有本寛・岡崎哲二・中林真幸「小作契約の選択と共同体」澤田康幸・園部哲史編『市場と経済発展』,東洋経済新報社,2006年 には,筆者の1人である私,有本寛の誤解に基づく誤りがあります.読者の皆様,編集者,出版社,その他関係する皆様にご迷惑をお掛けしたことを深くお詫びし,訂正させていただきます.正誤表をここに記載いたしますので参照してください.(PDF版

正誤表

  1. p.100 表4-1の(出所)
    • (誤)小作地率データは岩手県内務部[1932]『特殊小作慣行名子制度刈分小作の実情』
    • (正)小作地率データ(昭和10年)は岩手県農地改革史編纂委員会編[1954] 『岩手県農地改革史』,p.55.
  2. p.106 表4-3
    • (誤)二戸郡の田刈分小作地率(%) 92.3
    • (正)二戸郡の田刈分小作地率(%) 92.5
  3. p.114 6行目〜10行目
    • (誤)このため,村レベルデータを欠く合計142の村については郡レベルの平均値で代用し,それも得られない紫波郡の15の村についてはサンプルから除いた.
    • (正)このため,村レベルデータを欠く合計142の村については岩手県農地改革史編纂委員会編[1954]『岩手県農地改革史』より得られる昭和10年(1935年)段階の郡レベルの平均値で代用し,それも得られない紫波郡の15の村についてはサンプルから除いた.

原因と影響

誤りの原因は,刈分小作地率データの出所となった2つの調査が同一のものと,私が誤解したことにあります.刈分小作地率が記載されている資料は,

の2つがあります.前者は,昭和5年2月(1930年)現在の村レベルの刈分小作地率が記載されています.一方,後者は昭和10年現在の郡レベルの刈分小作地率が記載されています.時期が異なることから,両者は明らかに異なる調査であると考えられます.しかし,私は,これを同一の調査であると誤解し,昭和5年の村レベルの刈分小作地率を郡ごとに平均をとったものが,後者の『岩手県農地改革史』に記載されているものと認識していました.なお,この誤りのすべての責任は有本にあり,共著者である岡崎哲二,中林真幸両氏は関知するところではなかったことを明記しておきます.

誤りの訂正による論考への影響としては,昭和5年時点での村レベルの刈分小作地率データがない村について,昭和10年時点の郡レベルデータで代用することの妥当性と,推計への影響(バイアス)の問題が挙げられます.すなわち,この代用による推計へのバイアスがないと考えるためには,昭和5年から昭和10年までの間に,刈分小作地率が大きく変わっていないという仮定が認められる必要があります.当時,刈分小作は減少の傾向にあったとされていますが,昭和5年時点の村レベルのデータがない郡はもともと刈分小作が少ない地域であり,5年の間に大きな変化はなかったものと推測され,したがってこの仮定は妥当であると私は考えています.また,この仮定を受け入れない場合でも,表4-5の(7)(8)列の推計結果が,リスクと共同体(田畑比率)の契約選択に対する影響の頑健性を示していると考えます.

なお,前述のとおり,『岩手県農地改革史』には,昭和10年時点における刈分小作地率の郡平均が記載されていることから,村レベルの調査が行われていると推測されます.ただし,原資料の岩手県経済部編『岩手県の小作事情』が,私が調べた限りでは所在不明であるため,確認することができていません.