まず修正対象を確定しよう。『中国工業調査報告』の統計表は中冊と下冊に収められているが、修正すべき対象はそのどちらあるいは両者なのか。3節で紹介した『中国工業調査報告』の概要から判断すれば、中冊の統計数字は極めて信頼性が高いとの結論を下しても、それに異論を差し挟む余地はほとんどないだろう。また1940年代半ばに実施された巫宝三等による中国国民所得の推計作業にも、中冊が基本資料として利用されている事実もわれわれの判断の補強に役立つ。逆に下冊は、当初の調査計画の一部が順調に進まなかったために、急遽計画が変更されて編制されたものであるから、調査の質において中冊に劣ることは明らかである。したがって以下の修正作業ではその対象を下冊に絞る。
それでは下冊の、工場数、職工数、生産額どの数字に問題があるのだろうか。一般的言えば、一時点に関するストック概念の統計数字よりも、ある期間を通じた記帳を必要とするフロー概念の統計数字の方が計測が難しい。これは『中国工業調査報告』についても該当する。すなわち、「支那の比較的小規模の工場は、金銭と直接関係のある事項の外には何等記録に残していない。・・実際の生産量が幾何かという点に至っては余り記録していない」ようであった28。したがって、数字の信頼性については、工場数が最も高く逆に生産額は最も低いだろう。それゆえ下冊の修正に際しては、疑問がある箇所については信頼性の低い生産額を主たる修正対象に選ぶ。
次に以下の前提条件を設定する。
@)中冊に記録されている工場は、下冊にも採録されているはずである。
A)工場を職工規模30人以上のグループ(Aグループ)と30人未満のグループ(Bグループ)に分ける。各グループ内の工場では、1工場当たり職工数および職工1人当たり生産額は同一である。またAグループには機械の使用の有無による職工1人当たり生産額への影響は存在しない。
B)同一地域・産業内ではグループ間の取引関係は存在しない。
C)同一地域・産業では、Aグループの方が Bグループよりも職工1人当たり生産額が高い。
作業手順を記号を使って説明しよう。中冊第i産業第j地域(市・省)の数字を
、下冊のそれを
としよう(X=F、L、Y)。まず中冊の結果はすべてAグループに所属させる
。次に下冊の工場数が中冊の工場数と等しいかあるいは少ない時は
、下冊の数字はすべて中冊に置き換えてAグループに含めた
29。表6の青島市・湖南省・河北省、表7の青島市・江蘇省などの修正方法がこれである。
下冊の工場数が中冊を上回るとき
30、下冊から中冊を控除して計算した1工場当たり職工数が30人以上であれば
、それらもAグループに含めた
。こうすれば、中冊の調査漏れあるいは調査時に操業停止にあったと思われる、表5の山東省のマッチ工場や表7の南京市・四川省の工場のような事例が発生しても、それらのデータを利用できる。
複雑なのは下冊から中冊を控除した工場規模が、30人未満の時である
。この時は計算された職工1人当たり生産額
と中冊(職工30人以上規模工場)のそれ
との相対関係に応じて二つに分けられる。前者が後者より小さければ
、すなわち規模に関する生産性の逆転現象が見られなければ、下冊マイナス中冊の結果をBグループに分類する
。表6の広州市、表7の河北省、表8の湖南省などである。逆に職工規模30人未満規模の生産性が中冊よりも大きければ
、下冊の生産額を過大とみなし修正する31。表8を使って具体的に説明しよう。修正対象となるのは上海市、広州市、湖北省の30人未満規模(下冊−中冊)の職工1人当たり生産額で、規模に関する生産性の逆転現象が存在しない地域(湖南省、四川省、河北省、河南省)の30人未満工場の生産性と30人以上規模(中冊)の生産性の比率の平均値を、上海市、広州市、湖北省の中冊の生産性にそれぞれ乗じて生産性をまず修正し、次に修正済生産性に各地の職工数を乗じて生産額を補正した。なお一部の産業については、すべての地域で規模に関する生産性の逆転現象が存在しているので、『中国工業調査報告』の数字だけを使って30人未満規模工場の生産額を修正することはできない。このような産業に対しては、2節で紹介した『華北工場統計』あるいは『北支工場統計』などの類似産業における30人未満と30人以上工場の職工1人当たり生産額の比率を適用した。
最後に表7の浙江省のように下冊から中冊を控除すると職工数がマイナスの値をとる場合は、他の地域の1工場当たり職工数の平均値を使って職工数を修正し、その後は前段の手続きに従った。
以上のような方法による30人未満工場の修正生産額と原数値を表9に示す。最も縮小率が大きかったのは酸・アルカリ製造業で、修正値の原数値に対する割合は7.3%である。逆に修正値の方が原数値よりも増加した産業もある。製粉業、染色精練業などである。総計値をみると修正値は原数値の53%で、30人未満工場の生産額は修正の結果およそ半分に縮小した。このことは下冊の生産額をほぼ原数値通り使って工業生産額を推計した Liu and Yeh 推計(3節参照)が相当過大であることを示唆している。
28.劉(1937)上冊第1編8頁(大塚(1942)11頁)。
29.このようなケースが発生した時の下冊の1工場当たり職工数は全て30人以上であった。
30.中冊の工場がゼロ
のケースも含む。
31.このような調査では、課税を免れるため工場は生産額を過小に報告する傾向が強いから、われわれが『中国工業調査報告』下冊の生産額を過大評価とみなすことに対し疑問を抱く人もでてくるだろう。しかし同書上冊には、「調査の時国産品奨励という言葉に託して説かんとすれば工場側はその生産量と製造能力を誇張し、これによって商売上の得意先を吸引せんとする傾向がある。」(劉(1937)上冊第1編8頁(大塚(1942)11頁)。と記載されている。下冊の生産額にはこのようなバイアスが強かったのではないだろうか。