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オピニオン

●「コルカタ便り(3)」2010年2月8日

 私がコルカタを訪ねてみたかったのはインド統計研究所があるからだけではなく、有名な詩人ラビンドラナート・タゴールや映画監督サタジット・レイの出身地であり、私のオックスフォード大学での指導教授アマルティア・センの出身地でもあるということもありました。これまで長い間、一度はコルカタに行ったみたいと思っていたのですが、今回やっとチャンスを見つけることが出来たというのが実情です。少し長くなるかもしれませんが、この間の事情を書いておきます。

 日本人には英国植民地時代の名称であるカルカッタの方が通じるかもしれませんが、現在は、それ以前の名称であるコルカタ(Kolkata)を用いています。この街は、英国が1600年に東インド会社を設立してから栄え、英国のインド植民地支配の拠点として総督府を置いてきた歴史のあるところであり、インドの経済、貿易、文化の中心でした。そういう中で、外国人支配に疑問を持った、この地域のインテリがインド文化の復興や社会改革を唱え、一種の文化革命をこのベンガルの地で起こしたのです。

 その中で最も記念すべき事業は詩人タゴールが全人格的教育を理想としたVisva-Bharati (ビスバ・パハラティ)大学をシャンティニケタン(Santiniketan)設立したことでしょう。ここには全寮制の小中学校、高校、大学があり、特に小中学校は木陰の下で学ぶという独自の教育方法が用いられています。

 このタゴールの志に同意した多くの学者が教授陣として集まりました。その中にアマルテイア・センの祖父で、中世インド文学、ヒンドゥ哲学の専門家であったKshitimohan Sen(キシティモハン・セン)がいました。彼の子供であり、アマルティアの父親であるAshutosh Sen (アシュトシ・セン)は化学者でありダッカ大学や隣村スリニケタンにあるビスバ・バハラティ大学の農学部で化学を教えていたそうです。私はこのシャンティニケタンの雰囲気が知りたくて訪問してみました。

 もちろんタゴールが亡くなったのが1941年であり、当時の文化革命の熱気は薄れ、教育・研究活動も現在ではそれほど活発ではないという印象でしたが、それでもタゴールが理想郷としたシャンティニケタン(ベンガル語で「平和の園」という意味だそうです)を探索したり、セン先生の実家を訪問できたことは大変有意義な経験でした。

 ちょうど我々が訪れた2月6−7日はシャンティニケタンと隣のスリニケタンのお祭りが開催されており、ベンガル地方独特の音楽家達(Baul バウルと呼びます)の演奏を村はずれの森の木陰で聞くことができました。これも大変印象的な経験でした。

 

北村行伸@コルカタ


シャンテニケタンの地主の個人寺院のテラコッタ(左)とタゴールの学園・その1(右) korkata3-1 korkata3-2
タゴールの学園・その2(左)とセン先生の実家にて(右)  korkata3-3  korkata3-4
バウル音楽家  korkata3-5