[1]もう一つの山氏のコメント「スミスは、投下労働価値説の成立する社会を「社会の初期未開状態」に限定しており・・・」に関しては、基本的にその通りであるが、当該箇所における私の言及は、商品価値を過去及び現在労働の和として捉える古典派経済学的見方は、資本主義的生産様式の「様式化された事実」を背景に根拠付けられうるという事に関してであり、具体的にスミスやリカードが投下労働価値説の適応する社会をどう考えていたかという問題とは別である。この点に誤解を生じたとしたら、文章に曖昧な解釈の余地を残した筆者の責任であるが、当面の論争の主要な論点ではないので、ここで言及させて頂くに留めたい。