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オピニオン

●「ヘルシンキ便り(2)」2009年7月15日

 フィンランドに対して日本人が描いているイメージはムーミンでしょうか、子供の教育水準の高さでしょうか、各種のインテリア・デザインやテキスタイルなどの工芸品の質の良さでしょうか。あるいは森と湖の国で、のんびりサウナに入っている光景でしょうか。私も平均的日本人の知識しか持たずにフィンランドに来ました。これからどれぐらいこの国を知ることができるかわかりませんが、観察したり聞いたりしたことを出来るだけ沢山報告したいと思っています。

 先日、ヘルシンキにあるデザイン博物館に行ってきました。1階は基本的なフィンランド・デザインの歴史を展示したものでしたが、2階はテキスタイル(織物)の歴史的な展示と現在の代表的なデザイナーの仕事が紹介されていました。歴史的な織物は18世紀ぐらいからのものが展示されていました。初期のテキスタイルはどう見てもペルシャ絨毯の巧緻な仕事と比べれば、クルド族のラグに近いような素朴なものが多かったのですが、現代に入ってくると次第に自由度が高くなり、芸術性が高まってきたことがわかります。とりわけ私の関心を引いたのが現代作家Sirkka Kononen (1947-)の作品でした。彼女の作品は極めて芸術的であり、下絵の構想がいかに作品にされていくかがビデオで紹介されていました。フィンランド語がわかりませんので、それ以上のことはその場ではわかりませんでしたが、名前を控えてインターネットで調べると、彼女のデザインしたセーターやラグが売られているので、ある程度、商業的にも成功しているのだと思います。商品としては明るい配色のメルヘン的な構図が多いように思いますが、芸術作品としては、もう少し抽象的なものを製作しているようです。

 織物というのは、縦糸と横糸を組み合わせて色合いやパターンを出していくもので、極めて単純な仕組みでありながら、日本の織物の志村ふくみさんの作品のように、染物や絵画に勝る芸術性を表現することができる工芸技術です。私は子供の頃から、京都の西陣や近江八幡の志村さんの工房で織物の現場に慣れ親しんで来ました。また江戸時代の小堀遠州の「きれいさび」という概念で集められた珍布帳のコピーなどを見て、織物のパターンや表現の多様性を、驚きをもって見てきました。

 もともと織物というものは、衣類という生活必需品として、古くは各家庭内で、最近まで家庭内工業という形で、生産されてきたものです。ほとんど全ての国で織物や染物は存在しますが、それを精緻化し、巧緻化し、芸術化した国は限られています。主要なものと言えばフランスやベルギーの織物、ペルシャの織物、中国の織物、日本の織物などでしょうか。フィンランドは小国であり、しかもロシアとスウェーデンという大国に挟まれて、歴史的に翻弄されてきただけに、王侯貴族に献上する目的の織物産業は起こらなかったのでしょう。規模としては小さなものですが、私にはそれなりに質の高いものを作っているという印象でした。織物に限らず、フィンランドでは金工や木工のアクセサリー・デザイン、毛糸の編み物など多くの手工芸品が発達しているのですが、これは長い冬を、部屋の中でひっそりと過ごす時の仕事として発達してきたものでしょう。日本でも東北地方に織物や刺繍、こけし造りなどの手工芸が発達したのも同じ理由でしょう。またフィンランドには強力な王様がいなかったということは、それらの手工芸が産業レベルにまで発達せずに、個人の手仕事の域に止まっていたのでしょう。しかし、この国の人々の中には、これらの手仕事を芸術的なレベルにまで高めた人がいくつかの分野でいて、それが現在のフィンランド・デザインの基礎に、あるいは財産に、なっているのだろうとデザイン博物館からの帰り道で考えました。

 

北村行伸@ヘルシンキ

 
          デザイン博物館                         Sirkka Kononenの2004年の作品 "Salkoruusu" helsinki3 helsinki4