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オピニオン

●「保険金殺人の制度的背景」2002年5月7日

 保険金殺人事件が後を絶たない。発覚した事件だけでなく、うやむやになって保険金が支払われたケースも多いのではないだろうか。これだけ事件が続くと、生命保険制度自体に問題があるのではないかと考えてしまう。実際、火災保険など損害保険では家屋など損害を受けた物件の価値に規定されて、いかに多くの会社の損害保険に入っていようと、支払われる総額は一定の保障額を超えることはない。保護したいものが特定の物件であるのだから、これは道理にあった保険制度である。しかし、同様の論理が生命保険には働いていないのいである。

 原則的には、ある人物が亡くなった場合に残された遺族の生活に支障のないように、その人の稼得能力をその人の将来労働年数に掛け合わせて求めたものにほぼ匹敵するだけ保険金をかけておくというのが常識だろう。実際には、ある程度の常識的な保険金から逆算して保険料を設定するというのが一般的である。しかし、当然ながら、生命保険は契約期間中に死亡しない限り、支払われないのだから、自分の寿命をもっと確実に知っている人、あるいはそう思い込んでいる人は、保険金額をさらに少なく設定して、無駄な掛け金をセーブしようとするだろう。すなわち、生命保険が正常な目的で利用されている限り、自分の稼得能力を超えた保険金をかける理由は無いはずである。もしそうであれば、損害保険と同様に支払われる額も一定の額を超えることはないことになる。

 しかし、生命保険では、保険料を払える限り保険金の上限はなく、それが被保険者の稼得能力を超えても問題にならない。もちろん、ここに情報の非対称性の問題が入ってくる。人には知られていないが将来、高い稼得能力を持つようになるということで高い保険金を掛けているのだと言われ、また実際に高い保険料を支払う能力がある場合には、それなりの根拠があるということで問題にはならないのかもしれない。しかし、保険金殺人の場合、多くは第三者が多額の保険金を掛けて、保険料を払込み、保険金の受取人となっている。被保険者がだまされている場合もあれば、なんらかのトラブルがらみで強制的に認めさせられている場合もあるだろう。さらに、全く被保険者が知らないうちに掛けられた保険もあるだろう。

 このような保険制度には明らかな欠陥がある。第一に保険金額が本人の稼得能力をはるかに超えた額になることが許される制度は、潜在的に被保険者が死亡する方が望ましいということを認めてしまっていることになる。これは、殺人や自殺に結びつくインセンティブを強く持たせることになる。当然、保険料が被保険者の所得額とバランスがとれているのかどうかが確認されてしかるべきである。このためには第三者が受け取り人になっている保険も含めてすべて本人の確認をとり、保険会社間で名寄せをして本人に異常に高額の保険が掛けられていないかを調べるべきである。第二に、いかに本人の稼得能力を測ることが難しいといっても、月々の保険料が数十万円、数百万円もすれば、本人にそれだけの支払い能力があるのかどうかを確認する必要がある。自分が払いきれないほどの保険料をはらって保険を掛けるということになにか犯罪性が含まれている可能性があるし、少なくとも犯罪をおかすインセンティブは含まれていることは間違いない。第三に生命保険会社は生命保険を純粋な保険に加えて貯蓄手段として提供することで、保険契約を増やしてきたという側面がある。いくら契約数が多くとも、保険金額が多額であろうとも、それが貯蓄として扱えるならなんら問題はないという発想にいつのまにか転換してしまったのではないだろうか。

 生命保険会社は原点にもどって、どのような契約をすればいいのか考え直す必要があるし、規制当局も犯罪が次々起こっているという事実を厳粛に受けとめ、この制度のもっている犯罪へのインセンティブは完全に無くすべきである。また、このように生命保険が犯罪として用いられることによって、正当な理由で加入している被保険者への掛け金や配当金に影響が出ることは無視できない社会的コストであるということも認識すべきである。