<開発のミクロ経済学>

黒崎 卓

Last revision: October 1, 2004

 最近の開発経済学のひとつの特徴は、生産者であれ消費者であれ、どんな人々がどんな能力を持ち、どんなことを考えて行動しているか、というようなミクロ的イメージを明示し、それをモデル化している点です。言い換えれば、なぜある人がある選択をし、なぜ他の人が同じ選択をしないのか、というような経済学の根本的な問題を真正面から扱い、それとの関連で経済発展を考えるという見方です。

 このテーマに関する仕事として、大塚啓二郎・黒崎卓編著『教育と経済発展:途上国における貧困削減に向けて』黒崎卓・山形辰史『開発経済学:貧困削減へのアプローチ』、および黒崎卓『開発のミクロ経済学:理論と応用』について紹介しましょう。


大塚啓二郎・黒崎卓編著『教育と経済発展:途上国における貧困削減に向けて』


 (
東洋経済新報社、2003年、x+322p.3800円+税).

Educ book
 本書は、(財)国際開発高等教育機構(FASID)における開発経済学の研究会の成果のうち、教育や人的資本の役割に関する研究をまとめたものです。「開発経済学の理論と各途上国の精緻な実証研究を通じて豊富な政策的示唆をもつ結論を導いた、完成度の高い力作」という評価を受けて、第5回NIRA大来政策研究賞(総合研究開発機構)を受賞いたしました。これを機にさらに、日本人にしかできない「丁寧で実態感覚にあふれた開発経済学」の構築に向けて努力する所存です。

 この本の特徴は、(1)現在国際開発の分野で注目されている教育について考える際、ミクロ経済学的な考え方を重視していること、(2)可能な限り詳細かつ正確なマクロ・ミクロ両面のデータを用い、厳密な定量分析を試みていること、の2点です。計量経済学の詳細はどうしても技術的になってしまいますが、各章ともその問題設定や結論に関しては、援助機関やNGOなど開発の現場で働く人々にとっても有用であってほしいという思いをこめて、できるだけ分かりやすく書くように努めました。

 教育は、すべての人間が享受すべきベーシック・ニーズであるだけでなく、人的資本への投資として、人々の生産性を高め、それを通じて経済発展を促すものでもあります。本書は教育のこの側面に焦点を当て、将来の賃金が教育によって上がると分かっていても貧困層は子供を学校にやることができないのはなぜか、実際の教育の効果として賃金や生産性がどのくらい上がるのか、生活の安定や社会セクターの充実などをもたらす波及効果はどのくらいか、一国レベルでの教育水準は経済の発展段階とどのような関係にあるのか、などさまざまな問題について詳しく議論しています。目次は以下の通りです:

序章(大塚啓二郎・黒崎卓)

第1部 教育と経済発展
第1章 教育開発の経済学:現状と展望(澤田康幸)
第2章 教育と経済的キャッチアップ:日韓米の長期比較(神門善久)
第3章 教育の役割:技能形成の視点から(猪木武徳)
第4章 教育の役割:産業発展の視点から(大塚啓二郎、園部哲史)
第2部 貧困と教育投資
第5章 資金制約と教育投資:フィリピン農村の事例(大塚啓二郎、ジョナ・エストゥディリオ、澤田康幸)
第6章 エイズと子供の就学率:ケニア農村の事例(山野峰、トーマス・ジェイン)
第7章 初等教育におけるコミュニティの役割と学校の質:エルサルバドルの事例(澤田康幸)
第3部 教育の経済効果
第8章 農業・非農業の生産性と教育:パキスタン農村の事例(黒崎卓)
第9章 貧困の動学的変化と教育:パキスタン農村の事例(黒崎卓)
第10章 親の教育と子供の教育・技能形成:タイ製造業の事例(山内太)
第11章 農村貧困からの脱出と教育:フィリピン農村の事例(不破信彦)
終章 教育、発展、貧困削減(大塚啓二郎、黒崎卓)

黒崎卓・山形辰史『開発経済学:貧困削減へのアプローチ』


 (日本評論社、2003年、xii+233p.2500円+税).

 本書は、日本評論社の『経済セミナー』誌に2001年4月号から2002年3月号まで連載した「開発経済学:ミクロ的アプローチ」の原稿をもとに、大幅に書き足し、章の構成も入れ替えてできたものです(『経済セミナー』各号の目次や購入案内は、
日本評論社のホームページをご覧ください)。
My book
 この本の特徴は、(1)現在国際開発の分野で注目されている様々な論点を幅広く取り上げ、とりわけ貧困削減をミクロ・マクロ・国際政策によってどのように進めることができるかについての分析に多くのページを割いていること、(2)これらの論点ひとつひとつについて、そのミクロ経済学的基礎を分かりやすく説明していること、(3)バングラデシュ、パキスタン、ミャンマーなど途上国の現場で、実際に経験した話をエッセー風に数多く盛り込んでいること、の3点です。援助機関やNGOなど開発の現場で働く人々にとっても有用であってほしいという思いをこめて書きました。

 共著者の山形辰史氏は、バングラデシュでの赴任経験もあるアジア経済研究所の研究者で、途上国経済のマクロや労働経済に詳しい私の友人です。本書の各章とも、2人の共同作業として書きましたが、マクロのトピックでは山形さんが特にたくさん貢献しています。

 表紙のもとになった写真は、Ugaこと宇賀神朋子氏に提供いただきました。この頁のイメージではよく見えないのが残念ですが、とてもきれいなカバーですのでぜひ本屋で手にとってご覧ください。



謎解き2題:パキスタン、ミャンマー

 第1問 パキスタン・パンジャーブ州南部の綿花地帯で農村調査をしていた時の話(1994年)。ある用水路の東側は数百ヘクタールを越す綿花の大農場1つで占められ、西側には10ヘクタール前後の中規模農家が多数集まっていた。どちらも女性日雇労働者が出来高払いで綿を摘み、摘まれた綿は同じマーケットで売られる。ところが同じ品種の綿の価格が、東側産だと5から10%安い傾向がある。商人に聞くと、東側産は水分が多くて品質が悪いと言う。そこで農学者が畑の綿の品質をチェックしたところ、差がないどころか、むしろ大農場の方がよいという結果になった。するとこれは、 大農場産綿花への差別的低価格という不可思議な現象なのだろうか?

 第2問 続いてミャンマーのゴマ・落花生産地で農村調査した時のフィールドノートから(2002年)。ミャンマーでは農地は国有で、農民は耕作権のみを所有する。耕作権を得る代償として、農民は、市場価格より安い価格で一定量の特定農産物を政府に供出しなければならない。とはいえ農村にも経済自由化政策が浸透しつつあり、市場チャンスをうまく生かした農村や農民の生活水準は急速に上昇している。
 このような変化は土地の流動化につながる。耕作権の恒久的売買価格を1種の地価として調べたところ、幹線道路沿いの畑の方が、そこから大きく離れた畑よりも数割安いことがわかった。灌漑条件や土地の肥沃度にまったく差はない。世界中どこの農村でも、農作業の行き来が楽で、生産物を市場に運ぶのにも便利な幹線道路沿いの農地は、そうでない農地よりも値段が若干高いのが普通である(さらに農外転用の可能性、例えば工場立地の可能性、などがあればこの価格差はもっと広がる)。しかしミャンマーでは逆。これはなぜか?

答えは本書のコラムにあります。全部で9本のコラムを載せました。

本の紹介(かぎかっこの中は連載になかった追加項目の主なもの)

序章
人間は生活水準向上のために不断の努力を重ねてきた。しかしその努力は実るときと実らないときがある。産業革命以前の世界の所得の伸びは千年以上にわたり非常に緩やかだったことが知られている...
第1章 膨張する開発経済学
21世紀に入った世界経済において、貧困はいまだ克服されていない重大な課題である。... 開発経済学とは、人々の生活水準を上げるために、様々な開発ニーズ(雇用、教育、環境、食糧、等々)に応じて発展途上国で行われる開発について研究する経済学の総称である。... では、開発経済学はこれまでどんな変遷を辿ってきたのだろうか。それは現実の開発問題の進展とどのような連関を持っていたのだろうか。第1章では、開発経済学の現在と将来を見据えるために、開発経済学という経済学の一分野がたどってきたこれまでの歴史を、途上国経済の環境の変化と対応させて振り返る...
第2章 開発の成果を測る
開発という取り組みが人々をより幸せにしたか、不幸にしたかという問題は、開発に携わる人々が常に心に留め置かなくてはならない根元的な問いである。この問いかけが忘れられたとき、受益者となるべき人々の利益を無視した開発が行われてしまうのであろう。しかし実際問題として、ある人が以前より幸せになったかを誰かが判断したいと思ったら、どんな指標が頼りになるのだろうか。また、ある人と他の人の幸せの度合いを比べたいと思ったらどんな指標を用いればいいのであろうか...
[貧困指標、開発の成果を測るためのミクロデータ・マクロデータ]
第3章 零細自営業者や小農の経済学
バングラデシュは、1人当り所得が世界銀行推計でわずか370ドル という世界の最貧国のひとつである---この理解は紛れもなく正しいが、無味乾燥で実感に乏しい。バングラデシュの首都ダッカの中央駅、そこから一歩足を踏み出した瞬間、あなたはこの国の貧困をたちどころに実感できる。数知れない男達が自転車型のリキシャを引いてあなたを取りまき、必死の形相で客引きを始めるであろう。... 本章の課題は、このリキシャ引きのような経済主体がどのように生活しているかをミクロ経済学的に分析し、経済発展との関わりを考察することである...
[自営業者の主体均衡の数理モデル(付論)]
第4章 途上国の信用市場
「手持ちのお金が足りないので、少し貸していただけませんか?」そう聞かれたら、読者の皆さんはどう答えるであろうか。常識的には、こんな曖昧な質問には答えようがない。貸して欲しいといった人(あるいは企業)がどんな性格で、あなたとの関係がどうなっているのかに始まり、このお金を何に使うのか、どれだけどのくらいの期間貸して欲しいのか、返す時には利子をつけるのか、返せない場合にどうするのか、担保はあるのか、などなど、様々な条件をチェックして初めて、あなたは金を貸すかどうかを決めるであろう。お金の貸し借りのことを経済学では「信用」の取引と呼び、その取引が行われる場を抽象的に「信用市場」と呼ぶ...
[消費平準化の生産投資推進効果、ミクロの信用制約とマクロ経済、信用の経済効果のモデル分析(付論)]
第5章 貧困層の賃金はなぜ低いままか
1980年代後半、日本の景気がよかった頃、日本に大勢の外国人労働者が訪れた。特に目立ったのはバングラデシュ人、パキスタン人やイラン人であった。当時日本は世界のほとんどの国とビザ免除協定を結んでいて、旅行者が短期間お互いの国を訪問するに関してはビザなしで入国ができることになっていた。そこで日本で働きたいと考える外国人達は、まずは旅行者として入国し、その後ビザなしで滞在できる期間が過ぎても帰国せず、就労を続けたのである。... 外国人労働者が日本に来た理由は、日本と自分の母国との間の非常に大きな賃金格差である。日本の労働者の賃金は途上国の数十倍に相当する。... 本章は、そのような労働者の行動や賃金決定メカニズムについて分析する...
[労働供給の基本モデル、児童労働と人的投資]
第6章 貧困の罠からの脱出
経済史家によると、イギリスで産業革命が始まる前には世界のあらゆる国々において経済成長はなきに等しい水準だったという。これを変えたのが産業革命であった。イギリスで始まった産業革命とそれがひき起こした経済成長は、ヨーロッパおよび当時の新興国アメリカに波及していき、極東の日本にまで及んだのである。特に日本は戦後の1960年代に、平均で年率10%以上という高度経済成長を経験した。このような経済の急成長の以前にも、人々は生活水準向上のために、不断の努力をしていた。それなのにどの経済にも努力をしても報われない長い時間があり、一方でその努力が急に花開く時期、そしてその後トントン拍子に発展が進む時期といった3つの局面が経済発展のプロセスにあるように感じられる...
第7章 技術革新・普及とその制度
2001年6月末にニューヨークで国連エイズ特別総会が開催された。この会議においてエイズは「人類的な危機」を招来し得る問題と認められ、世界各国が問題解決に向けて協調していかなければならないことが確認された。... 途上国におけるエイズの蔓延は、経済成長の成果を享受するための健康が損なわれつつあるという意味で、経済発展が逆戻りをしているとすら解釈し得る。一方、エイズ治療薬は先進国のいくつかの製薬会社によって開発されている。だが、エイズ治療薬を開発し特許を持つ製薬会社がつける薬価は高く、途上国の貧しい人々にはとても手が出なかった。そこで自国に多くのエイズ患者を抱える南アフリカ政府は、1997年に緊急措置としてエイズ治療薬特許の適用を制限し、より安いインド製等のコピー薬の輸入を許した。... エイズ治療薬の薬価問題に典型的に現れた技術の開発と普及のトレード・オフという問題を、経済発展における技術革新のメカニズムという観点からミクロ経済学的に一般化して考え、技術普及を図りつつ、技術開発を促進する政策や制度のあり方を探ることが本章の課題である...
[研究開発促進のためのプッシュ・プル政策、エイズ・結核・マラリア治療薬予防薬に対するプッシュ・プル型支援]
第8章 貧困層への援助
筆者の1人(黒崎)が途上国研究を始めたきっかけの一つに、学生時代にバックパッカーとしてインドに貧乏旅行した経験がある。強烈な殺虫剤の匂いが充満したカルカッタ空港の建物から出ると、ぼろきれのようなわずかな衣類を身にまとっただけのタクシー客引きにとり囲まれ、彼らの汗の匂いにむせ返った。カルカッタ市内へのバス道中からは、おびただしい数のスラムとそこに住むやせ細った子供たちに目を奪われた。われながら見事にステレオタイプなインドの貧困問題との出会いであった。... 経済成長が起こっていても、その成果の配分に与かれない階層の貧困問題は残る。また、経済成長に伴って所得分配が著しく悪化する場合には、所得分配における下位層の問題である貧困が、悪化することもありえる。そこで本章と次章の2つでは、このようなミクロの貧困問題への取り組み、とりわけ個々の貧困者に焦点を当てた貧困削減政策について考える。労働市場に焦点を当てるのが本章、信用市場に焦点を当てるのが第9章である...
[開発目標としての貧困削減、ミレニアム開発目標]
第9章 マイクロ・クレジットの経済学
「途上国には途上国の発展パターンがあるのだから、先進国の理論を押しつけてはいけない」という意見は多い。しかし、過去に先進国において採用されたことがなく、かつ現在の途上国において成功した政策があるか、と考えると、例を挙げるのが難しい。その数少ない例のひとつがマイクロ・クレジットである。...マイクロ・クレジットは1976年に、当時世界で最も貧しい国のひとつと目されていたバングラデシュにおいて世界に先駆けて実施された。バングラデシュのチッタゴン大学教授であったムハマド・ユヌス氏がこの年にグラミン銀行という名のNGO を設立し、通常の銀行は取引相手として眼中におかなかった低所得層の人々に融資を始めた。それが予想以上の成果を収めると、同様の融資が先進国、途上国を問わず世界中で試みられるようになった。貧しいバングラデシュに端を発したひとつの開発モデルが世界中で応用されていく様は、途上国を支援する人々を胸のすく思いにさせる...
[グループ融資の履行強制効果]
第10章 共同体と開発
我々筆者2人は、どちらも地方出身である。黒崎は栃木県の鬼怒川平原に広がる純農村に生まれ、山形は岩手の小都市の商店街で育った。地方のいいところは濃密な人間関係である。どこどこの家のだれそれは高校生の頃なになにをして、といった話が今も語り継がれていたりする。1人でこっそり里山に入って山芋を掘ってきたつもりでも、ちゃんと誰かが見ていたりする。と書くと、これは地方の「いいところ」ではなくて、重苦しくねっとりとした息つまる世界だ、とも言える。このような地方、および本章のキーワードで言えば「共同体」の人間関係も、時代を経るにつれて急速に変化しており、希薄な個人関係が支配的になりつつある。しかし我々の狭い経験だけから判断しても、時代差よりも地域差、とりわけ途上国間の差は歴然としているように感じられる。... このような共同体の人間関係が開発に対して持っている意義について考察するのが本章の課題である...
[共有資源維持・修繕の過少投資]
第11章 開発援助とガバナンス
途上国に住むと何事もはかばかしく進まないものである。空港で入国する、家に電話を引く、届いた郵便物を受け取る、といったことがらにやたら手間暇がかかる。その原因のひとつは、しばしば役人が陰に陽に中間で処理を止めて賄賂を要求することにある。政府の許認可を必要とする経済活動を始めようとしても、そういった面倒だけで億劫になり海外からの投資が来ないばかりか、国内の企業家の投資意欲も損なわれる。例えばバングラデシュでは、衣類を縫製するために布を海外から輸入する場合、信用状の開設から現物の受け取りまでの9つのプロセスにおいて、計15,000円ほどの賄賂を役人に手渡す必要があるという。...このような役人の汚職の問題は民間の経済活動に関してのみならず、政府間開発援助の実施過程においても生じる。援助プロジェクトがスムーズに進まず、そればかりか純粋にプロジェクトを実施する目的以外に用いられる出費が増えるようであれば、援助の目的が達成されることが期待しにくい...
[世界銀行のガバナンス指標、セクター・ワイド・アプローチ、重債務国の債務救済問題]
第12章 グローバリゼーションと途上国
国境を越える、という言葉にはロマンがある。「国境を越えた」愛や友情はしばしば映画や小説のテーマになる。「世界から国境をなくしたい」という志を持って国際金融機関や商社、NGOで働く人々もいる。国際NGOである「国境なき医師団 」は医療を中心とする人道援助活動が評価されて1999年にノーベル平和賞を受賞した。ジョン・レノンはその代表作である「イマジン」で、「国という区別がなく、世界がひとつであるような未来」を夢見て歌った。... 「国境を越える」というフレーズが素朴なロマンを醸しだし、かつまた輸出志向開発戦略を採用した経済が現実に目覚ましい経済発展を遂げたという実績があるにもかかわらず、「グローバリゼーション」という言葉が人々に警戒心を持って受け取られる場合がある。「グローバリゼーションは先進国による途上国の支配を強めるうえ、環境を悪化させる」と考える人もいる。またグローバリゼーションが惹起する輸入品と国産品、多国籍企業と地場企業の激しい競争は必然的に敗者を生むので所得分配は悪化する」との主張もある 。... グローバリゼーションの功罪を明らかにすることにより、途上国の発展に資するためにグローバリゼーションがどうあるべきなのかを考えるのが、本章の目的である...
[グローバリゼーションと貧困削減、グローバリゼーションは自動的に進むか]


黒崎卓『開発のミクロ経済学:理論と応用』


 (岩波書店、2001年、一橋大学経済研究所叢書 No.50、xii+256p.5000円+税).
 第44回
日経・経済図書文化賞(2001年11月)、第5回FASID国際開発・大来賞(2001年10月)受賞。

 この本は私の初の和文単著です。途上国における伝統的な制度・組織や価値観と冷徹な市場原理との共存を説明する新しい開発経済学の理論枠組みを示し、パキスタンとインド農村の現地調査やミクロデータに基づいて詳細な実証分析を行った試みです。 My book

「はしがき」からの抜粋

 経済発展と貧困からの脱却は、経済学が生れてから今日まで一貫して重要な課題であった。第二次世界大戦後にアジア、アフリカにおいて新興独立国が多く生れると、この課題に応えるための経済学の一分野として「開発経済学」が確立した。開発経済学はその後、貿易理論や国際金融理論、産業組織論やゲーム理論などの成果を取り入れて拡張してきた。本書はこの拡張する開発経済学の中でも特に、途上国農村における市場や制度のミクロ経済学的分析を取り上げる。ミクロ経済学的分析とは、制約、インセンティブといった人々の選択に関わる諸条件を数学的に厳密にモデル化し、そのモデルに基づいて実際の途上国経済を分析しようとするアプローチを指す。
 このようなアプローチは、理論的に厳密であるだけでなく、開発援助の現場における当事者からの反応について客観的に分析して、政策実施の助けを提供するという実践上の利点も持つ。とりわけ、マクロ経済の成長よりもミクロ的な側面や制度的関与を開発の中心課題に移しつつある近年の世界銀行等の開発戦略を考慮すると、このようなミクロ経済学的アプローチの重要性は以前にも増して強まっていると言えよう。

と、ここまで読んで、難しそうだなあ、と思わせたらごめんなさい。この本は開発経済学全般のテキストブックではなくて、開発経済学の一分野に関する試論的性格を持った研究書なのです。きちんと理解するには中級レベルのミクロ経済学の知識と数学的最適化の手法や計量経済学の基本知識が必要。とはいってもこれらの技術的詳細を飛ばしても、本書のメッセージが伝わるように、各章の初めと終わりの部分および序章と終章の書き方には気を配りました。



本の構成

序章 不確実性、不完全情報、経済発展
第1部 ハウスホールド・モデル
第1章 ハウスホールド・モデルの基本
第2章 異時点間動学モデルと不確実性下の消費平準化
第3章 非分離型ハウスホールド・モデルの推定
第2部 農業契約のモデル
第4章 戦略的行動の下での契約:小作制度の理論を題材に
第5章 灌漑水取引の効率性と経済余剰の分配
第6章 生産要素の取引とインターリンケージ
第3部 市場取引の効率性
第7章 農産物市場の統合
第8章 リスク・シェアリング
終章 開発のミクロ経済学と開発政策

 この構成は、個々の世帯がどのように行動するかという部分均衡から、彼らの間の相互関係や村落・地域内の関係という、より一般市場均衡的な関係へと、分析の視点を広げていくアプローチを反映したものです。
 実証分析のフィールドは基本的に南アジアです。第1章ではパキスタン・パンジャーブ州の綿花農家モデルのシミュレーション、第3章ではパキスタン・パンジャーブ州の米作農家モデルの推定、第4章ではパキスタン北西辺境州の小作制度の分析、第7章ではパキスタン・パンジャーブ州の小麦流通、第8章ではインド・デカン高原の農村やパキスタン貧困地域の世帯経済のリスクへの対応が分析されています。



正誤表

 以下の誤りは初版初刷本で見られます(現在発売中のものでは直っています)。読者の方で、さらに間違いに気づいた方は、ぜひ私までお知らせください。
91頁の(3.21)式のかっこの中、summationのすぐ後が「c_{ht}^k」→「p_t^j

裏表紙の目次「第5章 灌漑水取引の経済性と経済余剰の分配」→「第5章 灌漑水取引の効率性と経済余剰の分配」

182頁下から5行目「1次の和文系列であることを確認...」→「1次の和分系列であることを確認...」

254頁右段「逐次モデル」→「逐次モデル」

255頁右段「ラヴィリオン・モデル」→「ラヴァリオン・モデル」

 それと、誤りではないのですが、索引(253-256頁)にあった方が便利な頁数を追加します。(五十音順)
・逆選択:p.200
・コブ=ダグラス型関数:p.34
・サブサハラ・アフリカ:p.158
・ジェンダー:p.9
・情報の不完全性・非対称性:p.43
・パキスタン:p.122
・分離性(生産決定の消費サイドからの分離性):p.132
・北西辺境州(パキスタン):p.122
・マレーシア:p.27
・モラルハザード:p.200
・履行強制:p.43


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