W おわりに



 最後に、本推計の意義と問題点をあわせて4点指摘しておく。第1に、本推計は戦前中国の鉱業生産に関する最初の包括的推計であり、この時期の鉱業発展の実態を把握するために重要な数量的材料を提供する。本文で述べたように、これまでにChang推計があっただけだが、研究の目的が異なるために鉱業全般の推計ではなかった。

 第2に統計付録を読めばわかるように、本推計はほとんどが直線補間か、ある大胆な仮定にもとづいて得られたものである。しかし特定の鉱産品の生産量の間には時間的な相関関係が存在すると想定してもよいだろう。たとえば、近代部門の石炭が増えれば逆に在来部門のそれが減少する、というような関係である。したがってデータが整備されている信頼度の高い系列を使って、他の産品の欠けている年次の生産量を推計する方法も試してみる価値がある。これは次の課題である。

 第3に、価格や純付加価値率をすべて1933年に固定したが、これも各年値を求める努力がなされなければならない

 第4に、本推計は鉱業の生産面に限定したが、将来は消費面の研究のために基礎的材料を提供する。これに輸出入量を調整し、在庫について何らかの仮定をおけば、消費量が分かるからである。そして基礎資材・エネルギーの消費量から、逆に製造業の生産・稼働状況について情報を得ることができる。

 しかし1940年代、特に1945年以降の時期に関するデータが不足しているため、この時期の推計精度が落ちる。これらの情報がこの部分の推計を改善する鍵になっている。また、東北部(旧満州国)に関する資料を整理することも、今後の課題である。



統計付録


表1の品目別鉱業生産量の資料・推計手続の解説


1 鉄鉱石(Iron Ore)

 1912〜37年「近代・在来」は厳等[1955、102-103頁]。38〜49年の「近代」はChang[1969, pp.117-127]。「在来」は30年代のレベルを維持すると仮定して40万トンとした。

2 銑鉄(Pig Iron)

1912〜37年「近代・在来」は、厳等[1955、102-103頁]、38〜48年の「近代」はChang[1969, pp.117-127]、「在来」は30年代のレベルを維持すると仮定して13万トンにした。49年の「合計」は国家統計局[1959、84頁]。

3 鋼(Steel)

1912〜37年は厳等[1955、141-142頁]、38〜48年はChang[1969, pp.117-127]、49年は国家統計局[1959、84頁]。

4 マンガン(Manganese Ore)

1912〜34年は『紀要(第1〜5次)』、35〜37年は東亜研究所[1942、63頁]、38年は国民政府[1947、28-29頁]、40〜44年は東北財経委員会[1949、170-171頁]、46年は国民政府[1947、28-29頁]による。1915,19,20,22,24,34,39,45年は直線補間し、47〜49年はその前時期の数字を維持したと仮定して3万トンにした(Chao[1965, p.121]の数字はあるもののあまりにも低すぎるため採用しなかった)。

5 タングステン(Tungsten Ore)

1916年、18〜37年は厳等[1955、139-140頁]、17年は楊[1938、435頁]、38〜42年は『紀要(第7次)』4頁、43〜44年は譚[1948、K4頁]、46年は国民政府[1947、28-29頁]による。47〜49年はChang[1969, pp.117-127]。なお12〜15年はすでに採掘が始まり、徐々に16年水準に近づくと仮定した。45年は前後年の平均値。

6 金(Gold)

1912〜16年、25〜42年は『紀要(第1〜7次)』。17〜24年は直線補間した。43〜47年は43年をピークにして下がると仮定して埋めた。

7 銀(Silver)

1916年、25〜38年、41〜42年は『紀要(第1〜7次)』、12〜15年、17〜24年は16年のレベルを維持したと仮定した。39〜40年は直線補間した。43〜49年は5万両を維持したと仮定した。

8 銅(Copper)

a系列:曹[1946、24-25頁]。b系列:1925〜34年は中央党部[1937、80-81頁]、35〜42年は『紀要(第7次)』(5頁)。12〜24年、43〜49年はChang[1969, pp.117-127]。

9 鉛鉱石(Lead Ore)

1912〜42年は『紀要(第2〜7次)』。ただし17〜19年、21〜24年は直線補間した。43〜49年は3千トンを維持すると仮定した。

10 鉛(Lead)

1916年、25〜42年は『紀要(第1〜7次)』。43〜45年は国民政府[1947、28-29頁]。12〜15年、17〜24年を1千トンに仮定し、46〜49年は500トンを維持したと仮定した(20年の数字も修正した)。

11 亜鉛鉱石(Zine Ore)

1912〜42年は『紀要(第2〜7次)』。ただし17〜19年、21〜24年は直線補間した。43〜49年は5千トンを維持したと仮定した。

12 亜鉛(Zinc)

1916年、25〜42年は『紀要(第1〜7次)』。43-45年は国民政府[1947、28-29頁]による。12〜15年、17〜24年、26〜31年は1千トンに仮定し、46〜49年は300トンを維持したと仮定した。

13 錫(Tin)

1912〜37年は厳等[1955、141-142頁]、38〜42年は『紀要(第7次)』(5頁)。43〜49年はChang[1969,pp.117-127]。

14 水銀(Quicksilver)

1912〜37年は厳等[1955、141-142頁]、38〜42年は『紀要(第7次)』(5頁)。43〜49年はChang[1969, pp.117-127]。 なお24年、32年の数字を30トンに換え、48〜49年は47年の水準を維持したと仮定した。

15 アンチモン(Antimony)

1912〜44年は譚[1948、K6-7頁]、46-49年はChang[1969, pp.117-127]。45年は直線補間した。

16 モリブデン(Molybdenum Ore)

1929〜42年は『紀要(第4〜7次)』。『紀要(第3次)』308-309頁によれば、福建では21年まで年に約34トンを産出したが、その後中止した。また『農商統計表』には年に約20〜40トンという記録がある。ほかに、20年約16トンという輸出の記録がある。したがって、12〜20年代の前半までは毎年20〜30トンを生産したが、その後28年まで減少したと仮定した。43年以降については的確な資料がないため、恣意的判断しかできないが、毎年5トンに仮定した。

17 砒(Arsenic Ore)

1926〜40年は『紀要(第3〜7次)』。この鉱産物のほとんどは雲南・四川・湖南から生産され、長沙・漢口などの港から外へ輸送される。したがって、12〜25年についてこれらの港からの輸送量を生産量として利用した(『紀要(第2次)』235-236頁)。41年以降については特に手がかりがないため、100トンに仮定した。

18 蒼鉛(Bismuth Ore)

1920〜23年は輸出量(楊[1938、703頁])、25〜42年は『紀要(第2-7次)』。この鉱産物は中国ではそのほとんどが輸出される。1924年は前後年の平均値、12〜19年は毎年10トンずつ伸びると仮定した。43年以降は30トンと仮定した。

19 石炭(Coal)

a系列は中国近代煤鉱史編写組[1990、538頁]。b系列(「近代」・「在来」)の1912〜37年は厳等[1955、102-103頁]で、38〜49年の「近代」はChang[1969, pp.117-127]。「在来」は30年代のレベルを維持したと仮定して600万トンとし、両者を合わせて最終的な数字とした。

20 石油(Mineral Oil)

Chang[1969, pp.117-127]。1912年を1バレルと仮定して、資料の数字をそのまま採用した。

21 粘土(Kaolin and Fireclay)

1925〜42年は『紀要(第2〜7次)』、16〜18年は『農商統計表』。12〜15年は16〜18年と同じレベルの2万トンにした。19〜24年は、18年と25年を直線補間し毎年1万トン増やすようにした。43〜49年は30万トンと仮定した。

22 セメント(Cement)

Chang[1969, pp.117-127]。

23 石灰石(Limestone)

1925〜34年は『紀要(第2〜5次)』及び中央党部[1937、73頁]。石灰石はセメントの原料であり、建築材料でもある。したがって、石灰石の生産は大きくセメント工業の発達と建築の需要に左右される。『農商統計表』には安定しないものの、50万トンの記録がある。ここでは、25万トン(1912年)から出発して次第に25年の水準に近づくようにした。35〜49年は東北部の成長が著しかったため伸び続いたと仮定して500万トンにした。

24 塩(Salt)

 1912〜17年、25〜42年は『紀要(第2〜7次)』、43〜46年は南開大学[1991、312-313頁]、49年は国家統計局[1959、89頁]。塩の生産は戦前期では一貫して安定しているため、空白の期間について毎年300万トンと仮定した。

25 石膏(Gypsum)

 1916〜35年は『紀要(第1〜5次)』。石膏の用途はきわめて広く、中国自身の生産だけでは需要に間に合わず、毎年大量の輸入に依存していた。1910年代に関して『農商統計表』の数字があるが、安定したものではないためそのまま使えない。したがって、16年の数字を中心にして25年の数字とつなぐように、12〜24年の空白を埋めた(2年間1万トンずつ増えると仮定)。43年以降は4万トンと仮定した。

26 明ばん(Alum)

 1914〜19年は『農商統計表(第3〜8次)』、25〜42年は『紀要(第2〜7次)』による。12〜13年は8千トン、20〜24年・38〜40年・43〜49年はそれぞれ1万トンと仮定した。

27 硝(Saltpeter)

 1916年は『農商統計表(第5次)』(286頁)、25〜34年は『紀要(第2〜5次)』及び中央党部[1937、72頁]、39〜45年は国民政府[1947、28-29頁]、46〜47年は中華民国主計部統計局[1948、128頁]。16年の数字を利用して25年の数字とつなぐように、2年間に1千トンずつ増えると仮定して12〜24年の空白を埋めた。35〜38年は毎年4千トン、48〜49年は2千トンと仮定した。

28 自然鹸(Natural)

 1915〜18年、25〜42年は『紀要(第2〜7次)』。他の年次は原則として直線補間し、43〜49年は3万5千トンに仮定した。

29 硫黄(Sulphur)

 1925〜42年は『紀要(第2〜7次)』、43〜45年は国民政府[1947、28-29頁]、46年は中華民国主計部統計局[1948、128頁]による。『農商統計表』には、12〜19年生産額及び生産量(一部の年次)の数字があるが、安定した数字ではない。その中で16〜18年1,500〜2,300トンという数字は『紀要』の数字に比較的近い。したがってこの時期について、これらの数字を中心に延長させた。47〜49年は2千トンと仮定した。

30 石綿(Asbestos)

 1915〜38年は『紀要(第1〜7次)』。なお24年以前の時期については、16年の数字は最も完全だが(省別データ)、その後の時期については過小評価の可能性がある(バウエル[1939、138頁])。ここでは一応元の数字を尊重した。12〜14年は15年の数字に近い100トン、39〜49年は38年と同じように700トンと仮定した。

31 蛍石(Fluorspar)

 1919年は、蛍石の大部分は日本に輸出することから、同年の輸出量(『紀要(第2次)』326-326頁)を百トンに上方修正してその年の生産量にした。25〜39年は『紀要(第2〜7次)』、40〜44年は東北財経委員会[1949、287頁]による。17年〜24年は18年と25年を結んで直線補間・延長した。45〜49年は2万トンにした。

32 滑石(Talc)

1916、18〜42年は『紀要(第1〜7次)』による。滑石は遼寧省が最も有名な産地であり、その生産量はほぼ全国のものとして考えて良い。17年は直線補間し、12〜15年は毎年1千トンずつ増えると仮定した。43〜49年は7万トンに仮定した。

33 マグネサイト(Magnesite)

 マグネサイトは1915年に遼寧省で発見され開発され始めた。33年に日本が日満マグネサイト株式会社を設立し、鉱石を日本に運んでマグネサイトを生産した(『紀要(第2〜5次)』)。20〜36年『紀要(第2〜7次)』。37年、40〜43年東北財経委員会[1949、283頁]。15〜19年を20年とつなぐようにし、38〜39年については直線補間した。45〜49年は50万トンを維持すると仮定する。

34 白雲石(Dolomite)

 1916〜34年は『紀要(第1〜5次)』及び中央党部[1937、73頁]、40〜43年はこの鉱産物が遼寧省を中心に産出されていることから、東北財経委員会[1949、283頁]をそのまま全国のものとして利用する。12〜15年は毎年1千トン増加すると仮定した。35〜39年、44〜49年は毎年15万トンと仮定した。

35 長石(Feldspar)

 1932〜34年は『紀要(第5次)』(287頁)による。19〜31年は毎年2千トン増えるように32年の数字と結ぶ。35-49年は少しずつ低下していくと仮定する。

36 重晶石(Barite)

1918〜19年、32〜36年、38〜42年は『紀要(第2〜7次)』。20〜31年は500トンで一定としその前後の数字をつないだ。37年は前後年の平均値。43〜49年は1万5千トンを維持すると仮定する。

37 石英砂(Quartzite & Quartz Sand)

1932〜34年は『紀要』。37年、40〜43年は東北財経委員会[1949、284頁]。石英砂は主にガラス工業の原料として使われるため、ガラス工業の発達と密接な関係を持つ。ガラス製造の歴史が長く、近代的生産も20世紀に入ってから伸びていった。したがって、石英砂に対する需要量は増えつつあると考えられる。19〜31年は継続的に増加すると仮定した。35〜36年は15万トン、38〜39年は25万トンにした。44〜49年は20万トンを維持すると仮定する。



文献目録


日本語文献

 バウエル、ハインリッヒ(高山洋吉訳)[1939]『支那鉱業論』日本評論社(原文はドイツ語)。

 関権[1998]「1910年代中国工業生産額の推計:『農商統計表』の評価と修正」Discussion Paper No.D97-16(一橋大学経済研究所)。

 東亜研究所[1942]『世界鉱産統計(1925〜40)』岩波書店。

中国語文献

 曹誠克[1946]「三十年来中国之鉱冶工程」中国工程師学会編『三十年来之中国工程(上)』(周開慶編:近代中国経済叢編6)台湾華文書局。

 東北財経委員会調査統計処[1949]『偽満時期東北経済統計・1931〜45年』(木庭俊解題『旧満州経済統計資料』柏書房、1991年)。

 国家統計局[1959]『偉大的十年』人民出版社。

 国民政府主計局[1947]『中華民国統計提要』。

 胡栄銓[1935]『中国煤鉱』商務印書館。

 南開大学経済研究所経済史研究室(編)[1991]『中国近代塩務史資料選(3)』南開大学出版社。

 農商部/実業部地質調査所『中国鉱業紀要』(第1〜7次)

 農商部『農商統計表』(第1〜10次)。

 譚煕鴻[1948]『十年来之中国経済(上・下)』南京古旧書店。

 巫宝三等[1947]『中国国民所得 1933年』(上冊)中華書局。

 呉承明[1990]「1920年総産値的推計」(許滌新・呉承明『中国資本主義発達史(第2巻)』人民出版社)。

 ――[1993]「1936年総産値的推計」(許滌新・呉承明『中国資本主義発達史(第3巻)』人民出版社)。

 呉承洛[1929]『今世中国実業通誌(上)』商務印書館。

 楊大金[1940]『現代中国実業誌(下)』商務印書館。

 厳中平等[1955]『中国近代経済史統計資料選辞』科学出版社。

 中国近代煤鉱史編写組[1990]『中国近代煤鉱史』煤炭工業出版社。

 中華民国主計部統計局[1948]『中華民国統計年鑑』。

 中央党部国民経済計画委員会[1937]『十年来之中国経済建設』南京扶輪日報社。

英語文献

 Chang, John K.[1969] Industrial Development in Pre-Communist China: A Quantitative Analysis, Aldine Publishing.

 Chao, Kang[1965] The Rate and Pattern of Industrial Growth in Communist China, Ann Arbor、Michigan.

 Liu, Ta-chung and Kung-chia Yeh[1965] The Economies of the Chinese Mainland: National Income and Economic Development,1933-1959, Princeton Univ. Press。

 Wright, T.[1984] Coal Mining in China's Economy and Society 1895-1937, Cambridge University Press.