III. 諸物価指数を用いた分析

 

    1. 卸売物価の品目別変動

    卸売物価のばあい、ごくおおつかみにいうと、こうした変動パターンは、以下に個別に検討するように、連邦下院選挙の実施という政治的要因を前提にして、財政緊縮から緩和へという政権前半から後半にかけての 「政策的循環」 (5)を主な要因として生じるものである。

    この点を各物価指数に即して分析するのが本稿の主要な課題である。まず、卸売物価指数の品目大分類である、一次品目( primary articles )とくに食糧、そして燃料・電力等、さらに製造業品目( manufactured articles )という三つの項目について、この間の動きをみてみる。なお本稿ではデータとしての特徴を正確に表現するために、前述の共同論文では一本につないで簡略化した二つの指数シリーズを重複部分も含め別個に図示してある。

      (a)食糧( WPIウエイト 17.4%。 図5 )については、生産の変動が1年遅れに物価に反映することは、Little と Joshi の分析でもしめされており(6)、生産の変動に自然条件の影響を考えるとすれば、政策変数の動きよりも自然条件が大きく働くようにみえる。しかし、実際には食料価格上昇率も91年を例外とすれば、選挙年には、低下するのが通例である。つまり、選挙年の前年には、食糧生産の比較的良好な年が位置するのである。単に自然条件のみでは説明しきれない人為的な要因の存在がうかがわれる。とりわけ、80年代では1983,1988という対前年生産増加率が飛びぬけて高い年がある。これは、後述のように次のような仕組みによってもたらされるものと考えられる。つまり、食糧生産は当年のインプット価格、とりわけ肥料価格の変化に大きく左右されるため、選挙の前年には、肥料価格を押さえ込むのが、政府の政策となっているのである。それによって選挙年の前年の食糧生産をひきあげ、選挙年の食糧価格上昇率を抑えることが可能になる。インド農業の全体としての価格反応性の高さを示す一例である。

      (b)燃料等の卸売価格指数( ウエイト 10.7% )の動きは 図6 となる。これも80年と91年を除けば選挙年には上昇率が特徴的に低い。管理価格として政策的に価格上昇を抑えているからである。このことは、WPIの分類上は一次品目に含まれてはいるが、管理価格の対象となっている原油・天然ガスの価格指数をみるとより明かである(図7)。1980年代には原油・天然ガス価格は燃料等の価格よりもいっそう低い水準に抑制されていることが示されている。

      (c)これに対して 図8 の製造業品目の場合、選挙年は決して低い上昇率を示していない。むしろやや高めである(7)。WPIに占める製造業品目のウエイトは57%であり、これのみが決定的な影響を及ぼすわけではないが、選挙年の価格水準を押し上げる要因になっている。選挙年には抑制局面にある一次品目や燃料等の価格と比較すると製造業品目の動きはきわめて対照的である。ただし、製造業品目のなかに入る肥料のみをとりだしてみると (図9) 、これは製油・天然ガスときわめてよく似た変動を示している。肥料は製造業品目に含まれて入るが、農業においては、投入財である。つまり、農業、工業を通じて、選挙年の前後に原材料(投入財)価格と製品価格の動きずれが生じていることを示唆しているのである。

      (d)このような観察にもとづいて、つぎに製造業品目と燃料等品目の価格上昇率の差をとりだしてみた (図10)。 きわめて特徴的なことは、選挙前になると製品価格が燃料等価格を規則的に上回るという事実である。つまり燃料等価格を補助金により低く抑え、人為的に製造業部門に利潤を発生させているのである。一般に、燃料・電力、あるいは製油、肥料価格は選挙めあてに抑制し(「庶民生活の防衛」)、結果的に一般的な物価上昇は製造業部門に利潤を発生させることになる。これは一般庶民と生産者の双方に対して向けられた選挙宣伝となる( 詳細は共同論文第III章参照 )。

      (e)しかし、そのような現象は工業部門だけで発生しているのではなく、農業部門でもみることができる。第一に、農業部門の成長率( 食糧生産の成長率に代替して農業部門のGDP成長率を用いる )と肥料価格とを対照させてみると (図11)、肥料価格の上昇が抑えられると、農業生産は伸び、肥料価格が引き上げられると、農業生産は下降するという逆相関関係がはっきりとみられる。肥料価格は 図9 にみたように、選挙の前年に低く抑えられるから生産増へと結びつき、結果的に次年度の選挙年において食糧品価格を低く維持する条件を与える。

      これにさらに食糧価格を農業部門における製品価格とみなし、食料価格と肥料価格の差を農業生産増加率と重ね合わせてみると (図12) 、逆相関関係はいっそう明瞭になる。

      このように、卸売価格指数を大品目別に比較検討するという簡単な操作からだけでも、物価の変動には、管理価格を通じる政策的な影響がかなり及んでいることが明らかになる。工業だけでなく、農業についても妥当するこうした政策的な物価操作は、選挙の実施を前提とした、補助金を手段とした人為的な利潤発生を保証するメカニズムとしてとらえることができるというのが、われわれの考えである。

     

    2. 食糧価格の動き

    しかし、工業、農業の生産者を意識した管理価格の操作のみでは、政策としての物価対策は完結しない。さらに消費者対策という側面からみると、物価の動きにはどのような政策者の意図を読み取ることができるだろうか。図13 は卸売食糧価格指数、と小売食糧物価指数( 工業労働者 − IW、農業労働者 − AL )とを重ねている。変動は強く重なりあっているが、卸売価格指数を基準としてみると、農業労働者の消費者価格指数のほうが大きく揺れている。

    これは都市を中心とする公共供給制度の影響とみることができるが、これをさらに加工して、卸売食糧価格上昇率から10%を減じたものと、農村と都市の小売り食糧価格上昇率の差である AL-IW とを重ね合わせてみる (図14)。 この動きもきわめて近似している。つまり近似的ではあるが、WPI-10 = AL-IW という関係が食糧価格について成立しているのである。ただ、卸売物価の高水準の時期にもかかわらず、IWがALをうわまわる年も例外的に観察される。図14b は食糧のうち穀物( foodgrains )のみの卸売価格によって 図14 を置き換えたものであり、はるかに連動性が示されるようになる。これは、農業労働者と比較して工業労働者において食糧バスケットにより高い比率をしめる 「果実および野菜類」 の価格上昇が顕著な年が存在するためである (図15)。 主食の穀物価格が抑制されているにもかかわらず、こうした副食類の価格上昇が80年代顕著になってきたのである(8)

    すなわち、(a)食糧物価は農村において、より市場変動にさらされている。(b)とくに卸売食糧価格指数が10%を超えるとき、農業労働者の食糧物価は工業労働者の食糧価格より大きく高騰する。(c)つまり卸売価格指数の <10%政治危機論> は、食糧価格をつうじて、このような形で消費者物価と連動している。(d)その意味では卸売価格指数を利用して筆者が主張した10%危機論のメカニズムは、消費者物価指数との関係を明らかにすることにより、農工間関係までも視野にいれたダイナッミックな内容をもつことが明らかにされたのである。

    また、さらに重要なことは、農村においては食糧価格は消費者物価に影響を与えるだけではない。それは同時に製品価格でもあるという点である。したがって、先ほどの製品価格と原材料価格とのズレの問題とあわせれば、政権後半期における物価上昇局面では、農村において生産者に有利な、消費者( 農業労働者 )に不利な( 賃金が食糧価格上昇率に追いつかないとして )状況がつくりだされているわけであり (図12)、 こうした状況が選挙年に至るまで放置されることは政権批判の雰囲気を醸成することになる。おそらく、選挙年における物価の若干の下降局面は、生産者に有利な条件下での農業生産の伸びが作り出したものであり、1980年代には、幸いなことに、こうした 「政治計算」 を覆すようなおおきな自然災害は発生しなかった。しかし、その代償は、加重な補助金支出による絶えざる物価上昇圧力であり、それを噴出させないためにも、さらに補助金支出を強いられるという循環にインド財政は陥っているのであるが、その詳細は共同論文に譲りたい。