中国鉱業生産額の推計:1912‐1949年

Estimates of Chinese Mining Output : 1912-1949



関  権  (一橋大学)

牧野文夫(東京学芸大学)

1999年12月

目次

T はじめに


U 現存資料と過去の推計作業の検討

    2.1 資料の吟味
    2.2 過去の推計作業

V V 推計方法と結果の検討

    3.1 推計方法
    3.2 結果の検討

W おわりに


統計付録:表1の品目別鉱業生産量の資料・推計手続の解説

文献

    



T はじめに


 戦前期中国鉱業生産については、農業や製造業などの場合と同様に、未だにその全貌は明らかにされていない。その主要な理由の1つはこれらの産業部門に関する統計資料の欠如にあるが、最も根本的な原因は、近代中国の社会・経済・政治のあらゆる側面において不安定な状態が続いたことである。すなわち、一連の軍閥による戦乱や「満州事変」(1931年)及び「日中戦争」(1937〜45年)の勃発により、本来の意味での統一国家が実現できなかったため、包括的な統計調査はほとんど不可能であった。またその後の「国共内戦」期(1945〜49年)は、さらに状況が悪化し、もっとも統計数字の乏しい時期であった。現存する統計数字の信頼性が大いに問われる所以である。

 ところで、鉱工業には農業に存在しない要素すなわち「外国資本」が存在する。これは特に鉱業で顕著である。鉱業は工業生産に不可欠な基礎資材を供給する産業であり、列強が中国を支配しようとする直接の対象であった。たとえば産出量を基準に外国資本が占める割合を計算すると、石炭(近代炭鉱)については1912〜37年平均で78.4%、銑鉄については1900〜25年で100%、1926〜37年で96.4%にのぼる1) 。それに比べて、主要製造業では、綿紡績が30%、綿織物が60%、マッチが10%、たばこが50%、セメントが20%、電力が60%という比率で、鉱業よりは相対的に低位であった 2)。外国資本によって経営された鉱山から産出された鉱産物は、ほとんどが中国国内で加工されることなく外国に輸出された。これは後進国特に植民地(あるいは半植民地)経済の大きな特徴の1つであった。

 戦前期鉱業生産の全貌に関する正確な把握は、きわめて困難であるが全く不可能とは言えない。後述するように、不完全でありながらも1912〜42年をカバーするデータは存在するからである。そこでまず基礎データの整備から着手せねばならない。本稿ではまずこの努力を試みる。鉱業生産に関する統計データの発掘・推計を通じて、戦前中国の鉱業生産3)の全体像を描く糸口を開く。

 まず第U節では、戦前期の鉱業生産に関する統計調査の内容・性格などを検討した上で、それらの資料を利用した既存研究を紹介する。続いて第V節では、本稿の推計方法及びその結果の検討を行う。最後に、本推計の意義と問題点を指摘する。



脚注


  1.  外国資本の範囲は、石炭については直接投資と共同投資の合計、銑鉄については共同投資と借款の合計である。詳細は厳等[1955, 124,127-129頁]を参照。

  2. 1922〜36年の数字であるが、産業によってその期間が異なる。詳細は厳等[1955, 131頁]を参照。

  3. なお本稿では、銑鉄・鋼・セメントなど本来は製造業に含まれるべき品目も、当時の慣習にしたがって差し当たり鉱業に含めた。