省の責任であるとすれば、ごく短期に定員割れするような大学や大学院の設置許可を出したこと自体に問題があったと考えるのが常識ではないでしょうか。ここでは、大学に対する文科省の政策評価を議論していますが、小学校のゆとり教育に対する、計量的な事後評価などみることもないまま、次の政策にうつり、過去の政策のどこが悪く、どこが良かったのかも厳密に議論していないように見えます。大学に限らず、文部科学政策の多くの分野で、エビデンスベースの政策評価が欠落している現状はきわめて深刻な問題だと思います。
 
私は統計委員会の委員をしている関係で、文部科学省の基幹統計について説明を受けたり、審議したりする機会があります。多く文科省の実施している調査やテストの結果は、十分に利用され、政策評価や政策立案に利用されているという状況にはないというのが私の判断です。


 

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冬の国立キャンパス

3.経済研究所の未来像

 

一橋大学経済研究所は前身である東亜経済研究所が1940年4月1日に設立されてから、今年で77年になります。人間で言えば喜寿のお祝いをすべき年です。これまで多くの先輩研究者たちは、経済研究所で様々な研究を行い、後世に残る成果を出してこられました。我々経済研究所の現役世代は、諸先輩たちの功績を引き継ぎつつ、新しい成果を出そうと努力しているところですが、さらに将来を見据えて、どのように経済研究所を運営していけばいいのかを考えてみたいと思います。
 
過去の研究所の在籍者と現役スタッフとの違いは、我々の多くが、学部教育までは日本の大学で受けていますが、大学院教育はアメリカやイギリスの大学で受け、学位もそれらの大学で取得しているということです。すなわち、我々は、ハーバード大学、イエール大学、スタンフォード大学、オックスフォード大学など世界のトップ10に入るような大学で直接教育を受け、研究者としての基礎を叩き込まれてきた経験があり、日本の大学院教育や研究との違いを、身をもって知っているということです。
 
現在、日本の大学は世界大学ランキングでトップ100にもなかなか入れないという屈辱的な指標を前に、ランキングの仕方がなにかおかしいと感じつつも、これがゲームのルールであれば、世界ランキングを少しでも上げようと涙ぐましい努力をしています。我が一橋大学は、社会科学に特化した大学であり、規模も小さく世界ランキングのトップ500にも入れないという状況です。
 
同僚のHarry Wu特任教授はオーストラリアや香港などで、多くの大学に所属してきましたが、彼によれば、給与を別にすれば、一橋大学経済研究所の研究環境や同僚の見識は国際的に見ても素晴らしいレベルにあるということです。私も、20代半ばから30代半ばまで10年間をアメリカ、イギリス、フランスの3か国で学び、働いてきた経験からしても、一橋大学経済研究所の研究環境は世界的な大学・研究機関と比べても遜色がないと思います。同様のコメントは研究所に滞在された過去の海外客員教授・准教授たちからも聞かれます。私個人的には世界大学ランキングは、留学先を探す際に参考にすべき情報であり、それ以上のものではないと受けとめています。一橋大学への留学生は、当然ながら、大学の規模からして、規模の大きな大学のランキングにはかないません。しかし、世界大学ランキングには出てこない評価に基づいて一橋大学に留学してくる留学生もかなりいることは事実です。経済研究所の教員ができることは、質の高い教育を行って、社会や学界で活躍する卒業生を少しでも多く輩出させるということでしょう。
 
先に我々の多くが海外の一流大学で素晴らしい教育を受けてきたという経験があると書きましたが、ここには一つのジレンマがあります。少なくとも経済学に関していえば、アメリカの大学院教育の質の高さは際立っており、優秀な学部生がいれば、なるべくいいアメリカの大学院に学生を送り込むということが、当の学生のためではないかという判断があります。同時に、一橋大学大学院で教育を行って、次世代の研究者・教育者を育てている訳ですから、優秀な学生は一橋で育てて、次の世代を生み出すという考え方もあります。世界のトップ100入りを目指している大学の関係者としては、正論は後者の選択でしょう。これはただ単に一橋だけのジレンマではありません。日本中の大学関係者が悩んでいるところです。
 
同様のジレンマは高等教育を英語で行うか、日本語で行うかということにもあります。すなわち、世界から優秀な留学生を言語の壁なく受け入いれるためには、英語で全ての授業が受けられて、日本語という国際的にみて極めて特殊な言語をマスターすることのコストを削減するという戦略があり得ます。同時に、世界最高水準の研究までを日本語のみで行うことができるということは、日本の学問・芸術の水準を維持するためには必須であるという考え方もあり得ます。現在、一橋大学大学院では英語科目を増やすことで、留学生を増やすにとどまらず、国際的に活躍する日本人学生を育てることを目指しています。しかし、考えていただきたいのは、経済学のような実学は民間の経済活動や政府の政策立案に直接かかわる学問であり、日常の活動が日本語で行われている限り、日本語で平易に経済問題の解決策を提案できなければ、ビジネスマンや政策担当者、政治家を説得することは無理だということです。逆に日本人研究者の論文で国際雑誌に取り上げられることが多いのは、計量経済学やゲーム理論などの数理的な分野であり、金融政策や財政政策の実務に近い部分ではなかなか英語の微妙なニュアンスを表現できずに、取り上げてもらうことが難しい分野となっています。今後、ますますグローバル化が進んでいく中で、英語を使いこなすことは必須であることは事実ですが、同時に日本語でのコミュニケーション能力も磨くことは重要であると思います。
 
もう一つのジレンマは、国際的に高く評価される論文を書いて、国際学界で活躍している経済学者は、往々にして上述のようなジレンマを全く意に介さず、できる学生はアメリカに留学すべきであるし、授業を英語で行うことも、論文を英語で発表することも世界基準なのであるから、悩む必要もないという態度をとりがちであるということです。学界での成功体験に基づいて自信をもって主張されると、なかなか反論するのが難しいのですが、私は、大学に教育者・研究者として籍をおいている以上、その場所で最善の努力をして、ごく一部の分野でもいいので世界の研究のトップを行くような環境を作り上げていくべきだと思っています。京都大学にある数理解析研究所は世界のトップの数学者が集う拠点となっており、そこに世界中から頭脳が集まって来る環境があり、特に若手研究者には雑用をさせずに自由に研究できる環境が用意されているということです。京大の数理解析研究所は日本では無理だという考え方を変えてくれる、説得的な実例だと思います。また、フランスのトゥールーズ第1大学の中にある、産業経済研究所は非英語圏の中で、世界的な経済学者であるジャン・ジャック・ラフォンとジャン・ティロールが2人3脚で築き上げてきた素晴らしい研究機関です。彼らの組織運営の仕方や、経済支援をしてくれるパートナーの選択など、多くの点で模範となるものです。
 
一橋大学経済研究所でも、一つか二つの分野で世界の研究拠点の一つと認識され、そこには世界的な業績を挙げている研究者が数人いて、さらにその下に、若手研究者が集い、活発な研究を行っている環境を作っていきたいと思います。私は、それは不可能ではないと思います。どの分野に人材を集中するかということは難しいことではありますが、比較優位の原理やこれまでの歴史的な蓄積の中から冷静に考えてゆけばおのずと道は開かれてくるものだと思います。
 
もう一つ、私の希望として述べておきたいのは、年々の各自の研究の継続のために競争的資金を獲得することは避けられない事態ではありますが、経済研究所がある程度独自の調査や大型データベース化を行うために使える基金あるいは民間からの研究費を増やしておくことも重要だと思います。現在、文部科学省から配分される運営費交付金は毎年定率で削減されていますが、それを補う形で、競争的資金である科学研究費を順調に獲得しています。将来、さらに競争が激化してくれば、我々の科学研究費採択率全国1位の地位も危うくなる可能性もあります。そんな時に使えるような研究所独自の基金を獲得して、調査を継続できる体制を築いておくべきだと思っています。これはかなり組織的に対応しなければ難しいとは思いますが、終戦直後に、多くのロシア研究の資料を手に入れられたのも経済研究所が持っていた基金のおかげであります。政府の財政状況から独立した資金源をどこかに確保しておく必要があると思います。
 
最終的にいい研究所とはどのようなところか考えてみたいと思います。究極的には、いい研究をしている研究者のいる場所ということではないでしょうか。では、いい研究とはどういうものでしょうか。いい研究とは、歴史の試練を経ても読み継がれるべき古典となるようなもの、あるいは、特定の研究分野を切り開いたと誰もが認める独創的なもの、あるいは誰もが知りたいことではあるが、それを確認するには多くの時間や労力が必要で、これまで誰も手を付けてこなかったものを初めて明らかにしたこと、などではないでしょうか。いずれにしてもそれなりの時間と労力がかかるものであり、もしかしたら研究者一代では成し遂げられないようなものかもしれません。いい研究所とは、重要な研究を継続する後継者の育っている場所でもあります。また、そのために集う研究者は国の内外を問わない国際的なネットワークで繋がっており、様々な背景を持った研究者に開かれていることも重要なポイントです。
 
2年間の経済研究所所長職の間に多くのことを学びましたが、旧帝大の総長や附置研究所長が文科省からいかに予算を配分してもらうかということを熱心に語り、それ以外の資金調達法については想像だにしない姿を見て大きく落胆しました。J.F.ケネディ大統領はその就任演説で「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」と国民に呼びかけました。私も同じような意識で「国が経済研究所のために何をしてくれるかではなく、経済研究所が人類と世界のために何ができるかを考えませんか」と呼びかけたいと思います。
 
ここで表示した考え方や解釈は私の個人的なものであって、一橋大学や同経済研究所の公式見解を示すものではないことをお断りしておきます。
 


 

Reflections on Institute of Economic Research's activities: After serving two years as the Director of IER

(Professor, IER, Hitotsubashi University)
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cherry.jpg Reflections on Institute of Economic Research’s activities: 

After serving two years as the Director of IER


In March of 2017, I finished my term as the Director of IER. I am very grateful for your support and contribution during my term. I have not confronted any serious administrative and personnel troubles. My colleagues at IER are all active in their research and teaching, with timely and efficient support from research assistants and administration staffs. Overall, I am very happy with my two years’ achievements.

 
 

 

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I. My contributions to IER

 

(1) Initiated a peer review process of last five year’s IER activities by inviting a team of four eminent external reviewers and obtained their valuable feedback.  
(2) Promoted the Joint Usage and Research Center Programs within IER. We now accept a lot more applications involving collaborative research with domestic and international researchers on a wide range of topics.
(3) Acquired large Science Research Funds in terms of amounts and numbers.
(4) Promoted joint research agreements with Kyoto University, Osaka University, Keio University, Economic and Social Research Institute (Cabinet Office), Research Institute of Economy, Trade and Industry (Ministry of Economy, Trade and Industry), Institute for Monetary and Economic Studies (Bank of Japan), National Institute of Population and Social Security Research (Ministry of Health, Labour and Welfare), and NLI Research Institute (Nippon Life Insurance). In addition, joint seminars with Economic and Social Research Institute were held regularly.   
(5) Applied for some competitive government research projects. 
(6) Organized international conferences and research workshops. Also, invited foreign and domestic researchers to conduct joint research with IER researchers.  
 


 

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II. How does IER function?

 

As the Director, my main concerns were to make IER active in terms of research, publications, and organizing conferences, to keep IER open to everyone, and to put IER as the primary partner with other research institutes and academic society. 
 
The case in point is the Human Development and Capability Association Conference 2016 held at Hitotsubashi University on September 1-3, 2016. Over several hundreds of researchers from all over the world participated in this event. The list of notable guest speakers included Amartya Sen and other eminent economists, philosophers, sociologists, political scientists and environmental researchers. We gathered together and discussed various issues, rarely happens in other universities in Japan. Reiko Goto and Ryo Kambayashi brilliantly organized this event and helped turn it into a big success. This is just one example. We continue to create opportunities to do research and exchange ideas with individuals from different disciplines.  
 


 

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III. A role model for IER

 

To me, the role model for IER is the Institute for Industrial Economics (IDEI) at the University of Toulouse 1 Capitol. IDEI is a world class partnership-based research institute that was established by Jean Jacque Laffont in 1990 and followed by Jean Tirole.

IDEI’s dual objective: 
(1) To enable the group of economists at the University of Toulouse to compete at the international level,
(2) To offer businesses and administration an interface between their activities and economic research.
By addressing the theoretical and practical economic issues faced by private and publicly owned companies, IDEI allows decision makers to benefit from the cutting edge tools in the field of economic research.
 
Not to mention, the University of Toulouse is a national university and the French education and academic system is highly centralized and controlled by a small number of bureaucrats in Paris. A typical elite education in France is given to a very limited number of students at Grandes Écoles such as École nationale d'administration (ENA in short). These educational institutions are not regarded as universities but as high ranked professional schools. Laffont and Tirole try to challenge these highly established educational institutions in France in many ways. Problems they face are similar to the ones that we face at IER, Hitotsubashi University. For example, both France and Japan are non-English speaking countries with very strong academic traditions of its own. At the same time, both are facing international competitions in academic research and student admissions with, mainly English speaking countries including the USA and the UK. In addition, both are facing shrinking budget constraints from the respective central government. At the same time, both of these countries are committed to conduct leading research and are expected to rank high by the global standard.   
 
Laffont and Tirole’s solutions to these problems are very instructive to us. 
(1) IDEI invites international faculty members with strong research and teaching capacities. Many courses are given in English. Faculty communications are made in English. IDEI hires international support staffs to facilitate international faculty’s demands.    
(2) IDEI keeps a distance from the central government in terms of budget and choice of research topics. IDEI makes partnerships with the public agencies and private corporations. This arrangement makes IDEI financially and academically very independent from the central government. Also, the partners inspire some research topics that are faced in the real world of business and public agencies. To be more precise, the IDEI partners include Association Finance Durable et Investissement Responsible, Banque Centrale de Luxembourg, Banque de France, Electricité de France (EDF), Fédération Bancaire Française (FBF), Orange, La poste, Microsoft (TNIT), Paul Woolley, SCOR, and SNCF Réseau, along with other small partners.
 


 

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IV. Messages for the future generations of IER

 

In the previous IER Newsletter, Saumik Paul wrote a wonderful description of life at IER over four seasons. Indeed, IER is surrounded by beautiful natural environment. What a refreshing experience to walk in the woods behind the IER building after long hours of research work! You can hear birds singing their love songs. We enjoy watching frogs lay eggs in the pond of IER annex and then grow to tadpoles, and eventually to frogs undergoing a metamorphosis!
 
I wonder what the ideal research institute is. It must be the place where many researchers are engaged in various interesting research projects. It must be a place where researchers can exchange ideas and clarify their confusions with reliable colleagues. It must be a place where a series of important research outcomes continue to be generated by different generations of researchers. It also must be a place where all researchers are respected and face no discrimination in any respect. In other words, it must be a place where we treat others as one would wish to be treated.
 
In recent years, some researchers from Hitotsubashi University moved to the US and other Asian universities because of attractive salaries and research environments. At the same time, some researchers joined us because of IER’s excellent research conditions. We are not the best in every respect, salary in particular! But as long as we keep IER as a premier research institute as it is now, many conscious researchers will agree to join us.  
 
My great teacher, Amartya Sen taught me a lot of things on various occasions. When I was searching for a Ph.D. thesis topic, he suggested that I should choose a topic that is fundamentally important and challenge the views raised by the great researchers or thinkers. What he actually meant was not to waste your precious time on a very minor improvement or on a trivial question. I have kept his message in my mind ever since.    
 
I would also like to ask young researchers at IER to challenge the issues raised by President John F. Kennedy in his Inaugural Address (January 20, 1961, Washington DC) for a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease and war itself. Alas, this problem is still not resolved. 
 
J.F. Kennedy went on saying, “Can we forge against these enemies a grand and global alliance, North and South, East and West, that can assure a more fruitful life for all mankind? Will you join in that historic effort?” and asked, “my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man”.
 
I would like young researchers at IER “to ask not what the government can do for IER, but to ask what you can do for the world and the humankind”. That must be the ultimate mission of IER.