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オピニオン

●「ケニア便り」1999年8月23日

ケニア便りも今回これが最後になると思います。今回も、いくつかの社会観察をしましたので報告しておきます。

(1)ケニアの平均所得は中堅サラリーマン(中央銀行員も含む)でおよそ月平均$500−$800(5.5万円ー9万円)ぐらいです。会社幹部、経営者になると月平均$1500−2500(17万円―27万円)ぐらいになります。ボーナスはありません。所得税は確か35%でかなり高いようです。社会的にもっと低所得の人、例えば、ドライバーや秘書、掃除人などは月平均$100(1万円)以下の給料しか与えられていないようです。しかも労働組合がないので、解雇は随時おこなわれています。むかし、開発経済学を勉強した時に、無制限の労働供給が農村から行われる場合には、賃金は生活最低水準に押さえられるというモデルを使いましたが、周辺的な雇用に関してはまさにそのモデルが当てはまるような状態にあります。雇用が比較的保証されている労働者との間に垣根があるという意味では、Insider-Outsider Modelが成立しそうですが、これを保障しているのは労働組合ではなく、もう少し社会学的人類学的な差別(部族間の縁故採用など)のようです。

(2)ケニア家計の平均貯蓄率はほぼ0%だそうです。総貯蓄GDP比は17.5%とかで、社会の中で誰かが貯蓄していることはしているのですが、所得分布が極めて不平等なので、国民の60−70%は貯蓄がほとんどない状況で生活しているようです。私に付いている秘書さんなどは、始終金がないとぼやいていますし、なにか故郷の村でことが起こった時には村に帰るお金がない親戚の人達が大挙して無心に来るそうです。帰郷に必要な額は一人当たり往復で2000円未満なのですが、急にそれだけのお金が用立てられる人があまりいないということは、貯蓄残高などほとんどないということでしょう。

(3)貸出金利はついこの間まで年率30%を超え、現在でも15%ぐらいあるとのことです。経済成長率はマイナスを2年連続で続けており、投資収益率は高くても3%ぐらいでしょうから、まともな投資家は銀行から借りても金利を払える見込みはほぼないので、銀行借入は低調です。銀行は資産として高金利の国債を買っています。およそ銀行資産の20%近くを国債で持っています。国債金利も15%ぐらいですから、その金利は政府が払わなければならない訳ですが、それに見合うだけの税収があるとは誰も信じていません。預金金利も13%ぐらいはあります。それでも貯蓄率がゼロというのは、銀行にとっては貸出先もあまりないので、預金を集める気がないということでしょうか。財政支出を国債で賄わざるを得なくなって、しかもかなりの金利でなければ市中消化できなくなっているということは、Cochrane(シカゴ大)のインフレ財政赤字論に近い状況、つまりあとは中央銀行が国債をmonetaizeするしかないというところまで来ているのではないでしょうか。中央銀行はインフレ率を一桁に抑えていることを自慢げに表明していますが、これだけ高金利、低成長のもとで、インフレを抑えてもあまり誇れることではないように思われます。

(4)治安はこのごろ悪くなっており、我々が買い物に行くショッピング・センターにも今日銀行強盗が入りました。先週は他のショッピングセンターの近くで、JICA関係者の日本人のパソコンが奪われました。我々も着任早々、無線機を持たされ24時間連絡を取れるような体制になっています。しかし、我々の滞在しているケニア金融学校はセキュリティーが厳重で、学校の敷地の中にある宿舎と教室を行き来している段には全く問題はありません。外出する時は中央銀行の車でドライバーが送り迎えしてくれるのでこれも心配ありません。我々の今回のドライバーはピーター君で20歳ぐらいの好青年です。現地の人が運転しないと、何が起こっても不思議ではない地域をうまく避けることが出来ないので、ドライバーは必ず必要です。ピーターは実にうまく安全に運転してくれるので安心です。今日は土曜日で映画「Out of Africa」(愛と哀しみの果て)の原作者カレン・ブリクセンの住んでいた家をピーターの運転で訪ねました。なかなか、立派な石作りの家で、庭からはゴング・ヒルが見え、たいそう気持ちのいいところでした。その近くの庭園レストランでピーターと家内と3人でゆっくりと昼食をとりました。ナイロビ市内の喧騒から離れてすごすと、治安の悪さも忘れがちになりますが、現実は結構厳しいものがあります。

(5)こちらのTV事情が前回からすこし変わりました。前回はKBCとKTNの2局が中心だと報告しましたが、今回はイギリスのSKY TVとCNNも見ることができるようになりました。もちろんホテルではケーブルTVでNHKも映るのですが、学校の宿舎では通常の放送局しかみることが出来ません。今回発見した局にファミリーTVというのがあり、これは一日中キリスト教関係の番組を流しています。どうもこれはアメリカのケーブルTVの一局らしくアメリカ的なゴスペルを歌いながら説教する歌手や、歌っているうちに泣き出してしまう人などが次々に出て来たり、キリスト教にまつわる奇跡をたずねるドキュメンタリを流していたり、実に不思議なTV局です。アメリカに留学していた人は見たことがあるかもしれませんが、何万人もの観衆の中で、説教をする狂信的な宗教者の姿は、私のような部外者から見れば、実に不気味な気がします。キリストの奇跡をドラマにした番組などオウム真理教のアニメとほとんど同じようないかがわしさが感じられました。これをケニアでは公共の電波(ケーブルではなく)が一日中流しているのですから驚きます。

(6)ケニアの物価は統計局が推計しているらしいのですが、とにかくほとんど全ての取引が相対取引で、値段もその時の交渉次第でどんどん変わり、同じものが露天市とホテルの土産物屋とでは3倍も違うということがあたりまえの社会で、何らかの意味のある物価を推計することは至難の技のように思われます。実際、中央銀行から来ている学生にこちらの消費者物価バスケットの中身を教えてくれといったところ、それは公表,されていないということでした。おそらく、かなりいいかげんな統計処理がなされているものと思われます。また国勢調査も過去20年ぐらい行われていないので、現在の人口は不明とのことでした(TVニュースによると、来週8/24-8/31の間に1999年度国勢調査が久々に実施されるそうです)。とにかく、50近くの部族がいて、それぞれが別々の言語で話しており、またマサイ族のように文明社会を拒否してるようなグループもいる中で、統一的な統計調査を行うのは非常に難しそうです。学生に金融関係のケニアにおける研究結果を聞いたところ、ほとんど何もリサーチがなされていないことが分かりましたが、その多くは先進国では当たり前に整備されている基礎統計がこちらにはほとんどないという理由によるようです。もちろん学者や民間エコノミストが怠慢であることも大きいと思いますが、こちらではリサーチはかなり忌避されているようです。なにか、政府や組織の不正を暴くことになるというような意識があるようです。統計をしっかり作って、つねに基礎研究をおこなわないとまともな政策立案はできないからと口を酸っぱくして言いましたが、分かってくれたでしょうか。

(7)マサイ族の村に行って村の中を見学しました。村といっても、一戸当たり4−7人の人が住んでいる家が30戸ぐらい円形に作られたものです。周りに羊の檻を作り、中央に牛をかっています。昼間は男達が羊と牛を放牧して回り、夜、村に連れて帰ってきます。女性は村に残り育児、家事、身の回りのものを作ったりしています。家の壁は牛のウンコで作られ、彼らいわくかなり頑丈に出来ているそうです。村の囲いの中には牛や羊のほかに犬、鶏など放し飼いにされており、村全体がウンコの山のようなところです。家の中にはねぐらのようなところが、2−3ヶ所あり、そのほかに簡単な囲炉裏が作られています。換気など考えていないので、すすだらけという感じでした。食事は牛のミルク、血、肉が中心で野菜などは食べないそうです。言語は非常に孤立しており、他の部族の人とはほとんど会話が出来ないようです。近頃、子供が学校に行くようになり、英語を話す子供が通訳をしているようです。婚姻制度は1夫7妻制だそうで、結婚は10代前半から行われているようです。マサイ村で思い出したのは、経済人類学で学んだのですが、交易が始まった時には、お互いに言語による交換ができなかったので、その村で交換したい財を、村の前に並べて(あるいは海岸に並べて)、相手がそれを見て周り、相手も交換していいと思う財を並べ、今度は村の人がそれをみて回り、お互いに気に入ったものがあれば、交換を行うというパターンが行われていたそうです。マサイ村でもそれと同じことが行われていました。つまり、村の中庭、つまり夜、牛を放しているところでウンコの山になっているところですが、各戸の女性が作ったネックレスや飾り、武器や仮面などが、ぐるりと並べられており、我々はそれを見て回って気に入ったものがあれば、それをもって中央にいる英語の出来る少年と長老のおばあさんとの値段交渉に入るという算段になっています。ここで問題なのは、その売上が村全体の唯一の現金収入になり、それを各戸で分配するという共産制になっているのですが、彼らの財の価格自体が村の各戸の現金必要額から割り出されており、つまりマルクス的な労働賃金が価格に転化されており、他の村での財の価格やナイロビ市内でのおみやげ物屋での価格など相対価格をマサイの村人は知らないので(あるいは知らないふりをしているので)、一般常識的な価格水準からかけ離れた高価格になってしまっているということです。先に書いたようにナイロビの労働事情では、低賃金で働かざるを得ない状況になっており、マサイ村で売っているものと同じようなお土産が約10分の1の価格で取引されています。観光客はある程度ナイロビでの価格を知っていますので、値引き交渉に入るのですが、ここで厄介なのがアメリカ人観光客です。彼らの多くはスーパーやデパートで買い物をする癖で、言い値で買ってしまうようです。ドルの価値からすれば1個100シリングでも400シリングでもあまり気にはならないのかもしれませんが、せっかくの価格調整の機会をぶち壊していることは確かです。また、旅行者が大抵、一回限りの訪問者だということも、財の品質の調整をあまり生じさせない理由になっているようです。つまり、経済人類学の研究によれば、先ほど述べたような交易が繰り返し行われることによって、船でやってくる人達は香辛料や真珠を欲しがっているのだということが分かれば、次の機会までに香辛料や真珠を多く採取しておくでしょうし、交易者はその村の人たちが織物や武器を欲しがっているのならこの次には、それらをたくさん持ってくることで、お互いの需要と供給が調整されていくプロセスをとるようになったそうです。ところが、交易が一回限りの訪問者と行われる場合には、訪問者が欲しいものが何かということとはお構いなしに勝手に生産して欲しいものがあれば買っていってという態度になってしまいがちです。実際、マサイ村で売られているものは、彼ら自身が身につける装飾品や牛の角で作った水筒、弓矢や槍などの武具など、マサイ族以外の人の実用になるものはほとんどありません。家に「アフリカの間」でも作って並べておく趣味の人には意味があるかもしれませんが、それ以外の人にはあまり実用性はありません。例えば、キーホールダーなども作っているのですが弱々しいビーズで作られており、2−3日ですぐ壊れてしまいそうなものでした。これでは、酔狂な人しか買わないでしょう(でもそういう旅行者が多いから商売になっているのでしょうが)。しかし、見方を変えれば、マサイの人が日本からの観光客のためにキティーちゃん模様のビーズの首輪をつくるのもおかしい気がします。そもそも、ケニアの中でもマサイ族は文明化を拒否して自分達の生き方を選んできたわけですから、経済力による調整などはたらかないのは当たり前かもしれません。東京やニューヨークの株が暴落しようが、ロンドンの地価が急騰しようが、マサイの人達は関係無く自給自足で暮らしていけるわけですから、それはそれは貴重な生き方であることは確かです。

(8)ケニア社会が多部族社会であることはすでに述べましたが、その結果、社会的に一番重要な規範は平和の維持ということになっているようです。多少の不正はお互いに見てみぬふりをし、とにかく仲良くやっていこうという意識が、特に政治的指導者の間では非常に強いように思いました。国の財政規模などから判断すれば、日本では和歌山県ぐらいに相当するそうですから、大統領というより、ちょとした市の市長さんが、なにかの間違いで知事になり、そのまま20年以上知事を続けている状況を考えた方がぴったりくるかもしれません。このような状況は日本でもよくあることでしょう。ケニアのモイ大統領は少数部族カレンジンの出身で、とりわけ少数部族連合を組んで、多数派部族のキクユ族、ルオー族を抑えこまなければならない政治構造になっているために、部族間平和ということが意識されているようです。宗教的にもキリスト教(アングリカン 英国教会)が多いようですが、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒なども共存しており、別にとりわけ大きないさかいもないようです。こうして考えると、ケニアの人がお笑い番組(コメディー)が好きなのも生きる知恵なのかとも思われてきます。ユーゴスラビアもチトー大統領の下では、国家的統一がとれ、一応国として機能していたのに、社会主義が崩壊するや、あのような内乱になったのは、単に多民族社会だからだというだけではなく、とにかく問題はあっても平和にいこうというケニア的意識が欠けているのかもしれません。多部族社会では 平和第一という考え方は極めて現実的なもののような気がします。それを無視して、民主主義と腐敗防止をアメリカ政府やスウェーデン政府などはケニア政府に要求しているようですが、根はもっと深いように思われます。

他にも色々と見聞きし、考えたこともあるのですが、それは直接お会いした時にお話します。お元気で。

北村行伸
in Kenya