科学研究費補助金特定領域研究B
研究の目的:A2 (鴇田グループ)


この研究は「世代間の利害調整に関する研究」を医療と介護の分野について試みるものである。”老健拠出”に典型的に象徴されるように、日本の医療制度は、年金と同様に、高齢者の医療費を現役世代が負担する賦課方式的な色彩が濃厚である。研究代表者らの日本の国民医療費の研究によれば、65歳以上の高齢者医療費の急速な増加は全体として国民医療費を年率2.8%で上昇させ、予想されるマクロ経済の低成長との均衡の維持を危惧させる。また現在の制度のままでは少子高齢化の進展とともに現役世代の負担を益々重くし、2025年には現在の4倍程度に達すると予測される。

このような負担の増加に将来の現役世代は到底耐えられそうにない。現役世代の負担の軽減は焦眉の課題であり、介護保険制度の導入は医療と介護を分離することで、社会的入院などの高齢者医療費の軽減を意図したものである。さらに現在、厚生省は医療制度の抜本的な改革を試みているが、その目的には、高齢者医療費の急速な増加による現役世代の負担の軽減も当然含まれる。しかし問題が顕在化して久しいのに、抜本的な改革は遅々として進行せず問題は先送りされ、高齢者医療費の急速な増加は将来世代に転嫁されるだけである。そのような政策的な閉塞状況を打開するには、可能な限り正確な情報を収集し、その科学的な分析を通じた、世代間の公平かつ公正な価値観による説得力ある政策の提言が不可欠である。この研究の最終的な目標はそのような権威ある政策提言である。

この研究では、まず医療と介護の両方について、各国の置かれた制度的状況の下での世代間の受益と負担の実態を、国際的な視野からより詳細に調査研究し、それに基づいて、いかなる社会・経済的問題が発生しているかを明らかにする。その場合、日本の医療と介護における世代会計の研究、すでに入手済みの国保や組合健保などのレセプトデータの分析を通じた高齢者医療の需要とその分配など、 terminal care やホスピスなどの実態を含めて、高齢者の医療の特質を明らかにする。また国民生活基礎調査などの分析を通じて、高齢者の生活実態を総合的に明らかにする。同時に全国の医療機関と介護施設の供給面の調査も重要で、その場合に単に量的なデータだけでなく、レセプトデータとの接合による質的な把握も不可欠である。このため、医療・介護と経済の関わりに関心をもつ医学系の研究者を含めて、学際的な研究とする。こうして現在の日本の高齢者の生活、医療および介護の実態を明らかにする。その上で本総合的研究の他の領域と連携しながら、医療と介護における世代間の公平かつ効率的な制度設計はいかにあるべきかを、医療における技術革新や質的な改善をも含めて、国際的な制度の比較を考慮しながら検討したい。

研究にあたって、まず医療・介護の主要な情報の収集とそのfact findingを試みる。すなわち国民生活基礎調査のマイクロデータを用いて、高齢者をとりまく生活水準の実態を、資産・所得・年金受給額・消費支出額・公的保険支出額・医療支出額および公的保険給付額と自己負担額などを中心に、明らかにする。これにより高齢者の生活実態や彼らの生活の余裕度が検討され、高齢者の自助努力や自己負担額の上昇が、どの程度まで許容可能であるか、分析される。このような研究は、往々にして抽象的な次元に終始する高齢者の医療費に対する負担能力の水準を客観的に明確化するだろう。

次に組合健保や国保などのレセプトデータを使用することにより、高齢者医療の実態、とくに若年世代の4倍の受診率の内容を明らかにし、また高齢者医療の過半を占める慢性疾患の治療の実態、終末期の医療、さらには低い自己負担によるモラル・ハザードの象徴である重複受診の実態などを明らかにしたい。なおこれらのレセプトデータと医療機関のデータをリンクさせることで、患者についての情報だけでなく、それぞれの医療機関がどのような治療行為をしているのか、例えば同一年齢の主要な病気の患者について、通院や入院日数および診療報酬点数などを、分析することが可能となる。さらに長期入院の分散はどの程度のものかなど、貴重な情報をも同時に提供する。またこれによって医療と介護の境界についての、有益な情報も入手できると期待される。

いくつかの経済的な特性から、医療サービスの資源配分を完全に市場に委ねることはできず、各種の規制は一般的である。しかし日本の医療サービス市場の資源配分は、社会保険制度の大きな枠組みの中ではあるが、規制による部分が大半である。診療報酬や薬価基準などの価格規制、病床規制や社会保険指定などの事実上の参入規制、医療保険料や患者自己負担さらには医療機関の広告規制など枚挙に暇ない。医師など医療スタッフの資格規定など社会的な規制は別として、経済的な規制には問題が多い。医療における経済的規制が、社会保険制度の枠組みの中でどんな意義を持つかを、医療技術の革新や画期的な新薬の開発なども含めて、患者に与える医療の成果や分配に配慮し、国民経済的に考察する。

さらに医療における規制の厚生損失は、現在の日本では規制による厚生の利得を上回るのではないかが、tentative な仮説として提起される。すなわち市場の失敗よりも政府の失敗の方が、より深刻ということである。さらに市場規制の存在は、ただ単にそれが厚生損失を生じるだけでなく、政治家・官僚・圧力団体などのいわゆる rent-seeking の活動の温床になり、一層非効率的で近視眼的な資源配分を、政治の場で決定してしまうことになる。それが日本の医療資源配分における深刻な問題と考えられる。

本研究では、世代間における公平・公正かつ効率的な医療資源の配分は、いかにあるべきか、またそれらを実現する制度的な枠組みの追求を計画の最終目標とする。上記の政治過程による決定では、最も安易な政治的選択は現在の高齢者を優遇し、その負担を現在の現役世代、さらに将来の現役世代に転嫁し、基本的な変革に繋がらないことが、やはりtentative な仮説となる。これを論証するには、より一層の公共経済学的な理論の構築が必要だが、そのような視点から現行社会保険制度は、どのような方向に改革が可能であるのか、また世代間の利害調整を解決しながら、より一層の医療や介護の質を改善させる枠組みとは何かを、先進諸国とくに同様の制度を採用するドイツなどと国際比較をしながら研究する。包括的かつ学際的な本研究は、十分に有効な成果をもたらすと確信する。


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