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オピニオン

●「ミラノ便り(2)」2007年10月22日

 ミラノはイタリアの経済の中心都市であり、フィレンツェやヴェネチアと比べると文化的、美術的に観るものは少ないと言われている。比較の問題としてはそうかもしれないが、だからといって、これだけの歴史を持つミラノに文化遺産が量的に少ないというわけではない。実際、こちらに2週間滞在して、歴史的、美術史上重要な遺物や遺跡をできるだけたどろうとしているが、まったく時間が足りないというのが実感である。

 例えば、一般的なミラノ観光客であれば、ドゥオーモ、ブレア美術館、王宮、スフォレツェスコ城、サンタ・マリア・デッレグラツェ教会のレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」を駆け足で回わると2日で観終わるかもしれない。少し美術に関心が高ければ、それに追加してアンブロジアーナ絵画館、ポルディ・ベッツォリーニ美術館あたりも見に行っても3日もあれば十分ということかもしれない。確かに大学で授業をしながら、その合間に見物をするのはなかなか集中して回れないので時間がかかるのかもしれないが、小さな教会にも驚くほど長い歴史があり、見るべき美術作品がたくさん残っていることには驚かされ続けている。大学から路面電車で少し先に行ったナヴォリオ地区にあるサンテウストルジョ教会はガイドブックに大きく取り上げられているわけではないし、日本人観光客はほとんど来ないと思うが、13−14世紀のフレスコ画やロンバルディア様式の素晴らしい彫刻が残っている。またトスカーナのルネッサンス様式で作られたポルティナーリ礼拝堂も威圧的ではなく、開放的で、これまた見ごたえがある。こういった教会や建造物はそこら中にあるし、その上、昔の工場や宿、洗濯場や住宅なども落ち着いて観ると、いろいろ面白いことがわかり楽しい。

 私はボッコーニ大学へ向かう路面電車の路線(9−29−30号線)が昔の城壁のすぐ外側に引かれていることに気がつき、駅を一つ一つ降りて城壁の存在を確認してみている。城壁が外部に対して開かれているローマ門、ティチネーゼ門、ヴィットリア門、モノフォルテ門、ヴェネツィア門、ヌォーヴァ門、ガリバルディ門、ヴォルタ門、マジェンタ門なども意識してみて回ると中世には確かに城壁に囲まれた都市であったことがわかる。これはパリで旧城壁跡が環状線(ペリフェリック)になっているのと全く同じ構造である。街はドゥオーモとその前のメルカンティ広場を中心に道路も各地に向かう門に向かって大通りが放射状に広がっており、その他の横をつなぐ道は網の目状に複雑に結びついている。この街は、明らかに長い時間をかけて形成されてきており、その時代時代で重要な建造物が建てられ、道路が作られていることがわかる。江戸時代の地図を頼りに現在の東京を観て周り、江戸の痕跡を発見するということが流行っているようだが、ミラノに関しても全く同じことができる。むしろ、東京であれば何度も火災にあい、当時の痕跡はかなり消滅しているが、ミラノはある意味では中世の遺跡がそのままに残っており、消えたものといえば、運河と城砦ぐらいかもしれない。とは言え、ドゥオーモのすぐ裏の道路工事現場からはローマ時代の遺跡が発見され、考古学的調査をしている最中であったので、中世以前の遺跡は地面の下に隠れてしまっているのだろう。素人考古学者を気取って、ミラノの街を観て回るのは実に楽しい。

 20日の土曜日、週末を利用してCastiglione Olonaという15世紀からある中世の村の村の教会にMasolino da Panicaleが1435年頃に描いたフレスコ画を観にいった。この村はミラノ北駅から50分ぐらいで着くVenegono Superioreから2kmほどの所に位置しており、特に村まで行く交通手段があるわけではないので徒歩で行った。

 この村は「ロンバルディア地方におけるトスカーナ」という形容詞がつけられているが、アッシジやシエナのようなトスカーナの宗教的な村を彷彿させ、しかも観光客がほとんどこないので奇跡的に中世の村や教会のフレスコ画が保存された秘宝のようなところである。我々もイタリア宗教美術史の辻佐保子先生に奨められて行ったのだが、先生から情報をいただかなければまずはほとんど知ることのできなないような小さな村である。しかし、村自体はローマ時代の4−5世紀から重要な拠点として存在していたようである。我々が目指した教会の正式名称はLa Collegiata della Beata Vergine e dei Santi Stefano e Lorenzo (The Collegiate church of the blessed Vivgin and of Saints Stephen and Lawrence)で、1422−25年にかけてAlberto Giovanni とPietro Solariによって建造された15世紀ロンバルディア・ゴシック様式のものである。Masolinoのフレスコ画がある礼拝堂は聖ヨハネ(II Battistero di San Giovanni (St John the Baptist))のエピソードをモチーフにしている。絵画技術的には遠近法を導入した初期の作品としても評価されているそうであるが、とにかくその色彩の美しさには息を呑むものがある。

 ミラノ市内にあるサンタ・マリア・デレグラツィエ教会のレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」のフレスコ画が有名であるが、こちらは傷みが激しく最近修復し終わったところで、今は拝観は予約制になっている。Castiglione Olonaの教会のフレスコ画は600年の歳月を経てもほとんど当時のままの色彩と構図一体として残っている点でも極めて珍しいそうである。フレスコ画の下のほうに無数の落書きがあり、心が痛んだが、600年を経て、しかも、教会を守っているのは神父さんと地元のおばあさん一人であることを思うと、やはり奇跡的なことであろう。

北村行伸@ミラノ

 
サンテウストルジョ教会の彫刻 sante
Castiglione Olonaの街角の聖母子像画
maria