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オピニオン

●「インフレ・ターゲッティングは行財政改革との組み合わせで」2002年11月6日

 昨今、金融政策の目標としてインフレ・ターゲッティングを導入せよという意見が多く出されているが、それを主張している日本の論者が全く無視している側面があるのでそれを指摘しておきたい。

 それは、インフレ・ターゲティングを採用している多くの国、例えば、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、スウェーデンなどでは、中央銀行の独立性を高め、新たな中央銀行法を制定すると同時に、厳格な財政ルールの設定がなされているということである。具体的には、ニュージーランドの「財政責任法」(1994年)、イギリスの「財政安定化規律」(1998年)、オーストラリアの「予算公正憲章法」(1998年)などが制定され、財政規律をより制度化させようとしている。これらの試みは、政府が守るべき財政運営の原則を明示し、この原則に基づいて具体的な財政ルール・目標(例えば、債務残高GDP比を30−40%に収める等)を設定し維持することを約束し、また、それが実際に適切に運営されているかをチェックし(財政運営の評価)、そのために政府は広範な報告書を作成し公表することを義務づけようとするものである。また、財政運営のフレームワークとして3−4年の中期的な財政計画を作成し、財政の単年度主義問題を克服し、中期的な視野にたって安定的な経済財政運営を行うことで、より効率的な運営を可能にしようとしている。また、30年超の長期的な財政の持続可能性分析や財政ポジションを示す指標の提示、予算と決算との齟齬の説明など様々な情報を報告する義務を負っている。  これらの財政ルールは中央銀行に課された金融政策ルール、例えば、インフレ率を2%±1%以内に抑えるという目標を設定して、それに対する政策運用は自由度が与えられる代わりに議会での説明責任、インフレ・レポートの作成、免責条項などと似たような枠組みで設定されている。

 これらの厳格な財政規律付けがなされてはじめて、金融政策の規律付けや目標の設定が現実的に機能するものとして理解されるべきであり、実際にインフレ・ターゲティングを採用している国では上述のような財政ルールが採用されているのである。これはもちろん現行他国で採用されているインフレ・ターゲティングは物価を抑えようとする目標で導入された制度であり、デフレから脱却するためになんとかインフレを起こそうという目的で導入されたものではないことに注意する必要がある。  デフレから脱却するためには日本銀行は紙幣をどんどん市場に流し、財務省は赤字国債でもなんでも発行し続けるべきであるという立場に立つ人には、財政規律や金融規律など現在は不必要だと言われるのかもしれない。このような立場に立つ人は本質的に政策の信認などといったものを信じていない人なのだから、インフレ・ターゲティングなどともったいぶったことを言わないで、超拡張的な金融・財政政策の具体的内容を明らかにしつつその政策をとれと主張すべきあろう。いやむしろインフレ・ターゲティングはそのような超拡張的政策の後に来る大インフレを抑えるために役に立つのだという人には、それならば、財政規律ルールも決めておかなければならないと言いたい。いずれにせよ、現在、インフレ・ターゲティング導入を主張している人たちの中で実際に海外で行われている同制度を全体として真に理解している人は皆無であり、表面的なつまみ食い的な知識だけの議論で非常に危ういのである。

 このように金融、財政政策のルール化が同時に行われるのはなぜだろうか。このような問題に対する理論的研究は最近の新しい政治経済学の分野で活発に論じられている。例えば、アビナッシュ・K.・ディキシット『経済政策の政治経済学』(北村行伸(訳))(日本経済新聞社、2000年)では、共通のエージェント(代理人)が複数のプリンシパルから複数の任務を委託される場合、結果としてエージェントの任務遂行のインセンティブを低下させることが示され、インセンティブを上昇させるためには、エージェントの任務を分割して(ミッションの明確化)、複数のプリンシパルの要求がエージェントの他の任務に負の影響を与えないようにすることが望ましいとされている。

 この結果はディキシットだけのものではなくミルグロム、ロバーツ、ティロールなど多くの研究者も類似した結果を出している。この結果の意味することを金融財政政策の枠組みで表現すれば、金融政策がインフレ・ターゲッテイングを適切に遂行するためには、インフレに影響を与えそうな要因は金融政策当局の管理下に置き、財政政策当局が国債を大量に発行することによってインフレを発生させるような誘引を持つべきではない(第三者の政策遂行への関与の禁止)ということになる。すなわち、金融政策のミッションを規定するのであれば、同時に財政政策のミッションも規定しなければならないということなのである。論者の中には、金融政策の目標は物価の安定にあるのだから、そのミッションは明確であるし、政策目標としてインフレ・ターゲッティングを設定することは望ましいが、財政政策のミッションは多様であり一つの目標にコミットすることはできないという議論をする人もいるが、それは財務省として経済成長や財政均衡、国民生活水準の上昇など様々なものをミッションに取り込もうとしているからであって、イギリスやECでは財政健全化ルールとして「債務残高をGDP比50−60%以内に収める」ということをミッションとして設定しており、それを前提に様々な政策を遂行すればいいのであって、目標を設定することが出来ないということにはならないし、それで支障がでているとは聞かない。

 むしろ現在のように情報公開と説明責任の問われる場合には、各政策主体のミッションと政策手段を明らかにし、他の政策主体のミッションの遂行に支障となる、あるいは妨害するような政策を第三者政策主体にとらせないような厳格な線引きが必要になるのである。

 近年の政治経済学研究では、金融当局がルールを守った政策を執行しても、他方の財政当局が裁量的な政策を行えば、結局、ルール主義的な金融政策も事後的には裁量主義的な結果しか生まないということが明らかになってきている。すなわち、中央銀行が政府から独立することによって、財政政策と金融政策をいかに調整するかということが新たな課題として浮上してきたのである。近年の日本の状況は、財務省、金融庁、日本銀行、そしてそれらの調整機関としての経済財政諮問委員会が日本経済の活性化のためにいかなる政策をとることが望ましいかを決定し、協調して実行に移すことが、極めて困難であることを示している。組織の権限と政策手段の確認、相互の政策への不可侵、厳格な政策ルールの確立など、金融政策と財政政策を巡る政治経済学的な課題は山積されている。

 このような原則を理解した上で、経済政策のグランドデザインをするべきである。また財政ポジションが債務残高GDP比140%を超えるような状況で、デフレ圧力が払拭されていない時にインフレ・ターゲッティングを導入しても中央銀行は、例え免責条項に訴えたとしても、その信認を失いつづけ、建設的な政策運営は出来ないだろう。

 現実問題としてはある程度財政再建の見通しがたったところで、財務省と日本銀行がアコードという形で、金融政策目標付きルールと財政政策目標付きルールを相互に確認し合う他ないだろう。相互の政策に対する不信が残っている限り金融財政システムは上手く機能しない。政策提言をするならば、導入のタイミングについても提言すべきである。現在インフレ・ターゲティング導入を主張している人は今すぐ導入せよという意見だと思うが、私には現在の金融財政状況とマクロ経済環境を考慮すればいま導入しても全く機能しないと思われる。機能しないときに導入を主張するのは先見の明ではなく、有害であることを知るべきである。