4. 対露主要輸入品動向

 

3) 木材

 露領亜細亜からの木材輸入は日露貿易のなかで最重要商品であり、その重要性は現在においても変わりない。露領亜細亜からの木材輸入が統計にみられるようになった当初は、マッチの軸木として使用されるドロノキやハコヤナギが木材輸入の過半数を占めていた。露領亜細亜からの木材輸入はロシア革命後増え始め、1919年には180万円と露領亜細亜輸入額の43%を占めるほどになった。1923年9月の関東大震災によって露領亜細亜からの木材輸入量が急増し、1923年には1,180万円( 対露領亜細亜輸入額の71% )、1924年には1,150万円(同76%)を記録した43。 なかでも、建築用のパイン、ファー及シダー(乙)の輸入量は1923年に35万m3、1924年には34万m3へと急増した。この勢いは1925〜1926年も続いた。輸入数量と輸入金額から1924年には震災需要急増で木材価格が高騰したことが読みとれる。この時期の木材取引に本格的に参入した大手企業は神戸の鈴木商店であり、次いで日露木材、三菱商事が加わった。契約は基本的には委託販売契約であり、直接販売も例外的にみられた。日本において露領材として取り扱われていた樹種は、針葉樹では紅松、白松、落葉松であり、闊葉樹としてはやちたも、胡桃、白楊、わたどろ等である。建築材、造作材、函材として使用される紅松はウスリー鐵道沿線、日本海沿岸、アムール河流域および北樺太で伐採された。

 1931年4月に木材の輸入関税が改正されて、丸太に対して課税されることになった。露領材は全部丸太であったために課税対象外であったが、これによって百石に対して90円が丸太材一様に課せられることになり、さらに翌1932年には30円増しの120円となったのである。露領材は米材に比べて用途も異なり、もともと安く、課税負担率が高くなり、税金が重くのしかかることとなった。例えば、米松丸太が1石当たり東京木場着価格5円50銭、税額70銭であるのに対し、露領材白松丸太は2円80銭、税額1円20銭、落葉松は3円、税額1円20銭と極めて不利になったのである。その結果、白松や落葉松はもはや採算にのらなくなり、その後しばらく市場から消えた。