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オピニオン

●「社会的ネットワーク機能の総点検を」2010年8月2日

 日本社会において人間の社会的な結びつきが急激に切断され、個々人がばらばらに生活をせざるを得ないような状況になってきている。しかし、これまで、老人の孤独死やホームレスの問題など新聞の社会面でたまに取り上げられることはあっても、状況が危険水域を越えてしまったという認識は無かったように思われる。その証拠に、政府が本格的に政策対応をしてきたとは思えないし、地方自治体が抜本的な取り組みをしたということも聞いていない。

 2010年1月にNHKで放送された「無縁社会」は身よりのない高齢単身世帯の拡大の実態を浮きぼりにし、衝撃を与えたが、今年7月末に入って連続して明らかになった、東京足立区の高齢者死亡後の生存偽装事件、大阪の2児放置死・遺棄事件には、高齢単身世帯に限らず、日本社会のネットワークやセーフティーネットが決定的に機能しなくなっていること、この社会状況が容認可能な一線を越えてしまったことを強く意識させられた。今後も高齢者の生存確認が出来ないケースが続出することが予測されるが、地方自治体や政府が場当たり的な調査を行っても、この社会的ネットワーク機能不全は回復されることはないだろう。

 社会が核家族化し、隣人に無関心になり、企業や学校などでの人間関係も希薄化しているとすれば、どのように社会的ネットワークを再構築すればいいのだろうか。古い意味での緊密なコミュニティの結びつきを現状の生活スタイルの中で求めることは難しい。とりわけ、大都会では家族構成も職業、社会的背景も異なる個人が、最低限の近所づきあいをしているに過ぎない。そこに急に隣組組織のようなものを作っても機能しないだろう。では、どうすればいいのだろうか。個人は隣人との関係は希薄でも、社会生活を行っており、経済活動を行っている。携帯電話やインターネットのような隣組とは別の社会的ネットワークを利用している。そこに生活の軌跡をたどり、社会との結びつきを構築する手がかりがありそうである。

 2010年10月1日には「国勢調査」が実施される。これを期に、とりあえず、インターネットや携帯電話といったバーチャルな結びつきではない、現実的で、生身の国民の所在、生活場所、家族構成を明らかにし、誰が自分たちの隣人なのかを確認すべきであろう。また、公的年金や健康保険、税金の管理目的で導入が検討されている個人識別番号は、住民基本台帳やパスポート、運転免許、その他の医療健康情報とも連動して一体的に使うようなデザインにすべきである。例えば、高齢者の所在確認が民生委員の訪問によるだけでは難しいことが指摘されているが、健康保険の利用やパスポートの取得、あるいはそれ以外の医療行為の情報が個人識別番号の下に集まってくれば、その人の所在確認は複数の情報源を用いてより確実なものになるだろう。今政府で議論されているように、ICチップの入ったカードを発行して、そこに全ての情報を集約しておくのか、情報は政府が厳重に別途管理し、必要に応じてデータを読み出す方式にするのかは議論する必要があるだろう。

個人識別番号の導入には、これまで中央集権的な管理社会(ジョージ・オーウェルの「1984」に出てくるビッグブラザーのような)のイメージと結びつき、拒否反応も多く、政治家の中にもプライバシー保護を理由に反対を主張する人が少なくなかったが、他方で、全ての国民の基本的人権と生活を保障することが憲法でうたわれており、ゆりかごから墓場までの社会保障を理想としてきたことも事実である。個人識別番号は、スカンジナビア諸国を始め、多くの国で採用されており、課税目的というより、文字通り、個人の出生から死亡までの一生に対して国家として責任をもったサービスを提供するという目的の中で用いられている。さらに、スカンジナビア諸国では、上述した政府や自治体への届け出データであるレジスター情報を有効に使うことで、情報収集にかけるコストを削減できるというメリットがある。

宙に浮いた年金記録を照合するという作業が現在も行われているが、年金や雇用の情報が個人識別番号の下に一元的に管理されていれば、このような作業はしなくても済んだはずだし、国民に安心と安全を保障する仕組みの一つと考えれば、それに反対する人は少ないのではないだろうか。社会的ネットワークの再構築のためには、この包括的な個人識別番号の導入がどうしても必要だと思う。

さらに、民間部門の活動領域にあるとされる携帯電話や銀行口座、私書箱などについても総点検すべき時期に来ている。振り込め詐欺の目的で利用されている携帯電話や銀行口座、そして郵便局や宅配業者、自治体の連絡先によって使われてはいるが、実際の住人は不在である住所などは名寄せをして、識別できない住人の住所、電話番号や口座は封鎖するなり、本人から正当な申請がなければ利用できないようにすべきである。この部門からの情報が公的なネットワークと結びつけば所在に関する情報はさらに集まることになる。また犯罪を阻止することにもなる。

これには電話会社、ゆうちょ銀行を含めた金融機関、郵便局、私書箱提供業者などの協力が必要であるが、いまやここまで踏み込んだシステム作りが求められていると思う。

今後、グローバル化の進展でさらに多くの外国人が日本に来て仕事をし、生活を始めることが予想される。そのためにも日本人に限らず、日本で生活している全ての個人に関する情報をコストをかけずに収集管理する社会的ネットワークの構築を考えるべき時に来ている。言うまでもなく、高齢者の行方不明や、若い母親の育児放棄などは社会的ネットワークの構築だけで解決できる問題ではない。さらに綿密なセーフティーネットを張り巡らせて、あらゆる機会を捉えて、今回のような事件や悲劇を生まない仕組みを作り上げていくしかない。

社会の中にはある程度、自由に息のつけるプライバシーが保護されるべき領域はあった方がいいとは思うが、昨今の事件は社会的に容認できる水準を超えてしまっている。もう一度、プライバシーの領域と社会的規範に従うべき領域を再定義して、周知徹底していくしかないのではないだろうか。個人の自由の領域を拡大していけば、必ず家族や子供を含めた他人の自由の侵害が起こることは目に見えている。成熟した社会では、基本的人権として他人から侵害されない個人の自由の領域を認めつつ、好き勝手にできる自由の領域は法的にかなり制限している。子供を放置死させることや死亡届を出さない自由は認められない。