書評:トム・メイヤー著・瀬戸岡紘監訳『アナリティカル・マルクシズム平易な解説』

吉原直毅
一橋大学経済研究所
2011
1020


1
.本書の構成

 本書はいわゆるアナリティカル・マルクシズム(以下、AM)に関する90年代前半までの主要な諸研究に関する包括的かつ平易な解説を行っている。AMに関する解説本はすでに邦書だけでも高増・松井編(1999)や稲葉・松尾・吉原(2006)などもあり、また洋書でもRoemer (1986)など、豊富である。それらと比較して本書は、この1冊だけでG. A. コーエン、ジョン・エルスター、ジョン・ローマー、エリック・オーリン・ライト、フィリップ・ヴァン・パレース等、AMの主要な議論の展開をだいたい覆う事ができるという包括性において優れているし、また、すべて文章だけで厳密な理論的分析内容についても出来るだけ平易に解説しようとしている点でも特に優れている。AM派の90年代前半までの研究成果全体を見渡す上では、内容的に充実していて、非常に有益に思えるし、私のような専門研究者であっても本書を通じて新たな視座なり着想が得られるところがあった。

 本書は以下の様な構成からなる。
1章:アナリティカル・マルクシズムの基礎
2章:歴史理論
3章:搾取:概念上の諸論点
4章:搾取:応用と実証
5章:階級
6章:国家
7章:ボリシェヴィズム体制の崩壊
8章:社会主義
9章:総括・批判・未来展望

以下では特に、方法論、歴史理論、搾取、階級、そして社会主義に関する本書の議論を中心に論ずる。

 方法論は1章と9章で展開されている。第一に、AMの特性として解答よりもむしろ問題と研究戦略の重要性に焦点がある旨の指摘がなされ、問題としてはコーエンに基づいて、1)我々の望む社会・規範、2)その望みの根拠、3)その望みの達成、以上を挙げる。そしてAMの学説の大部分が以上3つの問題の1つ以上に関わり、総じて資本主義の超克の可能性を追求している点に特徴を見出せる事が指摘される。

 また、個人に関する仮定から集団の諸現実を演繹する手法としての方法論的個人主義と、社会理論のミクロ的基礎付けとの違い(訳書p.37)が指摘されている点は興味深い。こうした方法論に関してはアトミズムであるとの批判が典型的であるが、それに対する反論(訳書p.261)も十分に説得的である。AMの方法論は有効な社会モデルにおける簡素化の仕方の1つであり、それは人間を合理的個人として認識する立場とは異なる旨が指摘されており、また、階級や国家など超個人的な社会構造の因果関係の受入れを否定する訳ではなく、それらの構造を不断に維持している個々人の行動関係の論理的帰結として構造の生成と再生産のメカニズムを説明する事にAMの関心があったに過ぎない旨が述べられている。
 
 経済学の分野で一般均衡モデルを適用する点に関しても、均衡概念とは、従来のこの概念への批判に典型的であった「静止とか欠如」等に関するものではなく、個人という単位の行動とシステムの論理的特性の一貫性を表わす概念である旨が指摘されている(訳書p.36)。均衡論アプローチに対する「静態分析に過ぎない」という批判に関しても、社会の動態の理論化の為には動態システムの如何なる要素が相互作用しているかを理解しなければならず、それこそが均衡理論の研究であると正しく指摘している(訳書p.266)

 2章の歴史理論では、生産力と生産関係の定義前者は生産活動に利用される全てとして定義され、後者は前者の支配を巡る人々の力関係として定義される、及び生産力発展テーゼ人類は稀少性を克服する様に動機づけられているが故に、生産力は人類史全体の長期間に渡って発展する傾向にあり、その発展水準が生産関係の性質を説明するについて解説される。他方、生産関係は生産力の発展に影響を与えるのであり、現存の生産関係は生産力の当座の水準の前提の下ではそれの発展にとって最適であるという議論が紹介される。生産力の発展段階は剰余生産の水準によって評価され、無剰余前階級社会、若干の剰余前資本主義階級社会、適度の剰余資本主義社会、大量の剰余ポスト階級社会という対応関係が説明される。但し、こうした説明は、個人としての人間が、どのようにして既存の経済構造を維持するべく系統的に動機付けられるか、また逆に、経済構造が生産性増大の妨げになるときに、どのようにして経済構造の転換の為に動機づけられるかの説明を欠く旨が批判されている。

 他方、歴史理論の観点からの「資本主義の矛盾」に関する議論は示唆的である。第1にコーエンは、資本主義における生産力の発達は、労働の苦痛の減少や公共的福祉の増大に貢献する可能性を齎しつつも、専ら生産拡大促進へと偏向する傾向性こそがその基本的本質と論ずる。第2にローマーによる、いわゆる利潤率低下法則を批判し、それを前提とした資本主義の危機論を誤りとする議論も紹介される。これは、労働総量の削減という観点に基づけば社会的に望ましい技術変化であっても、資本主義の下ではその利潤最大化原理が支配的故に採用され得ない事と関係付けられる。これらの議論は、さらに自然環境保護的ながら利潤最大化原理に見合わない故に採用され得ない新技術の可能性という問題にも関連しよう。今日における生産力の発展を語る際には、それがエコロジー的観点から見て進歩的であるか、労働の節減による自由時間の拡張を可能にするか、そして総じて人間の福祉の改善に寄与するかという、質的内容からの評価がより問われる事になろう。しかし資本主義の下では、その種の生産力の発展は利潤最大化原理に動機づけられ、それに両立可能な範囲でしかなされない点に、この経済構造がすでに生産力の更なる発展にとっての桎梏になっている可能性を読みとる事が出来よう。

 搾取理論に関しては前掲の幾つかのAM解説書を始め、多くの解説がすでに存在するが、そんな中でも、本書の34章はローマーの仕事が極めて包括的に、かつ一切の数式無しに言葉だけでその理論的貢献と含意について知る事が出来る点で、特に優れている。また、前掲AM解説書等にない以下の様な論点において、読者は本書から新たに学ぶ事が出来よう。
 
 第1に、搾取概念をある一群の人々が他の一群の人々よりも活動において有利な立場を獲得しているという意味での非対称的な社会関係として捉える。また、搾取の生成の説明を生産過程における強制的社会関係から求める古典的マルクス主義と、所有関係から説明するローマーの見解この場合も強制的社会関係の存在が搾取の成立の前提とされているが、それはむしろ所有関係を維持させる事に立脚していると解釈されるとを対比している。後者に関して起き得る誤解として、資本所有の不均等な私的所有があるから直ちに資本主義的搾取が生じるわけではない事にも留意されている。すなわち何が稀少的生産要素であるかという点も搾取の生成に関係し、資本主義的搾取の場合には資本財の稀少性が前提にある旨が指摘されている。また、労働市場の存在しない資本財私的所有経済の想定の下で、実現される市場均衡の違いによって搾取関係上の立場が逆転し得る可能性に言及し、所有それ自体が社会階層の性質を決定する訳ではない旨が指摘される。

 46節では、道徳概念としての搾取理論に関するローマーの批判への著者の反論を展開している。ローマーは、余暇を大切にする個人と経済的な富の拡大により関心を寄せる個人との間では、前者が後者を搾取する関係になるが、より豊かな富を獲得するのは後者となる経済例の存在を指摘し、富と搾取の対応性が一般的に成立しない旨を以って、道徳概念としての搾取の意義を批判する。対して著者は、この例解は、資本主義的再生産にとっての無資産なプロレタリアートの存在の不可欠性を説明するものだと、論ずる。余暇を大切にする個人が搾取者になれたのは、彼が生産手段に関する一定の資産を有していて、十分な余暇を選択する自由が保証されているからであり、この例解は資本主義的な搾取の核心を示すものではなく、掘り崩す関係の示唆であると論ずる。また、道徳問題の焦点を搾取にではなく、資産の不平等にあてるべしというローマーの見解に対しても、その不平等が資産所有者に関係上の優位性を与えない場合、非道徳的とは言えないと反論し、また、ケンブリッジ資本論争での「再転換現象」のアナロジーを駆使して、資産の分配だけからは搾取関係の確定化は得られない事、さらに資産の計測自体も複数均衡の下では困難故に、その不平等を道徳的に問題視する意義も曖昧であると論じている。
 
 5章ではライトの階級論に関する有益な解説を提供している。ライトの階級論はローマーの『搾取と階級の一般理論』での搾取理論を吸収しつつも幾つかの重要な修正を行った上での、搾取概念に基礎づけられた階級構造論である旨が指摘される。ローマーの場合は所有の優位性に対応して搾取関係=階級関係が説明されるが、ライトの場合にはそれに加えて、組織における優位性に基づく搾取関係と技能・学識の優位性に基づく搾取関係、以上の3次元によって階級構造が決定されるモデルとなっている。経済的抑圧と搾取との区別についても言及される。搾取は剰余生産物の収奪関係であり、他方、失業者は経済的に抑圧されているが、搾取されている訳ではない。所謂、社会的排除の問題は経済的抑圧の問題であっても、搾取関係の問題ではない事が解る。搾取階級は被搾取階級の労働に依存しこそすれ、その階級を排除しないからである。

 他方、階級関係の生成に関して、組織の優越性及び技能・学識の優越性を所有の優越性と同様に位置付ける事には著者は疑問を呈し、また、ライトの見解組織ないしは技能・学識の搾取は、それらの優越性を利用する権利に対して、それらの優越者に支払われる賃貸料として概念化されるべしを紹介し、これらの優越性は、階級区分そのものというより、階級内部での階層分化の基礎を提供するという見解を紹介している。ライトによる階級理論のこうした豊饒化は、実証研究上でも効力を発揮し、米国の60年〜70年の10年間でのプロレタリア化と70代以降の脱プロレタリア化この過程は、ポスト資本主義的な階級関係のはぐくみであり、組織の優越性や技能の優越性を支配する階級の多様な組み合わせの展開として説明されるという調査結果が紹介されている。ライトの階級理論は経済学ではまだ十分な理論的検証が為されていないが、今後の意義ある課題である事が了解される。
 
 AMの社会主義論に関しては78章で論じられているが、従来の邦文献では、ローマーのクーポン制市場社会主義論が中心の紹介が多数であった。対して、本書の特徴はそれのみならず、ローマーに先立つ市場社会主義論としてデーヴィット・ミラーの議論も詳細に紹介し、また、ロバート・ファンデルヴェーンとフィリップ・ヴァン・パレースのベーシック・インカム(BI)政策論やカール・オーヴェ・メーネ等の社会民主主義と市場社会主義との比較経済システム論など、より広範にこのテーマに関するAM論者たちの言論を網羅している。また、ボリショヴィズム体制の崩壊について詳細に論じている点も本書の独自性の一つである。

 しかし本書の元々の(原書の)出版年時が1994年という事もあり、紹介文献は90年代前半までの出版に留まっており、その結果、ソ連・東欧体制崩壊直後の問題意識に動機づけられた議論が中心であり、ネオリベ的資本主義原理が一元的に支配する現在のグローバル経済に対応しての理論展開にはなっていない。また、AMの社会主義的代替案論は彼らによる本質的な貢献も大きい規範理論・分配的正義論の展開抜きには語れないが、本書ではそれに関する紹介は殆どない。社会主義の規範原理に関する重要な文献として、自己所有権と平等原理の両立可能性を探究したCohen(1995)や、全個人への実質的自由の保証を望ましい社会の目標と見なし、その規範理論的な裏付けと実現手段としてのBIを位置づけたParijs (1995)は、本書以降のAMにおける重要な成果である。ローマーも、市場社会主義を「自己実現の機会の平等」という規範的原理を満たす手段として位置付けており、Roemer (1998)では、機会の平等論を規範理論的にも経済政策論的にも深めている。本誌でも掲載された最近の彼の論稿を見ても、現在ではクーポン制社会主義に特別の可能性を託してはいない様に思われる。

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AMにおける最近の発展及び今後の課題

 上述の様に、本書は優れて包括的なAMの概説入門書として、出版後20年近い月日を経た今日でも、その基本的意義は色褪せてはいないが、同時にこの20年近い間におけるAM系理論も大きく発展している。第一に、搾取理論に関しては、前述の様に労働搾取論を批判したローマーが代替案として提示した所有関係的搾取論(=搾取のゲーム理論的アプローチ。本書の45節で展開)であるが、ローマー自身が後に自己批判して事実上撤回している。以降、しばらく研究の進展が途絶えたこの分野であったが、ここ45年間で復活と共に著しく進展中である。例えば、本書47節では搾取論に関する今後の課題として、完璧な搾取の定義が未だに為されていない旨、及び、搾取を実証的に計測する方法の構築を探究すべき事が指摘されている。第1の課題に関しては「搾取の公理的分析」によって、ほぼ明快な解案が提示された。第2の課題に関しても、公理的に提案された搾取の定義に基づいて、搾取の測度に関する研究が現在進行中である。この新しい搾取の定義の下では、「マルクスの基本定理」の一般化の困難など、従来指摘されていた搾取理論の頑健性問題は基本的に解決できる。また、いわゆる「一般化された商品搾取定理」はこの新しい搾取の定義の下では成立しない事から、置塩=森嶋タイプの搾取の定義の下では拭えなかった労働搾取概念の固有の意義への疑念も払拭される。総じて、90年代半ば時点でのローマーの搾取理論批判とは対照的に、むしろ資本主義経済の原理的性質を理解する上での搾取概念の重要性が論証される方向にあるのが現状である。[i]

 第2に、「機会の平等」論やBI論などは前節の言及の様に大きく進展している。前者に関してはRoemer (2006)において、民主主義的選挙制度を通じて「機会の平等」基準を満たす社会が実現可能か否かを論じており、諸市民が経済人タイプの利己的選好を持ち続ける限り、たとえ左翼政党が勝利する確率が十分に高いとしても展望は悲観的である事、換言すれば社会主義の目的を実現する為には、民主主義的な政治的意思決定と賢明な経済システムの制度設計だけでは不十分であって、市民の選好がより社会的連帯志向的になる事が不可欠である旨、論証している。[ii] BIに関しては、「負の所得税」という制度の下で、その帰結的目標を実現する事は可能であり、主流派の経済学者の間でも検討に値する提案として認知されるに到っている。問題はどの程度の水準までのBIを認めるかであり、Parijs (1995)の規範体系がその為の解案に成り得るかの理論的検討が始まっている[iii]。本書出版後のこの20年弱で、世界はネオリベ的資本主義の原理が一元的に支配的になり、その矛盾が次第に顕在化しつつあると同時に、代替案としての社会主義論を受け入れる学問的土壌もむしろ希薄化している。現代のネオリベ的グローバル経済の原理と矛盾分析を踏まえての、その超克的経済システムとしての代替案について論ずる緊急性が一層高まっていると言えよう。そうした代替案として、「機会の平等」論やBI論等は、理論的には完成度も高く、実行可能性を担保し得る数少ない提案の一部であるが、今後の更なる検討が必要である。



[i] 搾取理論の最新研究動向は、吉原(2011b) で紹介されている。

[ii] この点に関しては、例えば吉原(2011a)を参照の事。

[iii] この点に関しては、吉原(2009)を参照の事。

 

参照文献

[1] 稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅(2006): 『マルクスの使いみち』 太田出版.

[2] 高増明・松井暁編 (1999): 『アナリティカル・マルキシズム』ナカニシヤ出版.

[3] 吉原直毅(2009): 「連載『福祉社会の経済学』:その10―ベーシック・インカムの実行可能性, 『経済セミナー』200923月号, 日本評論社.

[4] 吉原直毅(2011a): 「ジョン・ローマーにおける「政治経済学」の研究」, 須賀晃一・斉藤純一編『政治経済学の規範理論』勁草書房, pp. 83-98.

[5] 吉原直毅(2011b): 資本主義分析の基礎理論研究の現状及び『新しい福祉社会』モデルの探求, 日本比較経済体制学会第10回秋期大会・パネル『アナリティカル・マルクシズムの可能性:現代資本主義分析ならびに将来社会の構想』報告論文.

[6] Cohen, G. A. (1995): Self-Ownership, Freedom, and Equality, Cambridge Univ. Press: Cambridge. (松井暁・中村宗之訳『自己所有権・自由・平等』青木書店、2005年)

[7] Van Parijs, P. (1995): Real Freedom for All: What (if Anything) can Justify Capitalism, Oxford Univ. Press, Oxford.

[8] Roemer, J. E. (ed.) (1985): Analytical Marxism, Cambridge Univ. Press, Cambridge.

[9] Roemer, J. E. (1998): Equality of Opportunity. Harvard Univ. Press: Cambridge.

[10] Roemer, J. E. (2006): Democracy, Education, and Equality, Cambridge Univ. Press: Cambridge.

[11] Roemer, J. E. (2008):市場経済での平等化の達成についての展望(吉原直毅訳),『季刊経済理論』44-4, pp. 6-19.