米国CIAのソ連長期GNP推計


栖 原  学

日本大学 経済学部



    はじめに

    第T章方法論

      1.CIAの推計方法
      2.論争

    第U章 現行価格表示の1970年GNP

      1.概説
      2.家計部門勘定
      3.公共部門勘定
      4.最終需要別GNP
      5.所得種類別GNP
      6.発生部門別GNP

    第V章要素費用価格表示の1970年GNP

      1.概説
      2.現行価格GNPデータのIO形式への変換
      3.現行価格データの生産者価格への変換
      4.生産者価格による1970年IO表の推計
      5.生産者価格GNPの要素費用価格GNPへの変換

    第W章 GNP構成要素の成長指数

      1.概説
      2.最終需要
      3.発生部門
      4.総括

    第X章 実質GNP

      1.概説
      2.推計結果

    おわりに

    参考文献










 

    はじめに

      ソ連政府は,自国の経済に関する統計を定期的に公表していたが,それらはいくつかの点で問題を含むものであった。第一に,ソ連公式統計で用いられる国民経済計算の枠組みは,西側で通常使われるSNA方式ではなく,多くのサービス部門で生産される付加価値を含まない,いわゆるNMP(Net Material Product)方式であった。したがってそれは,たとえば西側諸国との比較の際に不便であった。第二に,このNMP方式における諸概念とそれらの計算方法とが,必ずしも明確でなかった。さらに第三には,おそらくこれが最大の問題であろうが,公式統計の数字の信頼性自体に問題があり,西側からしばしば疑念が差し挟まれたのである。

      このため西側では,早くも1930年代末から,ソ連経済に関する独自の推計の試みが始められた。たとえば,C.ClarkによるA Critique of Russian Statisticsは,既に1939年に出版されている(Clark,1939)。さらに第二次大戦後になると,一層多くの経済学者が,ソ連経済の実態を探り,また社会主義経済の機能と成果を知ろうとして,ソ連経済統計の問題に取り組んだ。特に1950年代におけるソ連の目覚ましい経済成長は,彼らに大きな刺激を与えた。また,米ソが相対立する陣営の盟主として対立する冷戦体制が確立されてからは,純学問的な動機のほかに,ソ連の生産能力,とりわけ軍事能力を知ろうとすることも,研究の重要な動機の一つとなったといえよう。こうして,N.Jasny,A.Bergson,R.Moorsteen,N.Kaplan,A.S.Becker等の多くの優れた研究が生まれていった。

      しかし1970年代に入って,アメリカ合衆国中央情報局(以下,CIAと略)がソ連経済に関する独自の推計を発表し始めると,ロシアの経済学者G.Khaninの言葉によれば「他の研究者は実質的に研究を停止した」(Khanin,1993,p.94)。というのも,CIAによるソ連の長期経済推計は,方法論の明確さ,集められたデータの豊富さ,結論の体系性のどれをとっても,従来の,個人による努力を凌駕する能力を示していたからであった。後に詳しく見るように,たしかにこの研究は米国流実証主義の,一つの極致を示したといえよう。

      CIAは,既に1950年代の初めから,R.Greensladeの指導のもとにソ連の経済成長の組織的な研究を開始し,また70年代になってからは特にGNPの長期推計を試み始めたという。しかしながら,折りにふれてそれらの研究がほのめかされることはあったとしても,しばらくの間はまとまったものとして公表されなかった。この分野に関するはじめての成果として,USSR: Gross National Products Accounts,1970(CIA,1975)が出版されたのは,1975年12月のことであった。この文献は,CIAによる1970年におけるソ連のGNPの推計結果と推計方法の詳細な報告である。この報告書に引き続き,多くの報告書が公表されるようになった。中でもとりわけ重要なのは,1982年に発表された,1970年価格による1950−1980年に関するソ連経済の長期実質GNPの推計報告であろう(US Congress JEC,1982,以下,US Congress JECを,JECと略記)。この推計結果は,ソ連の経済実態に関する最も信頼できる推計として,西側の数多くの経済学者によって利用されることとなった。特にこの推計が便利であったのは,年々の実質GNPが,最終需要の側面と,付加価値発生部門(つまり生産部門)の側面の両面から明らかにされたことであろう。先に引用したKhaninの,他の研究者に研究をあきらめさせるほどの威力を示したとの言及は,主としてこの推計についての彼の所感であろう。さらにこの82年推計の姉妹編として,1990年には,1982年価格による1950−87年に関する実質GNP推計結果(JEC,1990)が公表されている。

      このような,ソ連の経済統計という舞台におけるCIA推計の独裁的な君臨という事態に大きな変化が生じたのは,1980年代後半,つまり,ソ連においてペレストロイカとグラスノスチが開始されてからであった。従来,ソ連国内において刑事罰に値すると考えられた公式統計に対するチャレンジが公然と行われるようになり,多くの独自推計があらわれるようになった。さらにソ連と西側の経済学者の交流が活発化し,ソ連の活況が西側にも刺激を与え始めた。この結果,比較的ソ連公式統計に依拠する割合の大きいと考えられたCIAの推計も,批判の対象とされるようになり,それに対するCIAの側からの反論も行われるなどして,議論はさらに活性化した。

      ソ連が崩壊してしまった現在,ソ連経済の軌跡を統計の側面から明らかにしようとするこれまでの動機の多くが失われてしまった。社会主義経済は再起不能の烙印を押され,ソ連の後継国家であるロシア連邦に,かつての政治的・軍事的な力を取り戻す日が近いとは考えられない。しかしそれでも,まず第一に社会主義ソ連を総括するために,ソ連経済の足どりを明確にしておくことは必要なことであろう。統計の側面に限っても,ソ連経済の長期推計には,非市場経済における価格ウェイトの問題というやや特殊なテーマから,いわゆる指数問題,すなわち指数の型の選択や,数量指数における品質向上の捕捉といった経済統計一般に通じる問題まで,多くの論ずべき点が含まれている。当初本稿は,CIAによるソ連長期GNP推計を,その具体的な数字よりは方法論に重点を置いて紹介し,さらにはそれをめぐる論争を整理しようとする意図で書き始められた。しかし,その前半部分だけでかなりの量となってしまったため,それだけで一区切りつけることとし,後半の,CIA統計をめぐる論争とその評価は次稿に譲ることとした。つまり本稿の課題は,CIAの長期推計を,主として方法論の側面から紹介することである。これについては,既に1982年推計の公表直後に,望月喜市氏による簡潔な紹介が行われているが(望月,1984,pp.355-384),本稿には,CIA推計をCOEプロジェクト「アジアの長期経済統計」における実際の推計作業に役立てようとの意図があり,したがって本稿は氏の紹介よりだいぶ詳しく,また分量も多くなっている。