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書評その他 《誰のためでもない書評》

『When We Were Orphans 』

by Kazuo Ishiguro
London:Faber&Faber
April 2000

邦訳『わたしたちが孤児だったころ』
カズオ・イシグロ(著)
入江真佐子(訳)
早川書房
2001年4月15日刊
  カズオ・イシグロの著書を原書で読む人はご存知と思うが、彼の書く英語は実に美しい。事実、彼は現代英語圏における最高の英語の書き手の一人と言っても過言ではないだろう。名前から想像がつくように、彼は1954年に長崎で生まれた生粋の日本人であるが、5歳の時に父の仕事の関係で渡英し、以来、イギリスで教育を受け、1983年にイギリス国籍を取得したという経歴の持ち主である。

さて本書は、1990年代初めに上海租界で暮らしていたクリストファー・バンクスが10歳で両親が相次いで失踪して孤児となり、その後、イギリスに戻り高等教育を受け、著名な探偵となり、両親の失踪の謎を解明しに1930年代の上海に舞い戻るというストーリを扱っている。この小説のテーマは失われた過去とそれを再構築していくプロセスにある。そしていつもながらのイシグロのテーマである、没落するイギリス上流階級の意識の問題とイギリス、中国、日本の異文化の交流と誤解についても扱われている。

 イシグロの小説のファンとしては静謐なストーリーの展開や自制の効いたイギリス人のスタイル、そしてその滑稽さについては本書でも存分に味わうことは出来たが、これまでのイシグロの小説のようにあくまでリアリズムを貫くのではなく、一種の狂気を含めた幻想の世界が展開されており、そこに戸惑ったことも事実である。両親が失踪して20年もたって調査したところで両親が見つかるはずもないと考えるのが常識だが、それを決行するバンクスの行為を「壊れてしまったものをもとに戻したいという欲求」の現れであり、現実世界の荒波に飛び出した時に、すべての人がもとに戻りたいという思いを描く、すなわち、孤児の時期を経験するものだ、というのがイシグロの本書でのメッセージとなっている。

 上海租界の様子を描くイシグロが素材にしたものは、おそらくスティーブン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国』(1987年作品)に出てくる少年ジムのイメージやエルジェ(Herge)の漫画「タンタンの冒険」の一作『ロータス・ブルー』(Le Lotus Blue)(1936)で描かれている日本軍進駐や阿片貿易の様子などから取ったイメージであろう。これらから生み出された世界は必ずしもイシグロの作家としての想像力が生かされているとは言い難いものとなっており、その点は残念であったが、イシグロの新しい挑戦として受け止めたい。