(2)第2次産業の生産額の推定

 

 解放前の朝鮮の主産業が第1次産業であったのに対して、1960年代以降の韓国では第2次産業が経済発展を支えるようになる。これに対応して、この産業を巡る統計調査も充実してきた。鉱工業の動きをしめす動態統計からは、鉱工業生産指数が月レベルで公表されてきているし、工業の構造を示す工業センサスも毎年実施されてきている。また、第2次産業については、新旧 SNA の数値の間に組織的な断層はみいだせない。このことから、主たる作業は解放前の生産金額の推定、付加価値率の確定、解放前後の実質値の接続にあることになる。

 第2次産業の生産の推計に当たって、政府生産の取扱をどうするかについて論じておく必要がある。1968 SNA では、市場機構に対応して経済活動をおこなう「産業」と、政府・民間非営利団体対個人サービスを分離して計上する方式がとられている。本論でもサービス生産についてはこの方式によっているが、第2次産業の生産については、政府生産を産業に加算することにした。これは、発展段階初期の政府生産を分離して捕らえた場合、産業構造に歪みが生じることを考慮したものである。

 

(2−1)製造業の生産

 

 解放前の鉱工業生産の推計は溝口(1975)において全朝鮮についての名目・実質生産額及び付加価値額の推定と、両者の南北分割が行われているので基本的にはそれに依存した。推計方法等については、同著の参照にゆだねるが、そこで行われている若干の特色に言及すると、

  1. 初期の時点で調査が欠落したと思われる品目について補完作業を行ったこと、
  2. 実質生産額の推計は基本的には生産数量の情報によったが、数量情報がえられらい一部年次については、物価データを利用して実質化した、

ことが挙げられる。この作業の基礎となった金額および数量データは、表2−5に示されている。

 同著発刊後、Suh(1978)が公刊されたので、今回の作業に当たって産業別の生産額および付加価値額の比較を行ったが、この結果行われた調整は小規模にとどまっている。この結果得られた産業別工業生産の構成は表2−4に示されているが、溝口(1975)と大差はない。一方、Suh 推定における重要な指摘は、総督府統計には含まれていない家内工業の生産額の推計である。今回の改定に当たっては、この推計値をそのまま名目値に加えるとともに、非家内工業から選られるデフレータを利用して実質化を行った。

 表2−12−22−3に示された鉱工業の解放後の数値は、張成鉉(1997)に示された 1968年 SNA の数値を利用した。解放前後の実質鉱業生産額の接続に当たっては、両期間における生産数量によって生産指数を作成して接続した。一方、工業については、解放前後を接続できる十分な生産数量データを得ることが困難であったため、溝口(1975)で推計した工業生産用の産業別物価指数で接続を行い、実質金額を産業間で合計して実質工業生産額を計算した。なお実質付加価値の計算に用いる付加価値率は名目付加価値率と同一としているが、ここには改良の余地を残している。

 

(2−2)其の他の第2次産業の生産

 

 解放前の熱・エネルギー・水供給業の主体は電力事業であるが、おおむね株式会社形式でおこなわれている。一部総督府による事業もあるが、この運営形態別の区分はおこなわない。この点で政府生産分離を原則とする 1968 SNA との間に若干の相違がある。この分野については詳細なデータが

朝鮮総督府 『電気事業要覧』

から得ることができ、全朝鮮についての電力供給量、金額を把握することができる。また付加価値率の推計も可能である。問題は南北分割に際して、供給地ベースによるか発電地ベースによるかによって数値に大きな差がでることであるが、本推計では発電地ベースによることにした。其の他の熱・エネルギー供給業としてはガス供給業の生産を加えてあるが、その比重は比較的小さい。水道生産については、地方政府の水道業収入を利用し、戦前戦後の接続は利用世帯数を用いた。この部分についても、電気事業との整合性をたもつために政府・民間部門の分離は行っていない。

 上記の3産業と比較して建設業の推計には多くの困難をともなう。幸い、李潤根(1971)では、政府および民間の建設事業についての情報を収集し 1926年から 1935年の名目生産額および付加価値額を計算している。一方 表鶴吉(1996)は、建設投資の名目および実質額の推計を行っているので、それを指数化して李推計にリンクして解放前の系列を推計した。実質額の解放前後の接続に当たっては、溝口(1975)にしめされた、建設投資用の物価水準比較をデフレータとして利用した。表2−2によれば、解放後の第2次産業の実質付加価値額が解放前の最高水準を超えるのは 1960年代初期となっており、第1次産業と比較して遅れがみられる。