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オピニオン

●「ストックホルム便り(5)」2009年9月30日

 ストックホルムに来て1ヶ月が過ぎました。いよいよ北欧滞在も終わりです。日本人経済学者に限らず世界中の経済学者はサバティカルがとれればイギリスやアメリカに滞在することが多いと思います。確かにアメリカやイギリスの一流大学に行けば、最先端の研究動向や研究者との交流ができるので、そこから学ぶことは多いでしょう。前回(2003年2−3月)は私もロンドンに滞在して、UCLやLSEの研究者と交流しました。しかし、このグローバル化の時代に学会やコンファランスで、一線で活躍している学者に会う機会は格段に増えています。インターネットでは研究論文が出来次第公開されており、あえて、彼らを訪ねていく必要もなくなってきたことも事実です。

 それに対して、今回訪ねたフィンランドやスウェーデンは努力して探すか、実際に訪ねないと情報がほとんど日本に流れてこない国です。しかし日本で必要とされているワークライフバランス、社会福祉、教育、年金、医療などの実践に関しては、北欧の国から学ぶべきことが多いことも事実です。

 今回3ヶ月間北欧に滞在したことは、短期の出張やミッションで調査に来るのとは違って、ゆっくりとこちらの人々と接触して、いろいろな話を聞けたということ、この目でじっくりと生活や風物を見ることが出来たという意味で、貴重な経験ができました。言うまでも無く、こちらで受け入れてくれたフィンランド中央銀行やスウェーデンの王立工科大学(KTH)、その仲介をしてくれたJouko VilmunenやStefan Folsterに感謝しなければなりません。

 まず何と言っても、フィンランドとスウェーデンがかなり違うということを実感できたことは収穫でした。北欧モデルなどと一括して考えていたのと、実態はかなり違っていました。特にフィンランドは人種的な違いもあるのかも知れませんし、歴史的な経験が違うのだと思いますが、かなりユニークな国であり国民でした。当然、私はフィンランドに強い親しみを感じるようになりました。スウェーデンは繰り返し書いたように、北欧では相対的に大国であり、もともとはバイキング化したゲルマン民族の国であり、言語的にもドイツ語に近く、国王もドイツやフランスから迎えており、かなり西欧に近く、その分、洗練されているという印象です。

 国際的に見れば、北欧諸国は控えめな存在で、先日開かれたG20の金融サミットにも呼ばれませんし、先進国首脳会議であるG8にも当然入っていません。先進国をどのような定義で呼ぶかにもよりますが、一人当たりGDPに代表されるような生活水準の高さということであれば、この北欧諸国が世界の最先進国になるのですが、集計値である国民総生産ということになれば、人口の少なさからG20にも入らないということになります。日本もいつかは人口減少で、世界の主要国から外れる日がくるだろうということで、これらの北欧諸国の国際貢献の仕方を見てみました。

 まず、福祉国家としてのモデルを世界に提示し続け、その名にふさわしい改革を行ってきたということがあるでしょう。また、世界の貧困を削減し、発展途上国の援助を惜しまないという態度でも、他の先進国をはるかに凌ぐ貢献をしてきました。さらにストックホルム宣言という名の下で、「人間環境宣言」(1972)、「死刑廃止宣言」(1977)、「児童の商業的搾取反対宣言」(1996)など各種の先進的な会議を開催してきました。ヘルシンキでは「人体実験に関する倫理規範」を謳ったヘルシンキ宣言が1964年に出されています。これらは人権や環境問題など今日我々が直面している緊急の課題ですが、これらの国では30−40年も前から議論を始めていたということです。

 日本はこれまで核兵器廃絶に向けた運動や開発援助、環境問題に関する京都会議などいくつかの分野では先進的な役割は果たしてきましたが、総体的にみれば、やはりアメリカの様子を伺いながら、世界の動きに遅れないようについていくということが多かったのではないでしょうか。

 9月には歴史的にいろいろなことが起こっています。1939年9月1日にはナチスドイツがポーランド侵攻を開始し、3日にはイギリス、フランスとの間で第2次世界大戦が始まっています。同17日にはソ連がポーランドに侵攻しています。2001年9月11日にはニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省(ペンタゴン)がテロの攻撃を受けて崩壊しました。2008年9月15日にはアメリカの証券会社リーマンブラザーズが破綻し、世界金融危機が起こったことは記憶に新しいところです。マスメディアもそれぞれの事件をいろいろな側面から取り上げていました。アメリカのCNNやナショナル・ジオグラフィック・チャネルでは9月11日のテロに関するドキュメンタリーを放送し、BBCではリーマンショックに関して特集を組んでいました。スウェーデンではナチスのノルウェー進駐や、ナチスとソ連軍のスターリングラード攻防などに関するドキュメンタリーを繰り返し放送していました。戦場が地域的にも近かったということもあるでしょうし、戦争の記憶を風化させないという考えもあるのかもしれません。

 また、9月17日にはナチスドイツおよびソ連のポーランド侵攻に対する集会がポーランドのグダンスクで開催され、東西の首脳が参加しました。ドイツのメルケル首相が謝罪と哀悼の意をささげる演説をしていました。ロシアのプーチン首相はポーランドに謝罪するというより、ナチスドイツを糾弾するような演説をしていました。ロシアらしい対応だと思いました。

 同じ週末にスウェーデンのTVではチャップリンの『独裁者』(1940)を放映していました。ご覧になった方は思い出して欲しいのですが、最後のシーンでの独裁者ヒンケルにそっくりで間違われて演説台に立たされた床屋のチャーリーの有名な演説は圧巻です(今はYouTubeでも見ることができます)。

 まだ見ていない方には実際のシーンを是非見て欲しいのですが、演説の内容は要約すれば「独裁者は兵士を欺いているだけであり、兵士たちは犠牲者である。我々は自由と民主主義のために戦わなければならない。人生は美しく自由で素晴らしいものであるはずだ。強欲や憎悪、恐怖を排除し、愛をもってお互いに助け合おう。青年に職を与え、老人に生活の保証を与えよう。文化の進歩が全人類を幸福に導くように、民主主義のために団結しよう」ということです。

 小男のチャップリンが当時、世界制覇も目前かと思われたヒットラーに対して敢然と立ち向かい、ヒットラー張りの大演説をぶち上げたのです。この映画によってチャップリンは単なる喜劇役者ではなく、世界の民主勢力のチャンピオンになったのです。この映画が決定的に重要なのは、1930年代末、まだアメリカが参戦もしていない時期に、そしてヒットラーがヨーロッパ全土の支配をあっというまに成し遂げようとしていたその時期に、政治家でも哲学者でもない世界初のトーキー映画の喜劇役者兼監督が、ヒットラーの軍事的、政治的問題点を把握し、それを喜劇化し、世界の民衆に対して道を間違うな、ナチスには民主主義も自由もない、人類の幸福のためにはここで戦わなければならないという普遍的なメッセージを残したということです。

 戦後、ヒットラーやナチスを批判した人は沢山います。戦後次々に明らかになったおぞましい現実に対して絶望しなかった人は少ないはずです。残念なことに同時代に問題を把握して声を上げていた人は限られています。当時のルーズベルト大統領はアメリカの国益を損なうということで、この『独裁者』の上映の自粛を求めさえしています。すなわち、ナチスドイツがソ連の共産主義と戦ってくれる限りは、多少の独裁も容認しようではないかという、リアルポリティックスの表れです。事態は、チャップリンの判断が正しく、アメリカも参戦せざるを得なくなります。ちなみに、日本でこの映画が放映されたのはようやく1960年になってからです。

 戦後、事態は悪化します。チャップリンは1952年にはトルーマン政権の法務長官から、マッカーシズム(いわゆる赤狩り)によって国外追放を余儀なくされたのです。この狂気のマッカーシズムによって、どれだけ多くの有為な人材がアメリカ社会から抹殺されたかは、記憶しておく必要があります。民主主義と自由のために勇気を持って声を上げたチャップリンに対して容共主義的であるという判断をして、国外追放したアメリカの政治家達は反共パラノイアにかかっていたとしか考えられません。今から思えば、チャップリンをとるのか、マッカーシーをとるのかは考えるまでもないことですが、当時は見事に間違った判断をしたのです。

 ただ、歴史は判断を見直す機会を与えてくれます。真実は、いつかは真実として迎え入れられる時が来るはずです。少なくとも私はそう信じています。チャップリンはナチスドイツやアメリカ合衆国から見れば、吹けば飛ぶような存在だったかも知れません。しかし、チャップリンの演説にはいまだに耳を傾けて聞き入ってしまう説得力があるのに対して、ヒットラーやマッカーシーの演説を真剣に聞く人はほとんどいないでしょう。

 世界の中で、小さな国、非力な人間ができる最大の貢献は、困った事態が生じる前に、勇気をもって真実を伝えること、その危険性や結果について適切な予測をして、人々の生活を災難から救うことではないでしょうか。ここでは国の大小、学識の有無は関係ありません。小さなチャップリンの映画を北欧ストックホルムで見ながら考えたことはこんなことです。

 

北村行伸@ストックホルム


ガムラスタンのスウェーデンの代表的詩人・作曲家Evert Taube像(左)とストックホルム・スクール・オブ・エコノミックス正面のドアノブ(右) stockholm5-1 stockholm5-2