U 現存資料と過去の推計作業の検討






2.1 資料の吟味


 自然資源の賦存条件は一国の経済発展(特に工業化の段階において)に大きな影響を与えるから、政府は鉱業統計の整備に力を入れる。しかしながら周知の理由で、戦前期の地質調査はまず外国人によって行われた。石炭について言えば、ドイツ地質学者のリヒトホーフェン(F.P.W. Richthofen)が、早くも1861年と1868年に二度にわたって中国の大半を歩き回って数多くの地質資料を収集した。帰国後、彼は中国の石炭埋蔵量に関する推計数字を発表した。それによれば、山西省だけでも1兆8900億トンにのぼり、当時の消費水準で計算すれば全世界で以後1300年消費できるという1)。この数字があまりにも過大であったことは、その後のいくつかの調査によって明らかにされた。アメリカ人の北洋大学教授・ドレーク(N.F. Drake)はその代表的な1人であり、彼は1913年にカナダで開かれた国際地質学会で、中国(東北と新彊を含まず)の石炭埋蔵量は9,966.13億トンと報告した。また、日本地質調査所長の井上禧之助は395.65億トンという数字を発表した2)

 中国もその例外に漏れず、政府鉱業統計は、決して十分とは言えないが農業や製造業などに比べると比較的整備されており、ある程度連続的データが存在する。以下、その主要な資料を簡単に紹介しよう。

 (1)『中国鉱業紀要(第1〜7次)』

 1912年孫文革命後、中国では独自の調査機関が次第に整備され、本格的な地質調査が開始された。その調査成果は『中国鉱業紀要』(以下『紀要』と略称する)に1921年から1945年までの間に合わせて7次にわたって発表され、比較的信頼できる資料として評価されている。それらの書誌的概要は以下の通りである。

主な対象時期刊行年著者・編者頁数発行所
第1次 1916年1921年丁文江・翁文絨46頁農商部地質調査所
第2次 1925年1926年謝家栄362頁同上
第3次 1927年1929年侯徳封366頁農鉱部直轄地質調査所
第4次 1930年1932年同上456頁実業部地質調査所・国立北平研究地質学研究所
第5次 1932〜34年1935年同上628頁同上
第6次 1935〜40年1941年金燿華253頁経済部中央地質調査所・国立北平研究院地質学研究所
第7次 1935〜42年1945年白家駒772頁同上

 日本国内には、この中で第1次〜第5次までは少なくとも東京都立大学付属図書館・松本文庫に揃っている。しかし第6次と第7次は戦時中に編集されたためだろうか、その所蔵先はきわめて限られており、同文庫のみならず他のいくつかの有力な関係図書館(一橋大学・(財)東洋文庫等)でも所蔵を確認できなかった。また中国でも所蔵先は少なく、われわれは北京の社会科学院経済研究所所蔵本を複写して利用した3)

 『紀要』の内容は各回で多少違いがあるものの、大まかに「全国鉱産統計」と「各省鉱業近況」の2つの部分から構成されている。全国鉱産統計には、主要鉱産の埋蔵量・生産量・輸出入量・価格などに関する記録がある。石炭などの重要な鉱産物についてはかなり詳細に記録されているが、あまり重要ではないあるいは十分把握していないものについては、ごく簡単にしかふれられていない。

 内容は、主として各地の地質調査所によって実施された直接調査や郵便調査及び税関報告などの資料に依拠している。ほかに、学者個人の調査、鉱業団体の年報・専門書、官庁の公表数字なども利用された。生産量の推計方法は品目によって異なっており、平均日産・輸出量・消費量・鉄道輸送量・労働生産性・鉱山の状態などさまざまである。

 たとえば石炭の埋蔵量をみると、『紀要(第1次)』によれば、400〜500億トンであるが、『紀要(第2次)』では2,176.16億トン、さらに『紀要(第5次)』では2,436.69億トンと推定されている。1949年に4,500億トン、1982年に6,400億トンと発表されているから4)、中国の石炭埋蔵量に関する『紀要』の調査結果は徐々に実数に近づいてきたようだ。

 (2)『農商統計表(1〜10次)』

 これは近代中国で最初の包括的統計調査書であり、1910年代(正確には1912〜21年)の鉱工業・農業・商業に関する幅広い統計を網羅している。しかし冒頭で述べたように、当時の政治・経済・社会の諸事情のためこの調査の精度は極めて低く、そのままでは利用できない5)。ただしこの時期の鉱業生産については、『紀要』では十分把握していなかったため、そのチェック材料あるいは補足資料として利用できる。

 (3)その他資料

 上記2種類の資料以外に二次的資料が多数ある。たとえば中央党部国民経済計画委員会[1937]には、1925〜34年の10年間の鉱業生産量や単価及び生産額が記載されている。そのデータは基本的に『紀要』に基づいている。また東亜研究所[1942]には、欧米の統計書から集められた1925〜40年の鉱業生産量が載せられているが6)、中国の部分は、基本的に『紀要』及び『海関統計』に基づいている。さらに、譚[1948]には金属鉱業品に関する時系列データが、曹[1946]には銅や錫及び鉛など主要金属鉱業の生産量が示されている。ほかに、国民政府主計処統計局[1947]では1940年代(全国)の数字が、東北財経委員会調査統計処[1949]では1940年代前半(東北部)の数字が、それぞれ記録されている。呉[1929]及び楊[1940]などの産業史にも、一部のデータが載せられている。


2.2 過去の推計作業


 以上紹介したように、戦前中国の鉱業生産に関する統計資料は、ある程度あるもののいずれも不完全である。したがって、データが存在しない空白部分を埋める推計作業と、データはあるものの正確でない部分の修正作業とが必要である。これまでに、鉱業生産に関する全面的な推計作業は行われていないが、一部の時期や一部の品目に関する研究はいくつか存在している。

 (1)厳中平等の推計

 厳等[1955]は、厳密に言えば推計ではなく資料集である。ただし、同書の「編集説明」には「ここで発表した数字の多くは、われわれが加工したものである」と書かれていることから、かなりの数字には編集者が手を加えられていると考えられる。少なくとも断片的な数字を接続する時に、あるいは複数の代替系列から1つを選ぶときに、何らかの工夫がされたと判断してよいであろう。

 (2)Chang推計

 Chang[1969]は、戦前中国の近代工業に関する数量分析としてよく知られる。彼の最も重要な貢献は、1912〜49年の工業生産指数を作成したことにある。彼が使った石炭・鉄鉱石・銑鉄・鋼・アンチモン・銅・金・水銀・錫・タングステン・綿糸・織物・セメント・原油・電力の15種類鉱工業製品の中で、鉱産物は9種類(銑鉄・鋼・セメントを含むと12種類になる)にものぼる。この点は、工業生産指数と銘打ちながら鉱産物を余りにも多く含んでいるため、しばしば批判を浴びたところである。工業全体に占める鉱業のシェアが小さいにもかかわらず、彼の推計は大きく鉱業に偏ってしまったからだ7)

 (3)その他の推計

 以上のほかにも2種類の推計作業がある。1つは、個別品目に関するものである。たとえば、石炭に関する中国近代煤鉱史編写組[1990]がその代表である。もう1つは、個別年次に関するものである。巫等[1947]やLiu and Yeh[1965]及び呉[1990;1993]などである。



脚注


  1. 胡[1935]4頁。

  2. 『鉱業紀要(第2次)』13頁。

  3. 第6次と第7次の複写本は一橋大学経済研究所資料室にも寄贈した。

  4. 1949年数字は謝家栄「中国的煤田」『科学大衆』1954年3月号(中国近代炭鉱史編集組[1990、66頁]脚注4を参照)による。1982年数字は『中国石炭工業年鑑(1983年版)』石炭工業出版社、1頁による。

  5. 『農商統計表』の調査精度について、Chang[1969]および関[1998]を参照。

  6. 出所統計書については東亜研究所[1942]を参照。

  7. 巫等[1947]によれば、1933年国民純生産は鉱業全体が238百万元で、近代製造業が498百万元で、鉱業全体は近代製造業のほぼ半分になっている。しかも、鉱業の中に前近代的生産方式による部分も含まれているため、近代鉱業が近代工業全体に占める割合はもっと低くなる。