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オピニオン

●「ヘルシンキ便り(7)」2009年8月10日

 今日はヘルシンキの日常生活で見聞きした素朴な発見について書きます。

(1)フィンランド式野球

フィンランド式野球(Pesapallo:ペサパッロ;フィンランド語でベースボールを発音したもの)というのがあって、これを毎日TVで放送しています(詳しいルールはWikipediaでペサパッロと引けば出てきます。)。一説によるとこれがフィンランドの国技だそうです。ルールを調べずに何日か見ていたら、おぼろげにルールが解ってきましたが、なかなかよく考えられていて、非対称性もあり、おもしろい構造になっていることは解ったのですが、文章にするのは難しいので、とりあえずWikipediaに従ってルールを書きます。

 グラウンドは基本的にサッカー場を使ってきたので長方形というかホームベース型であり、通常の野球とは異なり、わかりにくいかもしれませんが、1塁が3塁とホームベースの中間にあり、2塁が普通の野球の1塁にあり。3塁が通常の位置にあります。競技人員は通常の野球と一緒で9人ですが、守備位置に立つ場合はショートと外野が2名ずつという変則的です。打者は野球と同様で、1打席3ストライクのルールがありますが、野球とは異なり初球および2球目の場合、ヒット(フェアー打球)を打ったとしてもすぐに走らないで、そのまま打席に残ってランナーを進塁させることが出来ます。ただし3球目は必ずフェアー打球の場合は打者走者として進塁しなくてはいけません。ファール打球の時は、打者はアウトとなります。

 ピッチャーは左打者の時は打席の左側、右打者の時は右側にそれぞれ立ってグラブを上、ボールを下にした状況でセットアップポジションを取ります。一旦肩の高さのところまで達したら動作を止めてボールを上にトスします。野球やクリケットとちがってピッチングするのではなく、あくまでトスをしている感じです。このトスに上手い下手の違いがあるのかどうかはよくわかりません。ピッチャーがボールを上げて、投手の頭上1m以上上がってホームプレートの上に落ちるか、打者が打つ動作をするときは全てストライク。打者が打つ動作をしないでホームプレートから外れてしまうとボール。ボールはランナーがいない場合は1ボールでもすぐに出塁できますが、出塁せずに連続3ボールをすると2塁に進塁可能。ランナーがいる場合は同一打者に2ボールを与えると先頭のランナーには1つの進塁が認められます。

 フィールド外にノーバウンドで飛び越えた場合、外野であってもホームランではなくファールとなってしまいます。また1・2塁のベースの手前であっても、フェアーゾーンに一度落下した場合はファールゾーンに転がってもフェアーとなります。打者走者はまず1塁から2本の白線の間を走って、打球の通過が1塁手より返ってくるのが早ければセーフ。以後は基本的に通常の野球とほぼ同じです。3塁走者はセーフになってから3塁から引かれた白線に片足を置いて陸上競技の短距離走のようにクラウティングスタートの状態でタイミングを待ちます。そして野手からの送球より3塁走者のダッシュが早ければホームインと認められます。また、打者が3塁打を放てばホームランと認められ1点を獲得でき、その上ホームまで走ればもう1点獲得できるため「1人2ランホームラン」も可能です。

 試合は4イニングスごとの前後半という形を取っています。前半と後半の攻撃の前に15分間のハーフタイムが取られ、4イニングずつ終了時点の合計得点でポイント獲得チームを決定します。1-1の同点の場合は延長戦1イニングを行い、そこでも決着が付かなければ「スコアリング・コンテスト」というサッカーのPK戦のようにあらかじめ3塁にランナーを置いて5人の打者が打席に立って何人得点を稼げるかで勝敗を決します。

 同僚のフィンランド人によれば、この方が、よく点が入るし、動きもあるのでいいのだと言っていました。結構大々的に行われているらしく、女子の試合も放送されていました。やっぱり、クリケットの国から来た人はクリケットがいいと言い、ベースボールの国から来た人はベースボールがいいと言い、野球の国から来た私は野球の方が面白いと感じてしまいます。サッカーの国イタリアから来たエフレンはこのスポーツに関しては全く無関心です。かなり戦略的な攻撃や守備があるようですし、監督が綿密に指示を出しているのも日本の野球と似ています。しかし決定的に違うのは、野球の場合のピッチャーの投球の間合いというか、状況に応じて球場全体が盛り上がるクライマックス感がフィンランド式野球にはないということです。フィンランド式野球はあっけらかんと点を取り続ける、リトルリーグの野球のようなもので、日本人の好きな間というものが無いのが欠点のように思いました。でも、これは野球とベースボールの違いでも指摘できることかもしれません。

 このスポーツは北欧およびドイツ,スイス、カナダあたりまでは普及しているようです。フィンランド人がアメリカ式ベースボールを直接受け入れるのではなく、フィンランド式に改良してプレーしているところ、そして、グラウンドも非対称性を上手く利用し、ピッチャーやバッターの技術によって勝敗が左右されると言うより、戦略の巧拙によって勝負がきまるような構造改革は、大変示唆的です。あまり一般化することは出来ないとは思いますが、少なくともフィンランド人の独立心というか、知的なチャレンジ精神を垣間見たような気がします。

(2)ヘルシンキのTV事情

 フィンランド人が普通に見るTVチャンネルは6チャンネルぐらいだと思いますが、フィンランドで製作している番組は非常に少なく、ほとんどが海外の番組をそのままの言語で放送し、フィンランド語の字幕スーパーを付けているだけです。私の理解できる範囲では、スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語、たまには日本語の番組も放送されています。ドキュメンタリーなどでは中国語のものもありました。ウエイトからするとアメリカの番組が40%ぐらい、イギリスのものが20%ぐらいで残りを北欧3国語とドイツ語、フランス語で分け合っている感じです。日本語放送は例えば、特定の曜日の午後10時からと時間帯が決まっているようです。

 外国語を耳で聞くという観点からは、このようなTV放送は極めて有効だと思います。これはフィンランドに限らず、スウェーデン、デンマーク、オランダなどでも事情は同じだったと思います。字幕スーパーが付くとはいえ、言語で話しているのをそのまま聞き続ければ、かなりヒアリングの力はつくはずです。実際、多くのフィンランド人は英語、フィンランド語、スウェーデン語に関してはほぼ完全に使えるようですし、ある程度高等教育を受けた人はドイツ語、フランス語も読み書きはできるようです。

 TV番組の内容に関して、放映料の関係もあるのかもしれませんが、上質な番組は近隣のスウェーデン、ドイツ、デンマークなどのものが多く、次いでフランス、イギリス、日本などの映画やドキュメンタリーなどもいいものが放送されています。アメリカの番組はつまらない素人ビデオショーやフォックス系のパートナーが次々と振り落とされていく擬似恋愛もの、その派生系としての会社経営、料理やファッションデザインの実務的バラエティあるいは自分はどれぐらい大きな家に住んでいるかを誇示するような番組など、知的にも社会感性的にも最低の水準のものが放送されています。アメリカにももっといい番組があると思うのですが、これはどうしたことでしょうか。世界のモラル・リーダーとしてのアメリカという印象はフィンランドのTV放送からは全く感じられません。

(3)フィンランドの食べ物

 フィンランドに来てから、あまり外食はせず自炊しています。フィンランド中央銀行の食堂で昼食を毎日食べますが、これが唯一フィンランド料理に接する機会といっていいかもしれません。フィンランド独自の王室や貴族を持っていなかったせいかもしれませんが、特に洗練された料理方法があるわけではなく、サーモンのクリームスープやサーモン・グリル、ニシンのフライ、ミートボールとジャガイモ、野菜スープ、あとは季節によってザリガニ(今が季節です)、トナカイやライチョウなどのローストあるいはソテイがあるそうです。味付けがほぼ一貫してクリームソースかブラウン・グレイヴィーソースなので、たまには塩味や醤油味、あるいはカレー味など試してみたくなります。良く見ると食堂の隅に各種のスパイスや調味料が置いてあるので、味に不満のある人は自分で調合して下さいというのが暗黙の了解事項のようです。

 デザートも簡単で、イチゴ、ブルーベリー、野いちごにホイップクリームをかけて食べる、アイスクリームにブルーベリー・ソース、パンケーキに各種のソース、フルーツカクテルなど、ほとんど素材をそのまま食べることが多いです。

 こちらでいちばん美味しいという高級レストランにはまだ行っていないので、侮ってはなりませんが、フランスのシラク大統領が来たときに、フィンランド料理は最低だと発言して、フィンランド人に反感を買い、オリンピックの開催地でパリとロンドンが争っていた時に、フィンランド票をロンドンに持って行かれたというエピソードがあるそうです。フランス大統領に出された料理がそれでは、普段、こちらの庶民が食べているものがどれぐらいのレベルかは想像がつくと思います。

 でも、家庭料理がなんとも言えず、親しみやすく美味しいと思うように、私が中央銀行の食堂で食べるものは、全て美味しく食べています(もっとも、私は世界中のどのような料理でも結構美味しく食べてきたので比較するのは難しいのですが)。

 あとは自炊をして自分で好きなものを作っています。自炊することは10年間の海外での一人暮らしの経験から慣れているので苦になりませんし、最近は家内もやってきたのでさらに料理のバリエーションが増えました。むしろ地元の青空マーケットに行って食材を選んだり、地元の人が何を食べているのかを見ることは、極めて興味深いものがあります。いまは、大粒のグリーンピースが旬で、街の人々は生で皮をむきながらポリポリと食べています。キノコもだいぶ店頭に並ぶようになりました。こちらの人はサーモンをよく食べますが、マグロも生で食べられるような新鮮なものが店頭に並んでいます。あとは甲殻類(エビ、ザリガニ)や魚卵(イクラ、キャビア、その他)、イカやタコの類、ニジマス、サバ、スズキも食べるらしく売っています。肉は鶏肉、豚肉、牛肉が中心ですが、トナカイ肉、ライチョウ肉、羊肉なども売っています。野菜や果物も基本的なものは全て売っていますが、主要なものは南ヨーロッパなどからの輸入品です。感覚的には食料品価格は結構高いように思います。

(4)Do-It-Yourself

 フィンランド人の同僚からは夏期休暇や週末などは、家の仕事をするという説明がされるので、具体的に何をするのかと聞いてみました。彼ら曰く、家の修理、ガレージの修理、別荘のペンキ塗り、子供が割ったガラスの差し替え、家庭菜園の収穫、果実ジャム造り、などなどかなりのことを自分たちでやっているようです。うれしいことに、家庭での工具やモーターボートのエンジンなどは日本製品が一番信頼できるという意見では一致していました。しかし、私も子供の頃は、少しは日曜大工のようなことをした覚えがありますが、今や、全ての修理などは業者さんにやってもらい、家庭で野菜を育てたり、保存食品を造るということは、ほとんどしなくなっていることに気づかされました。経済学的には、私が素人の手つきで慣れないペンキ塗りをしたり、下手な鮨を握るよりも、業者に頼んだ方が上手に、素早くできるでしょうし、そのための道具を揃えておくことのコストも馬鹿にならないということ、さらに、自分が同じ時間あれば、原稿を書いた方が生産性は高いという説明もできるでしょう。しかし、この経済学的な分業の理論あるいは比較優位の理論は経済目的の生産活動には説得力のある考え方でしょうが、個人の生活にまで当てはめるのは問題があるように思います。

 人間として一家を支えて、子供を育てて、自分たちで食べるものを育て、収穫し、料理し、自分たちの生活の場の維持管理を自分でやり、自分たちの手作りのボートや別荘で休暇を過ごすというのは、言うまでもなく極めて健全で、人間的で、全人的な教育には最適なことのように思います。少し余裕をもって社会を眺めてみると、私が日本で経験している毎日がいかに非健全で、生活と仕事のバランス(ワーク・ライフ・バランス)の欠けたものになっているかが実感されます。この問題にはまた立ち返りたいと思います。

北村行伸@ヘルシンキ

 
フィンランド式野球の配置(左)と、ヘルシンキのエスプラナーディ通りでくつろぐ人々(右) Pesapallo helsinki7-1