(1)

 中国の農業や農業社会の歴史に関する様々な統計数字、例えば、人口、耕地面積、土地権利関係、農業生産量、雇用関係、農家の家計・財産・公租公課の負担などについて信頼できる、系統だった統計数値を得ることは容易でない。各時代の実録、档案史料、各種の政書、地方志、年鑑、報告書などにはそうした関係の数字が散在するが、それらは各時代、各地域の農業や農業社会の実情の一部を断片的に示しているにすぎない。そもそも、人口や耕地面積といった基本的な事柄に関する数字についても厄介な問題が存在した。つまり、かつては耕地や成人男子(丁)が課税の対象となっていたことから、税負担の軽減を図る地主・農民などはその丁数や耕地面積について、必ずしも正確な数字を官に報告したわけではなかった。また、各地方の官衙もそうして得られた数字をそのまま上級の官衙に報告するだけであった。なぜならば、隠された耕地や丁を新たに摘発したところで、それはかれらの徴税業務の負担を増加させることだけを意味したからである。こうした事情から、各時代の王朝・政府は人口、耕地面積の実数を十分に掌握していたわけではなかった。このことは王朝権力の衰退した時代にはとりわけ顕著であった。したがって、現在、諸史料に記録されている人口や耕地面積に関する数字をそのままの形で利用することにはかなりの問題があり、その取扱には十分慎重でなければならない。(1)

 さらに、農業関係の様々な統計数字の整理・利用については、技術的にも厄介な問題が少なくない。まず、度量衡の問題がある。つまり、中国では、時代、地域によってその度量衡を異にしていた。例えば、同じ1畝といっても、地域ごとに、時には村ごとに、その実際の面積が異なっている場合が多かった。このことは、容積や重量の単位の場合についても言えた。したがって、厳密なことを言えば、地域や省ごとの、あるいは、中国全体の耕地面積や農業生産量などの推計を行う際には、こうした度量衡の差異という問題を念頭に置いておく必要がある。とりわけ、時代や地域ごとに、単位面積あたりの収穫量などを比較しようとする場合などには、この問題が無視できなくなってくる。

 また、中国の地方行政機構、その区画が時代ごとに異なっていたことは、各地域ごとの人口・土地などに関するデータを時系列に整理することを複雑にしていた。この点と関連して、中国の領域が時代ごとに大きく異なっていたという点も重要である。中国の歴史統計をまとめていく場合、例えば、モンゴル、チベット、東三省(満洲)、台湾などの地域のデータをどのように扱うかという問題は決して単純ではない。

 そうした制約のなかで、梁方仲『中国歴代戸口、土地、田賦統計』などの研究は系統を異にする様々な史料から、中国歴代の人口・土地・田賦に関係する数値を拾い出し、その整理を行った。(2) しかし、そこにある数字は極めて概数的なものにならざるをえず、そこから細かな推計作業を進めていくことには困難がある。また、パーキンス、ワン(王業鍵)、リウ・イエなどは中国農業の歴史的な展開を数量的にとらえることを試みた。(3) しかし、それらの研究は上記のような断片的なデータを用い、どちらかと言えば、推計に推計を重ねるという性格のものであった。その研究成果は大いに参考としなければならないが、それらの内容を比較・検討することにより、中国農業史に関してより精度の高い統計数字や推計値を獲得できるというわけには必ずしもいかない。

 このように、中国農業社会に関するマクロ的な統計数値を時系列で獲得することは容易でない。そこで、ここでは、かつて中国農村を対象に行われた実地調査報告の類に着目してみたい。そうした研究としては、中国農村の実態調査を1929−33年に行い、その成果をまとめたバックの報告が有名である。(4) バックは南京大学卒業生を22省の168カ所にわたる地方に派遣し、その地の人口、耕地、農業生産、農家の家計・消費・租税負担などについて調査を行った。そこにまとめられたデータをどのように評価するかという問題はあるにせよ、バックの報告は当時の中国農業を数量的に解明していくための重要な資料を提供している。バックの調査は中国のごく一部の、限られた農村地域に関するものであったが、そこで得られた統計数字は中国農業全体を考察するうえでの有力な資料となった。つまり、マクロ的な研究に通じるミクロな研究であったと言えよう。

 

(2)

 こうしたバックの調査と同じような性格を有するものとして、満洲国国務院実業部によって行われた農村実態調査がある。1934(康徳元)年以降、満洲国政府は調査員を各地の農村に派遣し、大規模な調査活動を行った。その成果は『康徳元年度 農村実態調査報告書』、『康徳三年度 農村実態調査報告書』、また、康徳三年度、四年度、五年度の『県技士見習生農村実態調査報告書』などとしてまとめられた。(5) 詳しくは次節で説明することになるが、調査地点の全ての農家が調査対象となり、それぞれの家の歴史、家族、耕地、農業生産、小作関係、雇用、家計、公租公科の負担などについて詳細な聞き取りが行われた。この報告では、調査対象となった村の政治・経済・社会の概況、その歴史などが「一般調査報告」として記されるとともに、戸口調査の結果は数量的なデータとしてまとめられた。『康徳元年度 農村実態調査報告書』、『康徳三年度 農村実態調査報告書』だけでも調査対象となった農家数は37ヵ村の1600戸を越えていた。これら報告書の『戸別調査之部』は調査結果の数値が各農家ごとに集計されており、かなり細かな内容の吟味、その数量的分析が可能となってくる。

 『農村実態調査報告書』はいわゆる「満洲」の農村を調査対象としていたが、当時のいわゆる「南満」と華北の農業に大きな差異があったとは考え難く、その意味で、この報告書は中国農業全体をとらえていくうえでも貴重な資料となる。また、張作霖・張学良時代のこの地域の農業社会を考察するうえでも示唆に富む。バックの研究と同じく、限定された地域のサンプル調査の結果ではあるが、この『農村実態調査報告書』は中国農業の実態を数量的に分析していくための重要なデータを提供している。バックの報告は東三省(満洲)を調査対象として含んでいないこともあり、この『農村実態調査報告書』とバックの調査の結果を比較・検討してみることは極めて興味深い。

 すでに、満洲国政府は康徳元年度の『農村実態調査報告書』にもとづいて、幾つかの研究報告書をまとめた。また、調査地域がより広範であった康徳三年度の調査結果についても、その成果を利用した若干の報告書が公刊されている。(6) また、近年では、中兼和津次、R.マイヤーの両氏がこの『農村実態調査報告書』を利用し、当時の満洲農業をそれぞれ興味ある視点から分析している。(7) しかし、この報告書に収められたデータの内容が極めて豊富で、多岐にわたることを考えると、この調査報告の成果についてはさらに様々な視点から分析を行うことが可能であろう。とりわけ、上述のように、満洲国時代には様々な農業関係の報告書が公刊されたが、それらの内容をあらためて考察していくためには、それら報告書の基礎資料となったこの『農村実態調査報告書 戸別調査之部』のデータに戻って分析を行うことが必要であろう。コンピュターの利用はそうした研究の可能性を大いに広げると考えられる。

 以上のような研究関心から、本稿は『康徳三年度 農村実態調査報告書』をとりあげ、その初歩的な考察を行う。第1節ではこの報告書の内容を概観し、第2節では、農民の公租公科の負担という問題をとりあげ、この報告書のデータを用いて、今後、中国農村社会を分析していくための一つの準備作業に着手したい。そのなかで、これまでのワンやバックの研究が十分にとらえられなかった、農民の実質的な税負担という問題に焦点を当ててみたい。



 



(1) 中国の史料に記されている土地面積に大きな問題があることは、何炳棣『中国歴代土地数字考實』(聨経出版社、民国84年)が詳しく論じている。また、登録された耕地面積が如何に実情と乖離していたかということは、例えば、関東都督府・関東庁の行った土地調査事業の結果からも窺うことができる。日露戦争後、日本の手によって行われた実地調査により、関東州(遼東半島の南端)において広大な面積の耕地が新たに「発見」され、この地域の耕地面積は清朝政府の掌握していた登録面積の約3倍にも広がったという。拙稿「関東都督府及び関東庁の土地調査事業について」『一橋論叢』第97巻6号、1987年12月。




 


(2) 梁方仲『中国歴代戸口、土地、田賦統計』(上海人民出版社、1980年)




 


(3) Perkins, Dwight H. Agricultural Development in China, 1368-1968, Aldine Publishing Co., 1969

Wang, Yeh-chien, Land Taxation in Imperial China, 1750-1911, Harvard Univ. Press, 1973

---------------, An Estimate of the Land Tax Collection in China, 1753 and 1908, East Asian Research Center, Harvard Univ.,1973 liu Ta-chung and Yeh Kung-chia, The Economy of the Chinese Mainland, 1933-1959, Princeton Univ. Press, 1965




 


(4) John Lossing Buck, Land Utilization in China, University of Nanking, 1937

  (邦訳:三輪孝・加藤健共訳『支那農業誌(上・下巻)』(生活社、昭和13年)




 


(5) (満洲国)国務院実業部臨時産業調査局『康徳元年度 農村実態調査報告書 戸別調査の部』(全3冊)、1935年

  (満洲国)国務院実業部臨時産業調査局『康徳3年度 農村実態調査報告書 戸別調査の部』(全4冊)、1936年

  (満洲国)国務院実業部臨時産業調査局『農村実態調査一般調査報告書 康徳3年度』(全21冊)、1936年

  (満洲国)国務院実業部産業調査局『康徳3年度 県技士見習生農村実態調査報告書』(全4冊)1936年

  (満洲国)国務院産業部濃務司『康徳4年度 農村実態調査報告書(県技士見習生)』(全4冊)1937−38年

  (満洲国)国務院産業部濃務司『康徳5年度 農村実態調査報告書(県技士見習生)』(全1冊)1938年




 


(6) 康徳元年度の調査結果を利用した報告書として、

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 農家概況編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 小作関係並に慣行編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 農業経営編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 販売並に購入事情編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 雇用関係並に慣行編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 農家の負債並に貸借関係編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 農業経営続編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 土地関係並に慣行編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 農村社会生活編』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 農家経済収支』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 土地関係並に慣行編(補遺)』1937年

  『農村実態調査報告書 康徳元年度 耕種概要編(北満農具之部)』1937年

  また、康徳3年度調査の成果を利用したものとして、

  『農家経営経済調査 康徳3年度』(全3冊)1938年

  『農村実態調査報告書 康徳3年度 農家の負債並に貸借関係編(南満之部)』1937年




 


(7)  中兼和津次『旧満洲農村社会経済構造の分析』(アジア政経学会、昭和56年)

なお、本書には満洲国時代に公刊された各種の農村調査報告についての文献解題が付されている。

Ramon H. Myers, "Socioeconomic Change in Villages of Manchuria during the Ching and Republican Periods," Modern Asian Studies, Vol.10(4),1976