「金融再編と日本経済」 

November, 1999  (c) Tokuo Iwaisako
 

 「金融再編」について解説せよとの(筑波大学新聞編集部の)依頼だが、いざパソコンの前に座ると何を書けばいいのか困ってしまう。確かに、財閥系の大銀行同士が合併するなどというのは、十年前には想像もつかなかった事態である。だが、単なる零細預金者である大学の教師・学生の大多数にとって、「金融再編」が現実生活に与えるインパクトは、さほど差し迫ったものではない。預金のある銀行が合併したとしても、それで自分のお金が増えたり、減ったりするわけでもないし。せいぜい、使えるATMの数が増えるくらいか?自分のことを考えても、当面の生活費を、給料を払い込んでもらう地元銀行に預けてあるのを除けば、残りは全部外資系銀行である。したがって、日本の金融機関の再編は、生活者としての私には、ほとんどが影響ない。
  では、将来、金融機関に就職する・したいと考えている学生の場合はどうだろうか?これも、実は影響はさほどないだろう。日本の金融機関も、バブル崩壊以後は、海外と同じ様に、実力主義で、スペシャリストが求められる状況になってきている。したがって、自分自身に何かセールス・ポイントがなければどこに行っても苦しいし、逆に才能のある人材は、評価に応じて職場を変えるのが当たり前になりつつある。

 では、なぜ日本の金融の再編は、かくも新聞やTVを賑わわせるのか?第一の理由は、グローバルな金融市場の出現により、世界水準の会社として生き残れる金融機関の数が、全世界でせいぜい10以内になるであろうという競争の激化が進んでいるからである。これは世界的な合従連衡が進む、自動車会社と同じである。第二に、日本経済・金融市場は、70年代後半以来、時間を掛けて間接金融主導から直接金融主導へ大きく変動を遂げてきたが、90年代に入ってその勢いは一層加速している。直接金融とは、企業が債券・株式を発行して、必要な事業資金を家計(投資家)から直接調達する方法であり、間接金融とは間に銀行を挟んで、家計は銀行に預金し、企業は借入を行うシステムである。日本の金融システムは、第二次大戦以後ずっと間接金融主導型であり、それがまさに、銀行が他の産業に大きな影響力を持ち、最もステータスの高い企業であると見なされていた理由である。しかし、規制緩和や大企業の財務体質の変化により、直接金融の比重が増し、金融機関の生き残り競争は、国内市場だけを見ても厳しさを増している。さらに、直接金融に関わる証券業と、銀行業の間の垣根も消えつつあり、異業種であった銀行と証券会社が一つの市場で競うことで、競争の激化により一層の拍車がかかっている。そして、最も重要な要因として、規制緩和の大きな流れがある。日本の金融における規制緩和は、これも長い時間を掛けて進展してきたのだが、ここ5年ほどの間に急ピッチで進んでいる。それは、日本経済に占める銀行の役割を相対的に減少させ、その銀行業界をコントロールしてきた政府・大蔵省の民間への影響力を、極めて限定されたものにしつつある。
 私が、大学院に進むかどうか迷って就職活動をした十年前、文系大卒の民間就職先として最高の地位にあったのは、興銀を筆頭とする長信銀と上位都市銀行であった。しかし、今日、三つの長信銀のうち二つまでが消え去り、残る興銀・上位都銀も弱体化した。このことは、三菱・住友・三井などの「系列」・「企業グループ」と呼ばれる企業集団が、日本経済の根幹を成してきたという認識のある大人達には、ショッキングな出来事なのかもしれない。しかし、五年間アメリカ暮らしをしてきた目で見ると、80年代以降、世界が本当に認めている日本の優良企業とは、トヨタ、ホンダ、SONY、キャノン等の、比較的銀行からは独立している製造業の会社である。例えば、アメリカのビジネス・スクールでケース(*)として取り上げられる日本企業の事例というのは、ほとんど上記のような企業である。一方、日本の金融機関といえば、多額の寄付をしたおかげで、アメリカのビジネス・スクールには日本の金融機関の名前を冠した Professorがたくさんいるが、そのわりには、どうみても尊敬されていない。だれか一度、日本の金融機関が取り上げられているハーバード・ビジネス・スクールのケースの数を数えて、教えてもらえないだろうか。シャレでも何でもなく、ゼロのような気がする。(とはいえ、学問としての、日本のファイナンス・金融論についても同じ様なものなのだけれど。確かに「Itoの補題」は、現代ファイナンスには無くてはならないものだが、あれは日本人の「数学者」の貢献である。)
 

 というわけで、家族・親戚が金融機関に勤めている人には、大変ですねと言うほか無いが、昨今の日本の金融機関の地盤沈下と、それに伴う金融業界における再編の波は、起こり得るべくして起こった出来事にすぎないことも、また確かである。

(*) ケース: ケース・スタディー(実際の事例に基づいた研究・授業)に使われる、実際のビジネスの成功・失敗の例をまとめた教材。