V 推計方法と結果の検討






3.1 推計方法


 本推計の目的は、鉱業生産の時系列データを作成することにある。すなわち、生産量や生産額及び付加価値の長期系列を品目別に推計する。前節で紹介した資料には物量データが金額データより多く掲載されているため、生産量の推計から出発することは得策である。また、生産量は生産額と比べて価格変動の影響を受けない利点も持っている。推計された生産量から生産額及び付加価値額などを計算するが、生産量の推計は最も基礎的で最も重要な段階である。

 本作業の目的から見れば、できるだけ多くの品目を取り扱うことが好ましい。したがって、情報量の最も多い『紀要(第5次)』から37品目を選んだ1)表1[エクセルフォーマット](原データの部分)では品目別生産量が示されているが、一般的に金属鉱産物のデータが非金属のそれより良いことが分かる。近代工業の原材料として、金属は非金属と比べてより重要な地位を占めたからであろう。

 (1)生産量の推計

 推計の詳細は統計付録に譲るが、大まかに言えば次の方法を採用した。第1に、一部については他の推計成果、たとえば、Chang推計をそのまま利用した。ここで、Chang推計に関するコメントを3つ付け加える。1つは、Chang推計では統計数字が最も多く残されている品目が選ばれており、彼が独自に推計した部分は少ないということである。第2は、彼の研究は対象を近代部門に限定しており、在来部門については特に論じていないことである。本研究の目的からすれば、後者を無視するわけにはいかない。しかし、現実的にその両者が区別できる品目は鉄鉱石、銑鉄、石炭しかない。この3品目の在来生産について、われわれが独自に推計せねばならない。幸い、石炭について石炭部の推計があるためあまり問題にならない。第2に、表1[エクセルフォーマット]以外の断片的情報を参考して空白部分を埋める。特に1910年代についてはその必要性がある。一部の品目について、輸出量をそのまま生産量として採用した。第3に、品目によっては産地が限定されているため、特定地域のデータで全国の数字を代替する。たとえば、滑石や白雲石は遼寧省が産地であり、1940年代について東北部の数字をそのまま利用した。以上の方法で推計した結果は、表1[エクセルフォーマット]のイタリック体の数字として示されている。

 (2)生産額と付加価値額の推計

 次に生産量から生産額と付加価値を求めるが、そのためには価格データが不可欠である。『紀要(第1〜5次)』には1916、25、27、30、33年の鉱産物価格についての記録があるが、以下の問題点が指摘できる(表2[エクセルフォーマット])。1つは、一部の品目には数字が漏れている年次ある。たとえば、鋼は1933年の価格しかない。もう1つは、すべての価格は出荷価格ではなく市場価格である。第3に、一部の価格は信じ難い数値になっている。たとえば、銀は1916年の価格が他の年次よりずいぶん高いが、明らかに何かのミスによるものである。銅の1916年価格、砒の1930年価格、タングステンの1930年価格も同様な問題を含めている。そこで以下では1933年を基準年にして同年価格表示で生産額を示す。この年の価格データが最も揃っていることと、巫宝三等による出荷価格の推計値があることがその根拠になっている。生産量と価格があれば、生産量に出荷価格を乗じて、1933年価格表示の生産額が計算できる(表3[エクセルフォーマット])。

 生産額と比べて付加価値額の推計はやや困難である。生産額から原材料や減価償却及び修理代・旅費・印刷費・広告費などを差し引かねばならない。この種の詳細な情報は戦前中国にはほとんど存在しないが、幸いにも巫宝三たちの1933年に関する計算がある。Chang推計も巫宝三たちの計算を利用した。生産額から中間投入額と減価償却額を控除して純付加価値額が求められるが、さらにこの純付加価値額を生産量で除して1933年の純付加価値率を求める(表5[エクセルフォーマット]参照)。各年次の生産額系列にこの純付加価値率を乗じて、つまり純付加価値率がすべての年次で一定と仮定して、1933年価格表示の純付加価値額系列を得る(表4[エクセルフォーマット])。このように推計された純付加価値額は、産出と投入との相対価格の変化・技術進歩・投資の変化などが無視されてしまう問題点を抱えるが、先の仮定は現状における資料の利用可能性から見ればやむをえない。

 (3)鉱業生産指数の作成

 最後に、以上で推計した不変価格表示の生産額及び純付加価値額から、鉱業生産指数の作成を試みよう。周知のとおり、戦前中国に関する包括的な鉱工業生産指数はまだ作られていない。Chang指数を含めていくつかの作業努力はあるものの、いずれも不完全なものであった。データの制約によって、時期が短いこと、業種(あるいは品目)が少ないことなどが主要な問題点である2)。その中で最良のChang指数も、15種類の近代部門しかカバーしなかった。

 Chang指数と同じように、加重平均のウエイトを基準時の1933年に固定するラスパイレス方式、Σp0q1/Σp0q0を採用した。その結果は表4[エクセルフォーマット]に示されている。


3.2 結果の検討


 以上の方法で推計した結果をいくつかの角度から検討しよう。まず、ベンチマーク年としての1933年について、他の研究成果と比較しよう。他の成果といえば、巫等[1947]やLiu and Yeh[1965]及び呉[1993]があるが、後の2つは詳細なデータを示していないため、巫宝三推計と比較しよう。表5[エクセルフォーマット]は本推計(COE推計)と巫宝三推計の結果を品目別に示したものである。まず、生産総額と純付加価値総額を見ると、本推計は巫推計より300万元ほど低いことが分かる。その格差は主に塩とセメンの生産量から生じた。塩については、われわれが使った『紀要』の数字を巫宝三たちは使わなかった。他方、セメントについては、巫宝三は『紀要』を使ったが、本推計は『紀要』の数字に依拠していないChang推計をそのまま利用した。

 次に、他の年次について比較しよう。表6[エクセルフォーマット]では上記3推計の結果が示されている。呉推計(生産額のみ)は3時点しかないが、そのいずれの時期において最も高い数値を示している。巫推計に比べて、本推計(COE推計)は1933年以前の時期はやや低い値を示しているが、その後の時期は幾分高い数値になっている。すなわち、全体として本推計は巫推計より成長率が高い傾向にある。

 さらに、鉱業生産指数の検討をしよう。図1は本指数とChang指数を描いているが、次の2点が指摘できよう。第1に、Chang指数は1938年を除いて1942年前後までほぼ一直線に伸びていくが、本指数は1933年を境にしてその前の時期には緩やかな上昇、その後の時期には急速に上昇している。したがって、本指数はChang指数と比べてその出発点も到達点も高い。第2に、COE推計は両指数の動きはほとんど連動しているが、Chang指数では1930年代後半から1945年までの時期(日中戦争)に、生産額指数と純付加価値額指数の両者が大きく乖離している。これは、Chang指数に含まれる15品目の生産額の構成、特にCOE推計には含まれていない綿工業がその時期大きく変動したことに起因する3)



脚注


  1.  同統計の黄鉄鉱と宝石、及び他の資料に紹介されている石墨・建築石・燐灰石・雲母などについては、データがほとんどないため除いた。

  2.  各指数の詳細については、Chang[1969]の第4章を参照。

  3.  Chang[1969, pp.59-62]。