フイールド調査から
2000年2月、パキスタン
黒崎 卓
Last revision: October 1, 2004
今回は、2000年2月のパキスタンへのフィールド・トリップの映像を紹介したいと思います。写真を大きく見るには、写真を選んでクリック!(ただし、デジカメの調子が悪くて、画像が綺麗でないことお許し下さい)場所は、1996年より調査を始めているパキスタン・北西辺境州ペシャーワル(Peshawar)県の3村と、その前後によった首都のイスラマバードです。北西辺境州の村の1996年のイメージは、こちらプライベート・ホームページの「私の調査村紹介」もご覧ください。
タルナーブ村の春
1996年以来、農村家計調査をしている3つの村の一つがタルナーブ村。ペシャーワル盆地の灌漑の行き届いた村を代表し、一年中、緑が溢れる村がここタルナーブ。2月半ばは、畑に小麦、果樹園にすももの白い花が綺麗。若干サルソーンの黄色が入り、咲き掛けの桃の花が加わると、とても春らしい。ここで我々は調査農家を探して、畑の中を大捜索!
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インタビュー |
インタビュー |
新たに引かれた天然ガスのメーター |
筑波に研修に来た村のリーダー |
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村外れの大きな川 |
軍も手伝った用水路の清掃 |
桃の花と小麦 |
桃の花を拡大 |
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杏は花がまだなので小麦の緑が綺麗 |
タルナーブ村遠景 |
チャッパル・カバーブ屋の親父 |
午後の客に備えて火がついて、一安心 |
ジルガの集会
タルナーブとは対照的な、天水農業に頼調査村がユースフ・ヘール村。今回訪問したところ、村のリーダー二人は、広域殺人事件の調停のために開かれた、辺りの村村の代表の集まるジルガに出席中。これがさらに層を重ねて、ロヤ・ジルガになるのがアフガン紛争の時のゲリラ側の「国会」のような組織。村落レベルのジルガは、インドのパンチャーヤットのようなものだと思えば間違いない。直接民主制の積み重ねなのである。この集まり、主要メンバーが集まると、議題を正式に始めるより先に、昼食になってしまった。
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遠くから見た集会 |
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日本が援助した農村開発プロジェクトの今
イスラマバードから車で30分ほどいくと始まる、MIRADプロジェクト。「総合農村地域開発モデル」の訳語がMIRADだが、現在では使われているのは上水道ぐらい。道路はすでに舗装がはげてしまい、小規模ダムは相変わらず共同利用されていない。その上水道にしても、集会のポスターが日本からの援助を示す銅のプレートの上にべったりと貼られてしまっていた。
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野菜売り |
上水道を利用する少女 |
日本の援助を示すプレートはここ |
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サルソーン咲き乱れる農村 |
MIRADのポンプ小屋は活きている |
ポンプ小屋付近の畑 |
番外編:旅行といえば食べ物
ペシャーワルはシーラーズ・レストランで何回、あのうまいマトン・カバーブを食ったことか...シーラーズ・スペシャル(デザート)に注目。イスラマバードの写真に登場する3人、本当にお世話になりました。
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イクラムッラー氏とフマユーン氏 |
イクラムッラー氏と私 |
IDS重鎮勢揃いの、お別れ昼食 |
シーラーズ・スペシャル |
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イスラマバードのバーベキュー |
バーベキュー続き |
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