[4]改めて強調すれば、ここで私が言うところの「異質労働」とは、松尾さんが言うところの異なる具体的有用労働間に常に存在する問題としては考えていません。異なる具体的有用労働間でも、例えばそれが共にベルトコンベアーに従事した下での単純な肉体的生理的支出としての共通の特性がある場合には、それぞれの労働の結果生産される商品が違っていても、互いに同質労働として量的に比較可能と見なしてよいだろうというのが私の見解です。マルクスが論ずるように、一人の労働者がこの二つの相異なる具体的有用労働間を渡り歩く事が比較的容易であるからです。他方、研究技術開発等の頭脳労働とベルトコンベアー下での単純肉体労働とを同質なものの量的違いとして比較可能なものに還元可能かというと無理があるように思うわけです。いずれにせよ、どこまでを同質労働とみなしどこからを異質労働と見なすかは見解の相違の違いが有り得ると思いますが、異なる具体的有用労働であるか否かという視点とは別に同質、異質の概念規定をしていると言うわけです。