第1節 満洲国農村実態調査報告の概要

 

(1)

 満洲国政府によって行われた農村実態調査報告は大きく三つの系統からなる。まず、1934(康徳元)年、濱江省の10県、龍江省の6県の農村において大規模な農村実態調査が行われた。調査戸数は全部で627戸であった。この調査の結果は『康徳元年度 農村実態調査報告書 戸別調査之部』(全3冊)としてまとめられた。(1) 続いて、1936(康徳3)年、吉林省の2県、龍江省の1県、黒河省の1県、三江省の2県、間島省の1県、安東省の2県、奉天省の7県、錦州省の2県、熱河省の2県の農村においてさらに大規模な農村実態調査が実施された。調査対象となった農家の総数は1095戸であった。この調査の記録が『康徳三年度 農村実態調査報告書 戸別調査之部』(全4冊)、並びに、『農村実態調査一般調査報告書 康徳三年度』(全21冊)である。(2) 地図を開くと分かるように、康徳元年度の調査が満洲北部を対象としていたのに対し、康徳3年には満洲南部を中心に調査が行われた。その後、1936(康徳3)年から1938(康徳5)年にかけて、実業部農村技術員養成所県技士見習生によって同様な農村実態調査が行われ、その成果は、康徳3年度、康徳4年度、康徳5年度の『県技士見習生農村実態調査報告書』(全9冊)としてまとめられた。その調査対象は吉林省の4県、奉天省の2県、錦州省の2県、通化省の1県にある農村であった。但し、この県技士見習生の調査は規模が小さく、報告の内容も比較的簡単なものが多かった。(3)

康徳元年と康徳三年に行われた調査の方法は基本的に同様であったが、康徳三年度の調査は地理的にもより広い範囲を対象とし、聞き取りを行った農家の数も多かった。とりわけ、康徳三年度の調査報告書が、統計資料である『戸別調査之部』と文章で記述された『一般調査報告書』の二部から構成されていたことの意味は大きい。つまり、ここでは、各村・農家の経済状況について、個々の統計表にある数字の持つ意味を、文章の説明によって確認していくことが可能となる。そこで、本節では、特に、『康徳三年度 農村実態調査報告書』を取り上げ、その内容を考察していきたい。将来的には、『康徳元年度 農村実態調査報告書』、『県技士見習生農村実態調査報告書』へと分析の範囲を広げていくつもりである。

 

(2)

 康徳三年度の農村実態調査報告の調査地点と農家戸数・人口をまとめたものが表1である。調査対象となった農村(屯)は21の県に所在し、北は黒龍江を境にブラゴエチェンスクと国境を接した〇〇県、南は遼東半島南部の荘河県や蓋平県、東は松花江と黒龍江の合流点に近い富錦県、朝鮮との国境に近い延吉県、西は熱河省の豊寧県、寧城県にまで展開していた。(4) 1村(屯)の調査戸数は二十戸から九十戸程、その人口は百数十人から五百人程であり、報告書全体で調査戸数の合計は1095戸、その人口は6911人であった。重要な点は、この調査では、各村(屯)において、居住する全ての戸が調査対象となったことである。つまり、各村の上層から下層までを含んだ、全ての農民の経済的、社会的状況がそこに記録されていることになる。この点は、例えば、バックの報告が特定の地域の特定の農家をサンプルとして抽出し、その調査を行ったことと対象的である。なお、調査対象となった村(屯)が広範囲に展開していたことから、それぞれの村により、その歴史、経済・社会の状況はかなり異なっていた。つまり、本報告書にある各項目の統計数字を整理する際には、報告書全体としてとらえるだけでなく、調査村ごとの数値が示す特徴にも十分配慮する必要がある。

 農村実態調査は全部で11組の班によって実施され、それぞれの班は二つの村(屯)の調査を担当した。1つの班は5人から8人の調査員によって構成されたが、現在、かれらの氏名も明らかである。各班は調査対象の村を管轄する県公署、財政局において、あらかじめ、当該村の租税、土地所有関係などについて調査を行い、その後、警備隊を伴って調査地に赴いた。通常、調査員は調査地に10日から2週間程滞在し、その間、村の政治・経済・社会状況の調査、さらに、通訳を連れて各戸ごとの聞き取り調査を行った。(5)  現在、この農村実態調査のマニュアルと考えられる、産業部大臣官房史料科『農村実態調査〔綜合・個別〕調査項目』という資料が存在する。このマニュアルには実際の調査に用いられた調査票の様式が収録されており、さらに、各調査項目に関する様々な注意点、農民への質問の仕方、調査票の記入方法などが詳細に記されている。そこには、例えば、如何にして度量衡の地域的相違、度量衡の用途による相違、混乱した土地権利関係、複雑な納税方法を明らかにするか、また、如何にして正確な耕地図を作成するかといった問題が論じられている。(6) その叙述の一つ一つから、当時、この調査にはどのような困難な問題が存在したのか、また、そうした問題の背後にある農村の政治・経済・社会状況を窺うことができる。

 『農村実態調査〔綜合・個別〕調査項目』を読むことによって、始めて、『康徳三年度満洲農村実態調査報告書 戸別之部』の調査結果の内容を具体的に理解できるということの実例を、一つだけ挙げてみたい。中国農民の多くはかつて「文盲」であったと言われる。しかし、文盲率が具体的にどの程度であったのかとなると、何とも言えないのが実情である。『農村実態調査報告書 戸別之部』にある集計表のうち、「第三 家族構成表」には、各屯の農家の家族の教育程度が、「修学中」、「識字」、「文盲」の3つのカテゴリーによって記されている。そこにある数字を整理してみると、各屯によって事情は幾分異なるものの、「文盲率」は必ずしも我々の予想ほど高くはないという印象を持つ。その率は約50から70パーセント程度であるが、女性の大部分が「文盲」であったことを考えると、男性の識字率は意外と高かったことになる。(但し、敦化県、盤石県の調査屯における「文盲率」は約80パーセントとかなり高かった。)むしろ、問題は女性の識字率の低さにあったとも言えよう。さて、ここでは、「文盲」の定義が問題となる。『農村実態調査〔綜合・個別〕調査項目』によると、数えの七歳児が一般的に有するとされる識字能力を有さない場合、これを「文盲」と理解していた。(7) この定義がどこまで調査のなかで有効な意味を持ったのかは明らかでないが、『農村実態調査〔綜合・個別〕調査項目』を読むことによって、報告書に記された数字の持つ意味が具体的に明らかになるという一例である。

 なお、この他に、「『満洲』農村実態調査遺聞(報告者:野間清)」「中国における農村・農業調査(報告者:平野蕃)」〔井村哲郎編『満鉄調査部 −関係者の証言−』はこの調査に関係した人物の回顧録をまとめたものであり、これらの記述からも、当時の調査の様子を具体的に知ることができる。特に、野間氏は、この調査のなかでは、各調査員の思い込みが強く働いており、農民には誘導尋問に近い形で質問が行われていたことを述べている。(8) 『農村実態調査報告書』を資料として利用するについては、こうした点を十分に認識しておく必要がある。

 

(3)

 表2は『康徳三年度 農村実態調査報告書 戸別之部』の内容を示したものである。報告書は県と村(屯)の概況を説明した後、各農家に対する聞き取り調査の結果を集計表でまとめ、さらに、調査屯付近の村の状況、度量衡・地積・税目税率・穀物価格などについて記している。各集計表にある数字を分析していく際に、これらの度量衡、租税に関する資料は有用である。ここには、調査地点の度量衡の体系が具体的な数字によって記されているので、各村(屯)の土地面積、収穫量、単位面積当たりの収量などの数字を統一的な基準でとらえることが可能となってくる。(9)

 本報告書の中心を構成した部分が16の集計表であった。「(1)農家概況表」は各農家の家族・経営様式・労働・土地所有・耕地・財産・副業などについて、その概略を示し、「(2)農家略歴表」は各農家の出身地・移住・当該地における居住の歴史などについて、「(3)家族構成表」は各家族の性別・年齢構成、教育程度、労働力などについてまとめている。「(4)被傭労働表」、「(5)雇用労働表」、「(6)労働関係表」は各農家の労働力、労賃、雇用関係などについて、「(7)土地関係表」は各農家の所有・保有する土地の面積、そこに展開する所有権・押権、典権といった土地所有関係について、「(8)建物大農具表」「(9)飼養家畜表」は動産・家畜といった財産関係についての調査結果を記している。さらに、「(10)小作関係表」「(11)公租公課表」は標題の通り、各農家の小作関係、租税負担についての資料である。「(12)作物別播種面積並収量表」「(13)農産物売却表」は各農家について、各種作物の作付け面積と収穫量、また、その市場への売却量、その価格などについて記している。「(14)生活費現金支出表」「(15)貸借関係表」「(16)現金収支表」は各農家の家計、現金貸借関係などについてまとめている。そこには、各農家ごとの収入源とその金額、また、住居費、食費、被服費、光熱費、慶弔費といった各項の支出内訳が詳細に記されている。

 上記の集計表にある統計数字を利用することにより、思いつくだけでも、例えば、当時の農民は如何なる作物をどのような形で耕種し、そこから、どの程度の収穫を得ていたのか、かれらは農産物の売却からどの程度の現金収入を獲得し、農業以外からの収入はどの程度であったのか、かれらの小作料・税金の負担はどのようなものであったのか、かれらの家計の収入・支出の具体的な中身、金銭や穀物の貸借関係、かれらの間の所得格差はどのようなものであったのかといった問題を数量的に分析することの可能性が念頭に浮かんでくる。もし、そうした分析が可能であるならば、それは1930年代の中国の農業をマクロ的にとらえていくための有用な指標となるかもしれない。

 「はじめに」で述べたように、これまで、歴史研究の分野ではその信頼度という点から、史料に残された農業関係の統計数字を積極的に利用することに慎重であった。しかし、上に述べたような中国の農業社会に関する問いを、歴史研究がこれまで十分に解明してきたかというと、必ずしもそうではない。農業社会の歴史は、しばしば、「地主小作制」といった抽象的な概念によってのみ説明されがちであった。したがって、農村経済の諸側面を具体的な数値によってとらえるという作業は、今後、歴史研究にとっても重要な課題であると考える。その点で、『康徳三年度 農村実態調査報告書 戸別調査之部』にある数字資料が、『農村実態調査〔綜合・個別〕調査項目』『農村実態調査一般調査報告書 康徳三年度』という記述資料によっても検証できるということの意味は大きい。

 農村実態調査報告書にある数多くの集計表の示す内容を考察していくためには、まず、何らかの特定の問題を設定し、そこから分析を進めていく必要があろう。各集計表の内容は相互に連関していることから、一つの集計表に着目することは、他の関係する集計表の内容の分析とも密接に関わってくる。そうした意味から、次節では、この農村実態調査報告書の公租公課関係の統計について初歩的な検討を加えてみたい。



 


 

(1) 前掲 (満洲国)国務院実業部臨時産業調査局『康徳元年度 農村実態調査報告書戸別調査の部』(全3冊)、1935年



 


(2) 前掲 (満洲国)国務院実業部臨時産業調査局『康徳3年度 農村実態調査報告書戸別調査の部』(全4冊)、1936年

  前掲 (満洲国)国務院実業部臨時産業調査局『農村実態調査一般調査報告書康徳3年度』(全21冊)、1936年



 


(3) 前掲 (満洲国)国務院実業部産業調査局『康徳3年度 県技士見習生農村実態調査報告書』(全4冊)1936年

  前掲 (満洲国)国務院産業部濃務司『康徳4年度 農村実態調査報告書(県技士見習生)』(全4冊)1937−38年

  前掲 (満洲国)国務院産業部濃務司『康徳5年度 農村実態調査報告書(県技士見習生)』(全1冊)1938年



 


(4) 通常、県はいくつかの村によって構成され、また、一つの村はいくつかの屯(集落)によって形成されていた。本稿が取り上げているこの農村実態調査は屯を対象に行われた。したがって、正確には屯の調査と書くべきであるが、日本語として少々不自然なところがあるため、村(屯)の調査と記す。



 


(5) 前掲 国務院実業部臨時産業調査局『農村実態調査一般調査報告書康徳3年度』の各冊の冒頭に、調査者の氏名が列記してある。また、調査の具体的な様子については、「『満洲』農村実態調査遺聞(報告者:野間清)」「中国における農村・農業調査(報告者:平野蕃)」〔井村哲郎編『満鉄調査部 −関係者の証言−』(アジア経済研究所、1996年)所収、41-66,67-83 頁〕に、当時の関係者の思い出話が記されている。



 


(6) (満洲国)産業部大臣官房資料科『農村実態調査〔綜合・個別〕調査項目』(康徳6年4月)



 


(7) 同書 237−238頁



 


(8) 前掲 「『満洲』農村実態調査遺聞(報告者:野間清)」



 


(9) 前掲 『康徳三年度 農村実態調査報告書 戸別調査之部』にある、各屯についての「度量衡地積税率」