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オピニオン

●「ロンドン便り(6)」2003年3月25日

 このロンドン便りも今回で最後になります。長いようで短かった6週間でした。コートの上にマフラーが必要だった寒い2月から、いつの間にか、シャツだけでも暖かく感じる春に変わっていました。この間、様々な経験をし、色々と新しいアイディアを得たり、こちらの研究者と接して多くの刺激を受けました。

 しかし、この6週間で最も大きな出来事は、やはりイラクでの戦争を開始するまでの約1ヶ月の間、戦場の最前線に兵士を送るという意味での開戦に踏み切る国の、国連や議会での議論と意思決定の過程、反対の意思表示の過程をつぶさに見たということだと思います。以前のフォークランド紛争、イラク・クウェート湾岸戦争の時にはイギリスにもアメリカにも滞在していませんでしたし、今回が戦争を開始する意思決定を初めてリアルタイムで経験したと言っても過言ではありません。

 議会での論争、国連での調整、国内世論の形成、どれをとっても議論を尽くしたとは言い難い状況の中で、アメリカが開戦を急ぎそれに従ったという感が強いのですが、イギリス政府の思惑は(1)アメリカとの連帯の重要性、(2)宥和政策に対する強いアレルギー、(3)アメリカだけに単独行動を取らせるよりも共同行動をとった方が、アメリカの暴走を防げるということ、にあると言われています。もちろんこれらはイギリス人やイギリスのメディアの評価であって、国際的に通用するかどうかは別の問題だと思います。

 それでも、イギリスがアメリカと行動を共にするという決意は、第2次世界大戦からの伝統でしょうか、フランス政府がイラク戦争に反対した時に出てきた意見も第2次世界大戦で解放してやった恩を忘れたのかというものが最も強いアピールになっていたように思います。私自身は時と状況次第でどんな強い絆で結ばれた連合であっても、苦言を呈する勇気は必要だと思います。特に、今回の参戦までの経緯はあまりに短兵急かつ不自然であったと思いますし、国際世論の合意が出来ていないまま、戦争に入った米英に対する不信は長期的に悪い影響を残すでしょう。

 開戦2日目のペンタゴンでの記者会見では、どこかの新聞社のレポーターが「昨日のようなショウは今日は無いのか」といった不謹慎な質問をし、ペンタゴンの報道官からたしなめられると、「これはNew York Timesが使った言葉であって、私の言葉ではない」と言い逃れをするという実に醜悪な場面を見せつけられましたが、明らかにアメリカ国民の中には対岸の火事のような態度が見え隠れしていて、全ての災禍はどこか遠隔の地でという、9・11以前の意識に戻ったのではないかというような気がしました。

 大量破壊兵器のイラク政府による直接使用あるいはそれがテロリストに渡り使われることを阻止することというアメリカとイギリスの口実は、最大の武器輸出国がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の旧連合国、現在の国連安全保障理事会常任理事国5カ国であることを考えると極めてむなしい三百代言だと思います。まずは安保理常任理事国が自国軍以外との武器の商業取引を全面禁止し、その上で、北朝鮮やパキスタン、旧東欧諸国など小規模ながら武器取引をしている国にも禁止の輪を広げるというのが筋でしょう。

 花と緑に包まれた、コッツウォルズの田園風景を見た後で、イラクの砂塵の舞い散る中での戦闘の光景を毎日テレビで見せつけられるのはなんとも悲しいものです。もちろん安っぽいセンチメンタリズムは否定されるべきものですが、この世の中で、憎しみあったり敵対しあうより、お互いを大切にし合い、感謝し、愛し合うことのほうがはるかに幸福な状態であり、心穏やかなことは全ての人が理解しているはずです。例え宗教が違っても、平和共存することは可能であることは、これまで平和の時期があったことからも明らかです。

 イギリス滞在中は毎晩、カントの「永遠平和のために」とエラスムスの「平和の訴え」を読んでいました。恒久平和のためには似非平和条約や常備軍は否定され、いかなる国も暴力による干渉をしてはならないというカントの訴えを、再び真剣に検討する必要があると強く思ったからです。また、国連決議1441とロンドン軍縮会議(1932−37)との類似性について調べたり、正義の戦争は可能かということについて本を読んだり考えたりしましたが、戦争は今も続き、私自身何かまとまった結論に達することもないまま帰国することになりました。戦争と平和についてはこれからも考え続けるべき課題として残りました。

北村行伸@London
Teddy as my room keyholder