これまで,1910年代中国工業の生産実態については,断片的な資料や個別産業及び個別地方のデータによって判断されてきた。言い換えれば,この時期の工業全体の発展パターンや内部の生産構造などは,包括的かつ正確に把握されていない。歴史的資料及び統計調査の不足が直接的な要因になっているかもしれない。しかし限られているとはいえ,現存する資料・統計データに対する検討や修正の試みも,十分に行われたとはいえないことも事実である。
本稿では,この時期の工業に関する唯一の包括的調査である『農商統計表』の修正を通じて,1910年代の工業の発展をできる限り全面的に把握したい。後述するように,『農商統計表』は清国が崩壊して国民政府(この時期の政府は通常「北洋政府」と呼ばれる)が成立した直後から発表された,「非常に」貴重な調査である。他方で,社会的緊張や統計制度の不備などによってもたらされた問題点も多く存在するという意味で,「非常に」質の低い調査でもある。端的に言えば,この調査は「悪い調査の典型」といっても決して過言ではない。しかし「悪い調査」とはいえ,適切な工夫を加えればかなり改善される可能性があると思われる。
以下,まず第2節では『農商統計表』の調査方法や範囲などを紹介すると同時に,そこに存在する問題点も指摘する。続いてその修正方法を示したあと,生産額の推計を試みる。第3節では,可能な範囲で推計結果の比較検討を行う。最後に,本稿の要約と今後の課題を述べる。