パキスタンの国民所得統計

--農業部門を中心に--


黒崎 卓

一橋大学 経済研究所




    はじめに

    1.パキスタンの国民所得統計概観

    2.新手法・旧手法シリーズの部門別比較

    3.農業部門付加価値での新・旧シリーズ比較

    結び・参考文献


要  約

独立50年を迎えたパキスタン経済を分析するための基本統計が国民所得統計である。旧東パキスタンを含まない現パキスタン地域に対応する国民所得統計には、1987/88年度まで用いられた旧手法によるシリーズと、1988/89年度に採用され1980/81年度以降のデータが利用可能な新手法によるシリーズとがある。両者はともに国民経済計算体系に基づいているが、技術的な推計方法の差違のために、両者を接続して、より長期の時系列として用いるには整合性の問題が生じる。

この問題を農業部門の付加価値について、より詳細に検討した。新手法と旧手法の間には、農業部門内での中間生産物の評価方法について、市場の浸透に関連した違いがある。すなわち、必ずしも市場で取引されるとは限らない畜産部門の産出額(畜役)と投入財(飼料など)まで計上しているのが新手法で、計上していないのが旧手法である。ただし、利用可能なデータを用いてこの概念上の差違を修正した系列を試算したところ、新旧両手法の間の非連続性はほとんど改善されず、むしろ、基礎データベースの推計方法や基準年次の違いによる差違のほうが重要であることが示唆された。また、比較的信頼度の高い基礎データに基づく主要7作物の生産量統計から実質産出額の長期時系列を試算したところ、この試算値が農業(耕種)部門付加価値の政府推計値をかなりよく近似することが明らかになった。新旧二つのシリーズを用いた統計分析を行う場合、両手法間の非連続性に十分な注意を払い、生産量統計の時系列と合わせて分析を行う必要がある。





 

はじめに

今年1997年は、南アジアの西端に位置するパキスタンが独立してちょうど50年の節目の年にあたる。その間のこの国の経済パフォーマンスを分析するための基本統計が国民所得統計で、1950年頃から作成されている。とはいえ、パキスタン経済半世紀の分析をするための時系列として既存の国民所得統計を使うにあたっては、現在のパキスタンにあたる地域(「現パキスタン地域」と以下では呼ぶ)が大きな国境変更を経験していること、1988/89年度1)以降推計方法が変更され、旧手法によるシリーズと新手法によるシリーズとがスムーズにつながっていないことなどを考慮する必要がある。

このうち、第一の国境変更の問題については黒崎(1997)で簡単に議論しているため、本稿では議論に必要な点を抜粋して繰り返すにとどめ、第二の問題、すなわち新・旧両手法による二つの系列間の連続性、整合性を吟味することを課題とする。旧東パキスタンを含まない現パキスタン地域に対応する国民所得統計で、推計中間値などの詳細もある程度分かる時系列は、旧手法で1949/50年度から1987/88年度まで、新手法で1980/81年度以降が利用可能である。両者ともに、部門別の付加価値の和として国内総生産(GDP)が推計され、支出勘定は民間消費支出を剰余項としてバランスさせたものであることから、本稿では支出勘定の吟味は行わず、生産勘定、特に農業部門の統計を対象とする。支出勘定における政府消費支出と粗固定資本形成系列の統計吟味は別稿に期したい。

以下、第1節でパキスタンの国民所得統計について概観する。第2節では新・旧両手法による二つの系列を比較し、推計方法の詳細が異なるために、両者を接続して、より長期な時系列として用いるには整合性の問題が生じることを示す。第3節でこの問題を、より詳細に農業部門での付加価値について検討する。農業部門を取り上げるのは、この部門がパキスタン経済の中核をなしていること、作物ごとの作付面積や生産量の時系列が詳細に得られること、などの理由からである。最終節で本稿のまとめと統計利用上の留意点を考察する。





 

1.パキスタンの国民所得統計概観

パキスタンは1947年8月にインドと分離してイギリスから独立した。当初のパキスタンは、西パキスタンと東パキスタン(現バングラデシュ)の東西二翼から構成された(以下、これを「旧パキスタン」と表記する)。47年の分離独立で西パキスタンに帰属したのは、北西辺境州(North-West Frontier Province)、スィンド(Sind)州、パンジャーブ(Punjab)州西部などの直轄州地域とバハーワルプール(Bahawalpur)などの藩王国地域であったが、これらの地域の経済は現インド地域の周辺としての性格が強く、国民経済としてのまとまりを全く持っていなかった。そのため、現パキスタン地域に関する国民所得の推計を47年以前に遡る試みは、筆者が知る限り行われていない。

旧パキスタンの国民所得は1948/49年度に関して初めて試算され、その後、1955/56年度に開始される五カ年計画策定を通じて推計方法が改善された2)。初期の国民所得推計は、欧米の専門家チームを招き、国際連合による標準規格である1953年SNA(System of National Accounts)にできるだけ準拠した方式で行われたが、推計に必要な生産・支出統計が絶対的に不足していたため、恣意的な想定に多く頼らざるを得なかった。

1971年に東パキスタンが独立したことで、パキスタン経済は根本的に再編された。旧パキスタンの経済発展下で拡大した東西両翼間の経済格差は71年3月に東パキスタンの内戦に発展し、翌72年1月にバングラデシュ政府が樹立されて東西両翼体制に終止符が打たれた。

西翼だけでの再出発となった新生パキスタンでは、経済統計体系も再編された。ちょうどこの時期は国際連合による新標準規格である1968年SNAへの移行期にあたっていたことから、この規格に基づいた現パキスタン地域の国民所得統計が旧パキスタン時代に遡って推計された。71年以前にも遡及して推計されたのは、47年の分離独立とは違い、それぞれが経済的まとまりを持っていた二つの地域経済が公式に分離されたのがバングラデシュ独立であったことからして自然な流れであった。農業、鉱工業などの生産統計や労働・人口統計などは旧パキスタン時代から東西両翼別の数字が公表されていたため、国民所得を遡って東西に分けることはそれほど困難なことではなかったと思われる3)。なお、東パキスタンの自治運動を煽ることを怖れた政治的理由から、旧パキスタン時代には東西パキスタン別の地域国民所得統計の公表には特別の配慮がなされ、政府の経済白書や国民所得統計書には掲載されていない4)。国民所得統計に関する委員会報告や五カ年計画の基礎資料などに地域国民所得の推計値が散見される5)

その後の大きな変換点は1988/89年度の新手法への移行である。新手法は旧手法同様に1968年SNAに準拠しているが、数年間の技術的な検討を行ったカーズィー(Kazi)国民所得委員会の報告に沿って、基礎データベースの拡張、推計手法の改善などがなされている。新手法に基づくデータの詳細は、その基準年次である1980/81年度にまで溯って作成・公表されている。





 

1)パキスタンの会計年度は7月から翌年の6月である。例えば本稿での「1988/89年度」(現地での表記では"1988-89")は、1988年7月から89年6月までの会計年度を指し、省略する場合には1988年度と呼ばれることが多い。ただし、前年10月から9月までのアメリカの会計年度との重なりの都合上、アメリカの影響の強い機関の報告書では、同じ88年7月から89年6月までの年度を1989年度と呼ぶ傾向があるから、資料によりどの年度概念が使われているかに十分な注意を払う必要がある。





 

2)このあたりの事情と、初期の推計結果の報告書については、Kamanev (1985, pp.3-16)を参照のこと。





 

3)東西パキスタン別の統計が集められていなかったのが、パキスタン航空、銀行・保険業、連邦政府、海外からの純要素移転の四部門の付加価値である。これらについては東西合計の統計しか存在しなかったため、1970/71年度を基準にした定率による東西分割が行われた(GOP, Economic Survey 1988-89, Appendix p.29)。





 

4)黒崎(1997, p.9)での記述「旧パキスタン時代には東西パキスタン別の地域国民所得統計は作成されていない」というのは、若干ミスリーディングであったことを断っておく。まったく作成されていなかったのではなく、国民所得統計の一部として定期的に作成・公刊されてはいなかったという意味である。





 

5)推計値の例としては、Bose (1983, p.1023), Papanek (1967, pp.316-319)などを参照のこと。