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オピニオン

●「ヘルシンキ便り(11)」2009年8月27日

 フィンランドに7月1日に到着して、ほぼ2ヶ月たちました。あっという間の2ヶ月でした。何よりも日本の蒸し暑い夏を経験せずに快適に過ごせたことは幸運でした。また今まで見たことの無かったフィンランドの様々な地方や催しに参加できて貴重な体験もできました。そして、日々フィンランド人の同僚や大学、政府の関係者と接して、彼らのものの考え方や彼らのしきたり、社会規範などについて説明してもらったことは大変参考になりました。

 この間、日本では総選挙で与野党のマニフェストを巡る議論が活発に行われる中、雇用の確保と福祉政策の充実、所得再分配の拡大を志向する福祉国家論に対しては賛否両論に分かれているようです。批判する人は、高負担・高福祉の国家になれば、生産性の高い企業も個人も海外に出て行き、生産性の低い人だけが残り、その結果、成長も低下し、税負担も増えるだけだという理屈で高度な福祉国家と適度な経済成長が両立し得ないかのような議論をしています。しかし、その議論の実証的な根拠は弱いと思います。

 私がフィンランドに来ている最大の理由はいわゆる北欧モデル(The Nordic Model)を検証することにあります。このヘルシンキ便り(4)でも論じたように、IMFの2008年統計を見ると、世界の一人当たりGDPを見ると上位に来るのは、産油小国(カタール、ブルネイ、クウェート)、北欧諸国(ノルウェー、アイスランド、スウェーデン、デンマーク、フィンランド)、西ヨーロッパの小国(ルクセンブルグ、スイス、オランダ)などです。G8諸国はアメリカが6位、カナダが13位、イギリス18位、ドイツ21位、フランス23位、日本24位、イタリア27位、ロシア52位ということで、北欧諸国より一人当たりGDPが高い国はアメリカぐらいです。少なくとも福祉の充実した小国では生産性が低くなり、全ての人がモラルハザードを発揮して、横着になり、一人当たりの生活水準が低下するということにはなっていません。

 フィンランド銀行副総裁のSeppo Honkapohja氏が議長になってとりまとめた本(Torben M.Andersen, Bengt Holmstrom, Seppo Honkapohja, Sixten Korkman, Hans Tson Soderstrom, Juhana Vartiainen (2007) The Nordic Model: Embracing globalization and sharing risks, The Research Institute of the Finish Economy (ETLA) and The MIT Press (Available on internet: http://econ-www.mit.edu/files/3789 ))によれば、生産性の指標である全要素生産性(TFP)が1995−2000年でデンマークが0.6,スウェーデンが1.3、フィンランドが3.3、アメリカが1.1、EU15ヵ国平均で0.9、2000−2004年にかけては、デンマークが0.3、スウェーデンが1.9、フィンランドが2.0、アメリカが1.7、EU15ヵ国平均が0.4となっており、スウェーデンとフィンランドは共に、アメリカや西ヨーロッパ諸国よりも高い生産性実績を上げています(前掲書 p.59)。

 この本のプロジェクトの議長を務めたフィンランド銀行のSeppo Honkapohja副総裁とも昼食のテーブルでかなり話合いましたが、北欧がこのような高い生産性を維持しているのは、福祉国家であり、個人で対処できないリスクに対しては社会でリスクの分担をするという約束があるとはいえ、労働のインセンティブを維持するために基本給をかなり低めに抑えて、努力して所得を上げる必要があるようなメカニズムを導入していること、企業もかなり自由に労働者を解雇できるようになっており、企業のインセンティブも保証されていることなど、市場メカニズムを積極的に導入しているからだという説明でした。実際に企業も労働者もフィンランドから国外に拠点を移すということはほとんど起こっていないそうです。ヘルシンキ便り(5)でも書きましたが、社会制度の至る所に、福祉国家による甘えを戒めるようなメカニズムが導入されており、リラックスしながらも結構規律が保たれ、それなりの生産性を上げていることが理解できます。

 北欧モデルは、福祉国家と市場メカニズムがいかに両立するかを試行錯誤した結果にたどり着いた経済運用上のモデルであり、福祉国家が即経済停滞をもたらすかのような単純な図式に基づいた議論は、ここ北欧では全く通用しない戯れ言だということが実感されます。実際に、北欧諸国がグローバル化の中で、それなりの国際競争力と生産性を維持することなしに、このような生活水準は維持できないことを考えただけでも、それなりの市場競争メカニズムが機能していることは容易に理解できます。

 日本では、今回の経済危機を契機に、「市場中心主義経済の崩壊」だとか「資本主義の終焉」という議論をする方も多く見られます。一種の過剰反応だと思いますが、資本主義が多少失敗したとしても、市場機能を完全に否定したブータンのような生活の方が望ましいなどという議論は、1億人を超す人口の日本の経済モデルとしては100%間違っています。また逆に、各種のセーフティーネットを整備していない中での市場競争は、結果として非常に不平等な所得分配をもたらし、最終的に巨大な社会費用がかかることが、近年、徐々に理解されてきていることは周知の通りです。

こちらで北欧モデルの経済政策について詳しく突っ込むと、研究局のEsa JokivuolleやAntti Ripattiも副総裁のSeppo Honkapohjaからも思わず本音を聞くことができました。すなわちスウェーデンはユーロ圏には入っていないが、EUの枠組みを受け入れて、ユーロに入る可能性を視野に入れながら、一部では独立した金融政策を維持することで、クローネを安めに誘導することで、ある種のフリーライダーとして経済運営を行っているという判断です。しかも、スウェーデンの政策当局者あるいは経済学者と議論すると、必ず彼らは自らの正当性を譲らないということをフィンランド人達は苦々しく実感していることを告白してくれました。

日本の人口密度はフィンランドの約20倍あり、これが等しくなるためには、日本の人口が600万人程度にまで下がらなければならないのですが、それは起こったとしても相当先の話だということは忘れてはなりません。少子化社会で、人口の自然減少を経験している日本ですが、経済規模としてはまだまだ大国のレベルに止まらざるを得ないことは事実です。しかし、国家の目指すべき方向としては、ほどほどの人口で、国民総生産で表される経済規模も決して大きくはないが、一人当たり所得に直すと世界最高水準に達しており、経済活動はものづくりだけではなく芸術や文化、サービスなどの分野で秀でているような文化国家ということではないでしょうか。

ちなみに、ヘルシンキでは建築家アルヴァ・アールト(Alvar Aalto)の設計した建物が随所に見られるように、街中が建築的に非常に面白い実験をしており、まさに、芸術劇場の中で生活しているような実感があります。ヘルシンキ便り(7)で触れたワークライフ・バランスについても、フィンランドでは子育てを男女共同で行っていることが目に見えて実感されます。乳母車を押す男性などは日常的な光景であり、学校への送り迎えも父親の仕事になっていることが多いようです。また、ヘルシンキ便り(3)(9)で触れたように自然との対話もフィンランド人の生活の重要な要素となっています。私には、将来の日本のあり方を考える上で、フィンランドは極めて示唆に富む先進国のように思えてなりませんでした。

ヘルシンキでは様々な出会いもありました。ヘルシンキ便り(2)で紹介したシルッカ・コノネン(Sirkka Kononen)さんが、我々の宿舎のすぐ近くにアトリエ兼住居を構えていることがわかり、会いに行きました。彼女の生活の至る所に芸術性が溢れていることが実感されますが、極めて気さくなカレリア地方の女性という感じでした。フィンランド銀行のミンナ(Minna Nyman)は日本人の友達がいて、大変な親日家で、週末に我々をシベリウスの住居のあったアイノラ(Ainola)まで連れていってくれました。その周辺は芸術家が沢山移り住んでいた地域で、画家のペッカ・ハロネン(Pekka Halonen)や作曲家ヨーナス・コッコネン(Joonas Kokkonen)の家もおとずれました。 Helsinki School of Economics (HSE)の廊下を歩いていたら、20年前にOECDで同僚だったフィンランド人のピリッタ(Piritta Sorsa)に偶然会いました。彼女は世銀に行ったりしていたのですが、1年前からOECDのカントリーデスクの課長をやっているそうです。ミッションでフィンランド経済のヒアリングをしているとのことでした。私がヒアリングに行ったPekka Ilmakunnas先生(HSE)は10月2−4日に一橋GCOEが経済産業研究所と共催する国際会議に来るそうで、東京での再会を約束しました。

たった2ヶ月の滞在で知り得ることは限られています。フィンランドの光と影のほんの一瞬をかすっただけかもしれませんが、この年になってこれだけ未知のヒトやモノ、コトに触れることができただけでも収穫があったというべきでしょう。9月1日からストックホルムに移動します。次からはストックホルム便りになります。

北村行伸@ヘルシンキ

 
ヘルシンキの空(左)とヘルシンキ大聖堂のシルエット(右) helsinkisky helsinki11-1