市場経済の下での平等主義的社会への制度設計の展望

――ジョン・E・ローマーの一橋大学COERES公開講義――

 

吉原直毅

一橋大学経済研究所

初稿20074月6日; 現稿200749

 

 一橋大学21世紀COEプロジェクト『現代経済システムの規範的評価と社会的選択』(略称COE/RES, 代表: 鈴村興太郎教授)主催によるジョン・E・ローマー氏(イェール大学政治学部教授)の集中講義が,20061214日から20日までの期間,開催された。ジョン・E・ローマーは,世界的に著名な厚生経済学研究者であり,また,現代的な合理的選択理論の手法を用いてマルクス主義理論の再構成を試みる学問的アプローチである「アナリティカル・マルクシズム」の提唱者の一人としても良く知られている。彼の多数の著作は世界中の様々な国で翻訳され,その議論の影響力はすこぶる大きくかつ広範であって,単なる理論経済学の範疇を超えて,政治学,政治哲学,倫理学,社会学等にも及ぶ。

7日間に渡る一橋大学招聘期間中の講義は,政治的競争理論、機会の平等理論、社会契約論的正義論等,多岐に跨った。各講義には、一橋大学の教員、大学院生のみならず、多くの他大学の研究者や大学院生、さらには、経済学の分野を越えて、政治哲学、社会学などの研究者の参加を得た。また,最終日には学部学生、一般社会人をも対象とした公開講義を行い、より広く社会に規範的経済学の成果を紹介する企画ともなった。以下では,この最終日の公開講義「Prospect for achieving equality in market economies」の議論のエッセンスを簡単に紹介したい。

 

1.     市場経済における二つのオールタナティヴ

ここ数年間のうちに日本でも「格差社会」化について様々に言及される様になり,2006419日における日本学術会議主催・一橋大学COE/RESプロジェクト・慶応大学COEプロジェクト共催のシンポジウム「統計で見る日本の経済格差」に見られる様に,アカデミックな経済学者の論争テーマにもなっている。市場の競争原理の強化が「格差社会」化の要因になっているという議論も存在するが,この講義のテーマは,まさにこうした競争的な市場経済の前提下で,社会の「平等化」がいかに可能であるかを展望する事であった。ローマーはまず,社会の平等化を実現する代替的社会制度として市場社会主義(market socialism)と社会民主主義(social democracy)の二つに言及した。平等化の手続きとして,市場社会主義では資本所有の均等化と所得再分配的税システムの二つの装置を有するのに対して,社会民主主義は後者のみの装置を有するものとして整理される。

社会民主主義は北欧諸国における福祉国家システムにその具体例を見出せるものの,市場社会主義は現実には存在していない。しかし,ローマーはその政治的移行の実現可能性問題とは別に,市場社会主義は経済システムとして実行可能(feasible)であると主張する。その理由を説明する為に,彼は市場に関する主要な二つの機能について言及した。一つは個々人の経済活動の調整(coordination)機能であり,もう一つは個々人の経済活動への誘因(incentive)を創出する機能である,とされる。市場の調整機能とは,個々に分散化した知識を集約し,経済的資源配分を適切な方向へと導く分権的メカニズムの事を言い,市場の誘因創出機能とは,人々の起業への動機付けや技術革新への動機付けメカニズムの事であり,また,いわゆる「依頼人−代理人」関係におけるモラル・ハザード問題解決の為のモニタリング・メカニズムの事を指す。近年のソビエト連邦崩壊の歴史分析に基づけば,中央集権的経済システムの失敗は,この調整機能の失敗として主に説明できるし,他方,モニタリング機構としては,市場は極めて不完全である。以上の整理から,市場の主要な機能は分権的メカニズムとしてであり,そうである限り市場社会主義は,それを資本所有が分散化・均等化された市場経済システムと理解する限り,実行可能であると主張する。市場の調整機能に関して,市場社会主義は資本主義経済と変わりはないし,他方,誘因創出機能に関しては,従来は資本資産の私的所有制の存在によってしばしば説明されてきたが,資本主義経済においても「所有と経営の分離」が存在する現代社会を前提にすれば,資本所有の分散化・均等化が誘因創出機能を損なうと主張する十分な論拠に乏しいと思われるからである。[1]

では市場社会主義は社会の平等化にどの程度,貢献し得る制度であるか?ここでローマーは市場社会主義における資源配分ルールとして比例配分解(proportional solution)[2]を前提する。比例配分解とは,労働貢献度に比例して財を分配するパレート効率的配分の事をいう。いわばカール・マルクスの社会主義的分配原理「各人は能力に応じて働き,労働に応じて取得する」を体現するルールである。ローマーは米国のデータを用いて,比例配分解の仮想下でのジニ係数を計算し,それが米国の現実のジニ係数よりむしろ高い事を論じた。これは,市場社会主義に移行するとむしろ所得の不平等が拡大し得る事を意味する。理由として,ローマーは,現代の市場経済における不平等の生成の主要因は資本資産所有の不平等にあるのではなく,むしろ労働能力(人的資本)の多様性・個人間格差に起因する労働所得の格差にあるからだと論じる。実際,現代の米国では,所得分配の最富層は高度専門的知識や技能を有する高給与所得者たちであり,金融資産所得の取得者たちではない。したがって比例配分解の遂行は,むしろ労働能力の高い人により多くの資本所得を分配するが故に,不平等が解決されないのである。

他方,社会民主主義の成功例は,北欧諸国のそれに見出す事ができる。これらの諸国では,所得の平等化は世界で最も高い水準にあるのみならず,経済効率性の観点でも高いパフォーマンスを示しており,福祉国家の再分配税制による効率性のロスはほとんど無視できる水準である事はアカデミックな研究でも指摘されている。確かに一人当たり所得水準は米国よりも低いものの,それは彼らが米国人よりもより多くの余暇時間の享受を選択しているからである,と。この成功の秘訣はいずこにあるのか?ローマーは,利己的な合理的個人を前提する場合,社会の構成員達の疾病や失業などのリスクの同質性(risk homogeneity)の存在が重要である、と主張した。リスクの同質性の存在する社会では,包括的な社会保険制度を設計するのはより容易である。なぜならば,全ての人々は基本的に同じ保険料を支払うというシンプルな制度で十分だからである。そしてこうした制度の下で,疾病や失業,老化などへの十分な社会保障を享受した人々は平等主義的社会に価値を見出すようになる。その結果,社会はますます平等主義的な制度や政策を展開するようになる。こうした動学的シナリオをローマーは提示するのである。

北欧の社会民主主義のもう一つの特徴に,労働組合と経営者団体との団体交渉制度(コーポラティズム)に見られるような連帯的賃金政策がある。一産業内の賃金同一性を維持する制度であるが,これは連帯主義的な倫理的動機によってではなく,むしろ高い賃金率を供給できない競争力の無い企業を淘汰する装置を提供するが故に正当化されたのだと説明される。競争力の無い企業の淘汰は,輸出産業への依存度の高いこれらの諸国が国際競争力を維持する上で必要な手続きと見なされてきたとの事である。

 

2.     教育の機能とその提供による「機会の平等」

以上の議論は,リスク同質性が存在しない社会では,平等主義的再分配政策の遂行が不可能である事を意味はしない。リスク同質性を維持する上で,教育への機会の平等は重要な役割を果たすが,リスク異質的社会では平等化にとっての教育の役割はより一層,重要である事が指摘される。実際,出身家計の母親の教育水準の階層に応じた所得の不平等度について,米国とデンマークとを比較すると,前者の方がより大きい事が指摘される。所得格差の要因を個々人の出身家計の特性の格差に見出せない状態こそが,所得稼得力に関する「機会の平等」[3](equality of opportunity for wage-earning capacity)であるが,米国がこの点でより不平等的である背景として,両国の教育制度の違いが指摘される。デンマークでは全ての子供への同額の教育的投資が国家によってなさるのに対して,米国では地域間の教育的投資の格差が大きく,また,私学の比重も大きい。

では米国のようなリスク異質的社会において,所得稼得力に関する「機会の平等」を長期的に実現するような教育政策は,民主主義的な政治的競争システム(democratic political competition)――二大政党制に代表される,間接民主制のこと――の下で,果たして政治的に実行可能なのであろうか?この問題への見通しを立てるために,ローマーは動学的な政治的競争モデルを用いて得た理論的分析の結果を紹介する。[4] モデルや理論的分析の詳細はここでは割愛して,大まかな結論のみ紹介すると,個々人が自分自身の消費活動と自分の子供の享受する教育投資の収益にのみ関心を持つような利己的社会では,民主主義が「機会の平等」を長期的に実現する保証はない。しかし,教育的投資に十分に大きな正の外部性が存在し,したがって,社会全体の教育水準の向上に人々が関心を持つ場合や,人々が互いに他人の子供の教育に配慮しあうような連帯的社会では,民主主義的意思決定によって実行される教育政策は,「機会の平等」化を長期的に実現するような性質のものとなる,と。換言すると,貧者の富者への、利己的動機に基づく政治的闘争によってでは,社会の長期的な「機会の平等」化を実現する事は難しいだろうと言う事である。むしろ,ある程度の利他性なり,社会的連帯の文化なりの存在する下での政治的競争でなければならない,と主張するのである。

以上の分析に基づくローマーの結論は,優れた民主主義的政治システムによってだけでは,「機会の不平等」,すなわち出身家計の格差に起因する所得の不平等を解消することはできないだろう,というものである。優れた意思決定機構や政策の設計を補完する機能として,人々の社会的連帯への志向を育成していく事が重要である事が強調される。したがって,「左翼」は人々に何が社会的正義であるかを教え,そして友愛や社会的連帯は社会的正義の実現の為の不可欠な構成要素である事を確信させ,有能な個人をして自発的に不遇な個人のための犠牲を厭わないような社会的連帯の文化を構築する事が重要である,と。

 

3.結びに代えて

 以上,ローマーの公開講義での議論を簡単に紹介してきた。友愛の精神や社会的連帯の文化が重要であるという主張は古典的マルクス主義のスピリッツを彷彿させるものであり,経済学者は得てして眉唾ものとして捕らえる傾向があるかもしれない。しかし、これらの議論は,彼自身の過去及び現在における厳密な経済学的研究の成果に基づいているものであり,その発言は経済理論的及び実証的裏づけを伴っている。また、そこでの学問的手法は標準的な新古典派経済学の方法に基づいている。その点をまず,指摘しておきたい。

 また,上述のローマーの結論は,平等主義的な社会や公正な社会への制度設計の不可能性を意味するものと受け取るべきではない。望ましい制度設計だけでは不十分であり,制度を支持する人々のもつ動機や価値が重要な要素である事については,アマルティア・センもいわゆる「パレート・リベラル・パラドックス」[5]を解決する制度設計の論脈で,強調してきた事である。この点についてのローマーの展望に関して,私自身は基本的に異存はない。それを受け入れた上で尚,依然としてアカデミックな経済学研究者としては,採用するに足る優れた制度設計の為の理論的作業なり,何が社会的正義であり連帯であるかに関する規範的基準の整備化を公理的手法に基づいて行う事などは,十分に価値ある作業であると確信するからである。

 また,市場社会主義についてのローマーの,従来の彼の主張からの多少の異同も見られる今回の主張に関してなど,細かい点に関して批判したい点やもっと議論を深めたい点も少なくない。しかし,公開講義という性格上,あまりこうした細かい議論をここで進めても意味が無いかもしれない。一点だけ指摘しておけば,これはローマー自身も自覚している事であるが,今回の講義にはいわゆるグローバリゼーションのもたらす新しい考察すべき諸問題については何も語られていない。たとえば,欧州福祉国家では移民に対する扱いが大きな政治的争点の一つになっているが,左翼はしばしば移民に対して,社会的連帯の倫理的観点から,開放的立場を取る。しかし,ローマーの指摘する様に,リスク同質性が社会民主主義システムの成功にとって重要な役割を担っているとすれば,移民の受け入れは,よりリスク異質的な社会への移行を意味しうるが故に,システムの安定性にとっての脅威になりうる。また,日本において福祉国家的政策を支持する論者が,グローバリゼーションの下での資本逃避の脅威という観点から批判されるとき,しばしば反論として提示するのは北欧社会の例示である。しかし,その例から,日本にも適用可能ないかなる一般的命題を引き出しうるかという点に関して,まだまだ課題が残されているように思える。

 ともあれ,ローマーのこの講義が多くの聴講者たちの感銘を誘い,学生諸君に経済学の学問的研鑽に対する強い動機付けを与えたであろう事に疑う余地は無い。実際,聴講者の一人であったある経済学者の同僚は,大きな感銘を受けた事を私に伝えてくれた。その同僚に言わせると,経済学とは価値判断に関わる論点からは距離を置くものであり,したがって,「こういう社会にすべきである」という強いメッセージを発するべきものではない,と思ってきたし,周りの経済学者も同様であった。しかし,ローマーのように価値判断的な問題に積極的にコミットする経済学者がいるという事に新鮮な刺激を受けたとの事である。「ローマーだけでなく,そもそも厚生経済学研究者とは,価値判断的問題に積極的にコミットする学問に従事するものですよ」というのは私の弁である。

 

参考文献

Roemer, J. E., 1994.  A Future for Socialism. Harvard Univ Press: Cambridge.

Roemer, J. E., 1998.  Equality of Opportunity. Harvard Univ Press: Cambridge.

Roemer, J. E., 2006. Democracy, Education, and Equality, Cambridge Univ Press: New York.

Roemer, J. E., and Silvestre, J., 1993: “The Proportional Solution for Economies with Both Private and Public Ownership,” Journal of Economic Theory 59, 426-444.

Sen, A. K., 1970: Collective Choice and Social Welfare, Elsevier: Amsterdam.

Yamada, A. and N. Yoshihara, 2006:Triple Implementation in Production Economies with unequal skills by Sharing Mechanisms, IER Discussion Paper, No. 475, The Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, forthcoming in International Journal of Game Theory.

・稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅, 2006: 『マルクスの使いみち』(大田出版).

・高増明・松井暁編, 1999: 『アナリティカル・マルクシズム』(ナカニシヤ出版).

・吉原直毅, 2006:「分配的正義の経済哲学:厚生主義から非厚生主義へ」IER Discussion Paper, No. 472, The Institute of Economic Research, Hitotsubashi University.



[1] 市場社会主義に関するローマーの従来の見解はRoemer (1994)に纏められている。また,日本語の紹介文献として,高増・松井(1999)及び,稲葉・松尾・吉原(2006)がある。

[2] 比例配分解の存在については,Roemer and Silvestre (1993)が論じている。また,その分権的遂行可能性についての最新の議論として,Yamada and Yoshihara (2006)がある。非専門家向けの邦文解説論文としては吉原(2006)がある。

[3] 「機会の平等」論についてはRoemer (1998)。また,邦語の紹介文献として,吉原(2006)がある。

[4] Roemer (2006)がその文献である。

[5] Sen (1970)を参照のこと。