北朝鮮経済の分析方法:文献と統計

木村光彦(神戸大学)




    1.は じ め に

    2.統計事情・文献

    3.統 計

    参考文献




    表一覧

    表1 北朝鮮の人口、1906-90年

    表2 北朝鮮における主要農作物生産高、1920-44年

    表3 北朝鮮の穀物生産、消費

    表4 工業生産額、1914-40年

    表5 北朝鮮の主要鉱工業生産高、1944-63年

    表6 北朝鮮の対外貿易、1949-93年

    表7 北朝鮮の対日輸出入額、1961-96年

    表8-1 対日輸出品構成比

    表8-2 対日輸入品構成比

    表9 穀物貿易、1963-90年

    表10-1 北朝鮮における初等教育機関就学者数

    表10-2 北朝鮮における初等教育機関就学者数(男女別)







     


    1.はじめに

     経済研究者にとって北朝鮮はきわめて扱いにくい国である.信頼に足る続計をほとんど発表していないからである.基本的にその統計は,同国政府の政治目的(多くは経済「実績」の宣伝)に使われているにすぎない.この点を認識せずに,政府統計をそのまま引用し同経済を論じることは大きな誤りである.じっさい過去において,そのような論考ががすくなからず発表され,その結果北朝鮮経済にたいする誤解がひろまった.1970年ごろの北朝鮮の1人当たり国民生産が韓国のそれより高かったという主張もそのひとつである.これには確かな裏づけが何もない.さらにある論者は,1960年代から70年代にかけて北朝鮮は急速な工業化に成功し工業国に発展したと述ペ,その証拠として農業就業者の比率が大きく低下したことを挙げる.しかしこれも受入れがたい.農業就業者が減ったのは表面的なことにすぎない.じっさいには,軍人,学生・生徒,労働者が,本来ならば農業就業者が行う農業労働−土壌改善,自給肥料の製造・運搬・土入れ,田植え,除草,収穫等−に大量に動員されている.すなわち北朝鮮では,多くの労働力が鉱工業・サービス業に従事する一方,おそらくそれを上回る労働カが農業生産に投下されている.同経済が(市場原埋でなく)国家指令にもとづいて鉱工業生産に労働力を振りむけていること,同時に農業部門において,生産性がきわめて低いために大量の労働力を必要としていることを理解せねばならない.

     他方,一般の研究者は,きびしい情報制約のために,北朝鮮経済の分析をほぼ断念してきた.厳密な客観的分析を追求しようするならば,これはやむをえないことであったかもしれない.しかしそうした姿勢は,一面で敗北主義的ともうつる.じつは北朝鮮の文献を丹念に調査すれば,かなりの程度の情報,さらに(実態をあらわすと思われる)統計を集めうる.そのさい,公式発表の背後に隠された事実を読みとること,すなわち行間を読む努力が欠かせない.もちろん,このようにして集めたデータから信頼性の高い集計的経済統計を得るまでには大きな距離がある.とくに,そもそも北朝鮮のように極度に市場経済を抑圧した社会に,通常の国民所得といった概念をどのように適用できるのかという理論的間題が存在する.本小論はこうした間題を念頭において,今後の実証研究の準備として行った作業をまとめる.以下,北朝鮮経済にかんする統計事情,文献を簡単にサーベイしたのち,いくつかの統計を示す.





     


    2.統計事情.文献

     北朝鮮政府の社会経済統計は,1946年以降1960年代前半までは相対的に豊富であり.かつある程度信頼しうる.それは『朝鮮中央年鑑』(1949年版から存在)等に収録されている.しかし1960年代半ば以降,政府は統計の発表を抑え,一層粗い数値や(絶対数でなく)対前年比のみ示すことが一般的となった.こうした政府の姿勢の変化は,北朝鮮経済がこの時期すでに停滞傾向におちいったことを示唆する.1946-60年の主要統計は,『朝鮮民主主義人民共和国人民経済発展統計集』にまとめられている.その他,断片的なデータが『金日成著作集』,『労働新聞』などに見出される.しかしいずれにせよ.その信憑性を確かめることは容易ではない(工業統計の問題を検討した論文として,Lee 1971がある)

     研究文献も多くを挙げえない.そのなかでChung(1974)は,北朝鮮経済にかんする初期の包括的な研究であり,その論述はバランスがとれている.しかし現時点でみると,公式統計に過度に依存し北朝鮮経済のパフォーマンスを過大評価している.この点で玉城(1979)は鋭い洞察を含むすぐれた著作である.同書は,経済分析を前面に出したものではないが,公式文献を丹念に調査,批判し北朝鮮経済の特徴を的確にとらえている. 80年代以降,北朝鮮経済にかんする包括的な研究書は,欧米,日本ではほとんど出版されていない. ただ,現地体験にもとづいてその実態の一端をあきらかにした著作として,金(1984),李(1989,1990)がある.これは,「北朝鮮系」の人士がきわめて批判的に同国経済を評価したもので,内容が具体的であることから,その後の研究者の見方に大きな影響を与えた.とくに李の著作は,エンジニアとしての知識にもとづいて現地の経済事情を詳細に示した点で価値が高い(ただし彼は,総耕地面積を誤って計算した結果,穀物生産量を実際より大幅に過小推計している).

     韓国においては90年代にはいって,北朝鮮論がブームの感を呈し,多数の書物,論文が現れた.しかし独自の実証分析を含んだものは少ない.興味をひくのは,農業経済研究院における研究である.これは38度線近辺で北朝鮮の主要穀物品種をじっさいに栽培し,同国の穀物生産量推計の基礎としたものである(たとえば,金 1982,金,高1992;またサーベイ論文として,金1984). 他のさまざまな情報を加えると,これによってある程度信頼しうる穀物生産推計値がえられる. 国民所得にかんする研究としは,後藤富士男の著作(Goto 1990)が注目に値する.

     これは多くの統計を用いて1956-59年の国民所得を推計した成果である(その基礎作業として,後藤 1981がある). ただ後藤は推計手続きと結果のみ示し,それを用いた分析は行っていない.この推計結果をその後の時期へ延長することは,基礎資料不足のために容易ではない(これは後藤自身の見解でもある). 韓国では毎年,政府機関が北朝鮮の国民総生産の推計を行っている(国士統一院,韓国銀行). しかしその方法や基礎データに問題があり,信頼性は低い.一般研究者による推計も同様である.ある研究者は,北朝鮮の財政規模や鉄鋼生産量に他の旧社会主義国のデータをあてはめて,北朝鮮国民総生産を推計している(全1992参照). これは同国経済の独特な性格を無視した機械的方法にすぎず,意味があるとはいいがたい.また,Hwang(1994)による国民総生産(厳密には物的社会生産物)の推計には,とりわけ米ドル換算率に間題があり,その結果彼は北朝鮮の経済力をおおはばに過大評価している.

     以上のサーベイからも,北朝鮮経済研究の困難さを理解できよう.今後の研究方向としては第lに,少しでも信頼しうる統計を集めること,第2に基礎的な経済構造の把握につとめることが挙げられる.前者についてはたとえば,以下で試みるように,貿易データの整備がある.これはあるていど見通しがつく作業である.後者については,平壌で出版された文献の研究がある.同文献は多量にのぼり,有益なものが少なくない.その整理はまだ行われていないので,これを体系化することによって北朝鮮の経済制度をよりよく理解できるであろう.北朝鮮においては日本統治末期に計画経済が導入され,それを基礎に旧ソ連の経済制度が多面的に採用された(Kimura 1997).さらにそののち,毛沢東の経済政策のつよい影響をうけた.朝鮮独自の伝統の基盤のうえで,こうした諸要素がどのような経済システムを形成したのか.この点の考察は,統計の収集と並行してすすめるべき重要な課題である.





     


    3.統計

     ここではいくつかの基本的な社会経済統計を整理する.現段階ではこの作業は体系的なものではない.統計の選択は,基礎データの入手可能性,既存の研究の有無,筆者の関心にもとづいている.結果の分析は今後の課題とする.

      (1)人口

       日本統治期の人口については,石(1972)の精密な研究がある.ここでは石の示した全朝鮮の人口を,国勢調査のデータ(1925年から1940年まで5年毎,および1944年)をもとに南北別に分割した.国勢調査年のあいだの年の分割比率は直線補間して求めた.1921-25年については1925-30年の比率にもとづいて直線補外し,それ以前(1906年まで)は1921年の比率を一律に適用した.石は最終1947年まで全朝鮮の人口を示しているので.1945-47年については1940-44年の分割比率を直線補外した.国勢調査年および1921年の分割比率(北の人口比)はつぎのとおりである:1921年33.35%,1925年33.91%.1930年34.59%,1935年36.10%,1940年36.15%,1944年36.82%.国勢調査年の分割比率は,Repetto et. al. (1981, Table 14)から採った.結果を表lに示す.

       戦後の北朝鮮の人口については,Eberstadt and Banister (1990)が詳しい.その数値を同じく表lに示す.北朝鮮は1960年以降,厳格な労働統制制度をほぼ完成させたから,相当精密な人ロデータの系列を有しているはずである(木村1997b).しかし発表された数値は少ない(1960年代以降1989年にいたってようやく,かなり詳細なデータが公表された).またその信頼性は未確認である.Eberstadt and Banisterによる数値は,このような公表値にもとづいて推計したものである.

      (2)穀物生産

       表2は日本統治期の北朝鮮穀物生産量を示す.1920-40年の数値は総督府統計を整理した石川(1980)による.石川の作業結果は1910年から始まっているが,1910-20年の教値は過小評価が大きいとみられるので,これを除外した.また総督府は1937年に米の収量評価方法を変更したため,この年の前後で生産統計に断絶がある.しかし上表ではこの点の修正を行っていない(この点にかんする最近の研究として,朴1996参照).1940-44年の数値は朝鮮銀行調査部(1948)から採った.表3は戦前後をつなぐ北朝鮮の穀物生産・消費統計であり,筆者が作成・整理した.

      (3)工業生産

       日本統治期の工業生産額は,溝口(1975),溝口,梅村(1988)による(南北別,表4).後者を基本とし.前者のデータによって1939-40年の値を補完した.戦後についてはごく断片的なデータのみ掲げる(表5). これは北朝鮮攻府発表の各種資料にもとづく.

      (4)貿易

       貿易についても北朝鮮はほとんど統計を公表していないが,柏手国によるかなり詳細なデータがあるので,これを収集した(表6,7). とくに日朝貿易にかんしては,その内訳(6分類)を示した(表8-1,8-2).さらに,FAOによる穀物貿易のデータを別個に整理した(表9).それぞれの統計の信頼性の吟味はこれからの作業である.

      (5)初等教育

       表10-1,10-2は初等教育の普及を示す.1945年以前,植民地政府の学校とならんで書堂と呼ばれる伝統的な教育機関が存在していた(木村1997c).同表にはこの両者(および書堂と区別される私立学校)の生徒数を計上し,就学率を示した.戦後においては,データの質量に間題があるとはいえ,就学率が急上昇したことは確実である.これは金日成政権が,社会主義思想の普及およぴ実務官僚育成のために学校教育(ならびに成人教育)を強力に推進した結果である.





       


      参考文献

      中央統計局,朝鮮民主主義人民共和国国家計画委員会(1961)『朝鮮民主主義人民共和国人民経済発展統計集,1946-60』国立出版社,平壌.

      朝鮮中央通信社(各年)『朝鮮中央年鑑』朝鮮中央通信杜,平壌.

      朝鮮銀行調査部(1948)『朝鮮経済年報1948年』同行,ソウル.

      『現代朝鮮間題講座』編集委員会編(1980)『現代朝鮮問題講座(II)社会主義朝鮮の経済』二月社,東京.

      後藤富土男(1981)『北朝鮮の鉱工業−生産指数の推計とその分析』国際関係共同研究所,束京.

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      石南国(1972)『韓国の人口増加の分析』勁草書房.

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      金錐(1983)「北韓の農業と農民生活実態」『北韓学報』7, 217-241頁.

      木村光彦(1997a)「北朝鮮の経済危機の構造的要因」『アジア長期経済統計データベースプロジェクトニュースレター』一橋大学経済研究所,6, 11-14頁.

      木村光彦(1997b)「北朝鮮の労働者,1946-50年」『アジア研究』予定.

      木付光彦(1997c)「近代朝鮮の初等教育」板谷茂他『アジア発展のカオス』勁草書房,29-63頁.

      国土統一院(各年)『南北韓経済現状比較』同院,ソウル.

      国土統一院(1988)『北韓GNP推計方法解説』同院,ソウル.

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      溝口敏行(1975)『台湾,朝鮮の経済成長』岩波書店.

      溝口敏行,梅村又次編(1988)『旧日本植民地経済統計−推計と分析』東洋経済新報社.

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      李佑弘(1989)『どん底の共和国−北朝鮮不作の構造』亜紀書房,東京.

      芋佑弘(1990)『暗愚の共和国一北朝鮮工業の奇怪』亜紀書房, 東京.

      全洪澤(1992)「南北韓の経済成果比較」韓国経済新聞社付設北韓研究所編,175-201頁.

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      Goto, F. (1990) Estimates of the North Korean Gross Domestic Product 1956-1959,Kyoto Sangyo University Press.

      Hwang, E.G. (1993) The Korean Economie - A Comparison of North and South,Oxford University Press.

      Kimura, M. (1997) “From Fascism to Communism: Continuity and Development of Collectivist Economic Policy in North Korea,”Discussion Paper, Faculty of Economics, Tezukayama University.

      Lee, C.S. and Yoo, S.H. eds, (1991) North Korea in Transition, Center for Korean Studies, University of California, Berkeley.

      Lee, Pong S. (1971) “Overstatement of North Korean Industrial Growth: 1946-1963,”Journal of Korean Affairs, pp.3-14.

      Repetto, et. al. (1981) Economic Development, Population Policy, and Demographic Transition in the Republic of Korea, Harvard University Press.

      Scalapino, R.A. and Lee, H.K. eds. (1986) North Korea in a Regional and Global Context, Institute of East Asian Studies, University of California, Berkeley.



       


      l 本小論におけるデータの収集,整理には,池上寛(アジア経済研究所),片山正(帝塚山大学大学院)の両氏から多くの援助を得た.記して感謝する.



       


      2 かつて西側の研究者がソ連,東欧諸国の経済実績を過度に高く評価していたことを想起したい.



       


      3 北朝鮮においてはつねに,(所得ではなく)穀物や布の1人当たり生産量が重要視されてきた.これは生産力が低いのみならず,同経済が実物経済によって特徴づけられていることを示している.労働移動がつよく制限されていること,事実上身分制が敷かれていることを考えると,この国の社会経済が「近代的」であるとはいいがたい.むしろ封建社会に近い(木村1997a).



       

      4 玉城は大学に所属せず「在野」で活動する研究者である.その視点は発表当時,朝鮮半島の南北経済に関心をよせるわが国の大学研究者が,社会主義北朝鮮の宣伝に幻惑され,著しく客観性を欠いた議論を展開していたのと対照的である.



       


      5 Scalapino and Lee eds.(1987),Lee and Yoo eds.(1991)は主として政治学の立場から編集された書物であるが,経済にかんする有益な論考も含んでいる.日本語の書物としては.研究書ではなく制度の解説書であるが,『現代朝鮮問題講座』編集委員会(1980)が有用である.そのほか個別の論文として発表された研究は相当数にのぼる.



       


      6 北朝鮮は旧ソ連,中国との貿易において,有利な交易条件(いわゆる友好価格)を与えられていたといわれる.それが結局どの程度の援助額に匹敵したのかという点の解明は,貿易データの慎重な分析を要する(その試みとして,後藤1994参照).



       


      7 戦後,日本から北朝鮮へ帰国した在日朝鮮人はおよそ10万人にのぼる.在日する親戚が彼らに送ったり,また訪問時に持参した物資は相当の量に達するが,これは日朝貿易統計に含まれていない(玉城1992参照).