「タイの国民所得統計」

新谷正彦(西南学院大)

 司会 次のセッションに入りたいと思います。「タイの国民所得統計」について、西南学院大の新谷さんにお願いいたします。

 新谷(西南学院大) 「タイの国民所得統計」ということで報告させていただきます。 私がタイに関わりましたのは、ひょんなことで、研究休暇をどこで過ごすかということになり、全然タイについての予備知識はなかったのですが、私の友人に開発経済学をやっている人がありまして、タイがいいよというような話で、1992年から93年にかけて1年間、カセサート大学で過ごしました。そこで何をやるかということも友人たちは教えてくれずに、「1年間何ができるかじっくり考えてこい」ということでカセサート大学の経済学部に籍を置かせていただき、いろいろ見せていただきました。帰国しましたら、「おまえ、遊んでたんだろう」と揶揄されました。皆さんタイへ行くと黒くなると思っているらしいのですが、そうでもなかったので、「意外と黒くなってないな」「いや、勉強してきたんだよ」ということで、一応その証拠になるレポートを書きました。

 今度、尾高所長から、「こういう計画があるので、加わらないか。どこをやる?」「もちろん、タイをやらしてください」というようなことで、タイを分担することになりました。私は農業経済の出身ですので、農業の投入・産出系列を分担いたします。それから、1年間タイに滞在した過程で、とにかく向こうでは長期に見られる国民所得統計がないものですから、接続できないかというようなことをやりました。ところが、すでに滞在が半分ぐらいたったところで、京大の東南研にいる池本さんが同じようなことをやっていたことがわかりました。最終的に新しい系列を2つ加えて池本さんの系列の19501960年を利用させていただきましたが、私は彼の分析期間に7年ぐらいプラスしたようなことをやりました。そういうこともありまして、今回、タイの国民所得統計についても分担することになりました。それがいきさつであります。

 タイでどういう国民所得統計と言われる統計があるかということです。資料の「はじめに」のところに書いてありますように、国民所得推計値の所在は、時期区分と推計者とを書きますと、次のようになります。

    (1) 18501950年      S. Manarungsan (1989)

    (2) 1838/39,19461950年  J.S. Gould   (1952)

    (3) 19501960年      NEDB

    (4) 19601970年      NESDB

    (5) 19701980年      NESDB

    (6) 19801993年      NESDB

 実際には、1950年以降、タイ政府発表の国民所得統計があります。期間の右側にNESDBと書いてありますが、それは National Economic and Social Developement Boardの呼称であります。(3)期は、NEDB(National Economic Developement Board)と呼ばれた時代なのですが、それも1959年に創設されましたから、それ以前は統計局の一部で推計がされていました。そもそも一番最初に推計されたというのは(2)期のものなのです。それは外国人が諮問を受けて推計したというような状況です。そして、(1)期のものは、驚くなかれ、18571950年までのGDPの推計値が存在しています。それを順を追ってご紹介したいと思います。

 まず、1950年以降の国民所得統計がどんな形であるかというわけです。いま申し上げましたように、政府の推計値が(3)期の1950年からあることになっています。(1)期の推計も1950年をベースに推計をやっています。しかし私は、1950年の公刊物を一生懸命探したのですが、見つかりません。正式な出版物が1960年版、以降、61年、62年、63年と薄っぺらなのがありまして、1964年になりますと非常に分厚いのが出版され、そして65年にまた分厚いのができるわけです。そんな形なのですが、いろいろ文献をめくっていると、195059年の各年の報告書については未公刊だということが推測されます。また、1960年版が最初だと書いてある文献もあるし、よくわからないのです。私がいろいろ探しました結果、いまのところ、最初の印刷物としてあるのが1960年版です。その中身は生産アプローチで、名目値のみが書いてあります。1960年版には1951年から60年までの推計値があります。GNPまで推計されるわけですが、資本減耗は、資本ストックの数値がないものですから、付加価値の1割ぐらいだろうというような、非常に大ざっぱな推計がなされています。

 1964年版になりますと、195163年の期間の生産アプローチ、および、195763年の期間の支出アプローチからの推計値および、資本形成の推計値も195263年の期間の値が出てくるというふうな形になってきたわけです。そして、初めて1956年の固定価格の系列が姿をあらわしてきました。ですから、この辺ぐらいからちゃんとした推計値ができてくるのかなというふうに考えております。

 1965年版も、64年版と同じなのですが、米の生産量を修正してやり直したといったことが書かれてあります。

 それから同様の形態の出版物がしばらく続くのですが、1969年版になりますと、ここで初めて生産、支出、分配の3つの所得体系から推計が行われたというわけです。ある文献には、新しい推計方法によって推計されたというふうに書かれています。この体系がその後ずっと続くのですが、1987年版になりまして、推計方法が変化しました。この方法による系列をニュー・シリーズと向こうの人は呼んでいます。固定価格のベースを1972年に変更して、1970年まで遡及してあります。この系列では、午前中に石渡先生から話がありました、国連のSNAの1968年の体系に移行しました。もう一つの変更は1991年版で、1988年へ固定価格のベースを変えて、また1980年まで遡及した推計値が発表されました。これをリベース・シリーズと呼んでいます。国民所得を推計している支出部門の人を紹介してもらってヒアリングをやりました。彼は1970年以降が1968年の体系だと言っていますけれども、発表されている形から見る限りでは、以前の日本の国民所得統計の体系、つまり 1953年のSNAの体系に近いところでやっているのではないかというふうに類推しています。現在のところでもそういう状況なのです。そして、今の体系が今年で終わり、新しい体系がその次の年からまた始まるのだと担当者は言っています。ただ、推計については、基礎データがいろいろ欠けているので、非常に苦労しているという話をいっぱい聞かされました。私にとってはプラスになることはほとんどありませんでした。

 資料に書いてありますように、1975年、80年、85年、90年の産業連関表が正式に推計されています。したがって、上で区切りました1970年以降の国民所得推計の数値については、精度の上でかなりよくなっていると考えられます。そのことについては、1950年代の推計において、農業推計が過小推計だと言われたのですが、その批判が入れられ、推計値が改訂されたと考えられます。この辺はきちっと押さえてないません。1975年の産業連関表の推計は、日本のアジ研とタイのNESDBとのジョイントでやったのですが、そのときの日本のスタッフが、タイの日本人商工会議所の会報にそのいきさつを書いています。それを読みますと、農業のGDPが過大推計になっているとのことでした。だからそれ以降また修正されて低くなったことが類推されます。

 産業連関表ができて精度が上がったというのは、どこの国でも同じですので、1970年以降の数字については、悪くない数字があがっていると考えられます。しかし、それ以前についてはもう一度基本データを、農業あるいは支出体系のところからもっと整備して、再チェックする必要があるのではないかというのが私のいまの感想です。それはまた後で申し上げたいと思います。

 現在の国民所得というのは以上のような形で発表されています。それから、先ほど尾高所長はマニュアルの話をされたのですけれども、その中で、国民所得の推計についての説明のところが重要だということをメモの中に書いておられます。タイの初めの国民所得統計の1960年版より63年版までにおいて、推計方法について、何も書いてないのです。1964年版から分厚くなって、タイ語と英語で説明がなされて、推計方法がわかるというのが出版されます。ところが、1970年版以降になってきますと、今度はタイ語だけになってしまって、英語の説明がなくなってしまいます。それから、1980年代後半になりますと、金がなくなったのか、タイ語の説明もなくなりまして、統計だけが出てきます。それもちゃんとした印刷物ではなくて、謄写版刷りみたいな粗っぽいのが出てくるというふうな形になってしまいます。精度が上がってきたからそういうふうになったのかよくわからないので、「どうして英語のバージョンがないんですか」とNESDBで聞いたら、金がないのだというような意味のことを担当者は言っておられました。そのような状況ですので、推計過程の背景をちゃんと押さえるというのは至難のわざではないかというふうな感じであります。それが現在のタイの国民所得統計について、短期間の観察結果なのです。

 それから、1950年以前については、資料の次のページの「主要文献」のトップに書いた Gouldという人が推計したものがあります。ただ、彼の推計は過大推計だというのがいろいろな文献に挙がっています。その点はその次の18571950年の推計者の、ソンポップ・マナルンサン(Manarungsan)という人の本に書いてありまして、だから自分の推計も意味があるのだというような形になっています。資料の1枚目の右側の表が彼の推計したGDPの数値です。生産アプローチにのっとって、産業別にGDPが推計されているという状況です。

 彼の推計値は、‘ Economic Developement of Thailand,1950-1950’(1983)に載っているのですが、彼はGDP推計だけが目的ではなくて、人口がどのように変化したとか、農業がどうだとか、貿易がどうだとか、そういう話がありまして、最後に付論のところでGDPの推計をやっているというような次第です。したがってGDPの推計値を取り上げて、彼の作業の中心的な仕事として、それをやり玉に上げるというのは的外れになるかもわかりません。一応、彼の研究成果の副産物としてGDPの推計が行われているわけです。彼の推計作業の中で使われるいろいろな数字が、逆にまた私の課題であるとすれば、非常に参考になるということで、ここで取り上げたわけです。

 彼はどのような推計方法をやっているかと申しますと、資料の1枚目の左下のところに推計式を簡単に書いてあります。すなわち、右側のGDPの推計結果の表の中身の項目を一応そこへ挙げて、どんなふうに推計したかを書いてあります。戦前のタイにおいては、農業が中心的な産業ですから、特にその中でも米がどうであったかといったようなことが問題になります。資料の3枚目の表2.1を見ていただきたいと思います。そこに米のバランスシートが推計されているわけですが、彼はそういうものをつくり上げたわけです。それをつくるために、まず生産量をどうして推計したか1枚目の左下に書いてあります。人口と1人当たりの米の消費量との積に輸出を加算しました。それに種子だとか年間の損失分を比率から計算して加えて、総生産量を推計するということになります。

 では、その人口はどこから持ってきたかということです。人口センサスは1911年、19年、29年というふうにあるのですが、彼はそれを使わないで、資料の2枚目の表1.1に書いてありますところの、 Skinnerという人が推計した数値を使っているわけです。これは「主要文献」の一番最後に挙がっています。 Skinnerの数値のない年は複利の成長率で補間して、その間をつないだといったような数値になっております。これを使って1950年代の1人当たりの米の消費量を掛けて米の消費量を推計し、これを生産量としたわけです。では、彼の推計値はいいか悪いかといった検討は資料の3枚目の右上の表2.4で行われています。そこで「my estimate 」と書いてあるのが彼の推計値ですが、それでは中庸な数字が出ているわけです。したがって、彼の推計値は悪くないと結論しております。

 あと、輸出統計についてはいろいろな人が研究して、推計値があります。米、ゴム、チーク材、スズ、この4つの産物については輸出統計があります。これらが利用できる実際の数値です。それ以外の部門ののGDPは、資料に書いてありますように、他の農産物のGDPは人口に比例するとして推計します。その出発点は1950年の値です。そして人口比で以前のGDPを推計するわけです。畜産のGDPについては、農産物の産出に比例させて推計します。水産のGDPについては人口に比例して推計します。その他林産物についても人口に比例して推計します。その下に書いてあります製造業、建設、電気・水道、運輸・通信、卸・小売り、といったところのGDPは農業の生産物に比例して推計します。それから、サービス部門に相当するところのGDPは人口に比例して推計します。こういう大胆な仮定のもとに推計をしたというのが18571950年の期間のGDPの数値が存在する根拠であるわけです。

 以上が実際に推計値があったり、政府が発表したりしている国民所得推計の所在なのです。では、あとGDPおよび整備の見通しとしてどんな可能性があるかというわけです。資料の2枚目に統計の所在についてのメモだけ書いてみました。特に戦前においては農業がベースになりますので、農業についてのいろいろなデータが欲しいわけです。資料のSYBというのは『統計年鑑』の略語で、19051906年ぐらいのところから、米の収量と収穫面積があります。ところが、他の農産物になりますと、SYBにおいて1920年代にならないとあらわれてこないという状況であります。それから、人口センサスは、戦前について、1911年から存在していますが、まだ全然チェックしておりません。なお、人口については別の人が担当することになっているわけですが、人口の推計値は一応存在しています。家計調査は、戦前に一時期のものがあります。これは生産についても同時に調査をやっているのですが、193031年と193435年とにタイ全域で40か村についての農村調査がおこなわれ、生産と消費についての調査報告があります。これは先日タイに行ってきたときに見つけてコピーをとってきたのですが、そこでは農家経済調査に相当するようなものがなされております。これをもう少し分析してここへ使えないかというふうに考えております。 それから、長期にデータがあるのは、鉄道の収入とか経費とか車両にどれだけ投資したとか、そういうのがかなり長い期間について把握できます。それから、政府について歳入・歳出の数字もかなり使えます。そういうのがいまのところデータの存在する状況なのです。

 先ほどの Manarungsanが推計に使ったりあるいは引用した中で、資料の主要文献のところに Feenyというのがありますが、彼は主に米について分析をやっています。彼は、単収についていろいろな文献を丹念に調べて、1880年代から飛び飛びだけれども、この文献にこんな単収があった、この文献に単収があったというふうな系列をつくったり、バンコクでの未熟練労働者者の賃金を、これもいろいろな文献にあらわれたのを克明にピックアップして時系列に並べるとかしまして、タイ経済の発展を分析しております。しかし、いま申し上げたように、空白があまりにも多過ぎるデータということになります。

 それから、1950年以降については、先ほど触れましたように、とにかく195060年の期間は、産出あるいは消費のデータを、これもないのですが、もう一度整備して、最終的な系列という形で積み上げて、それから官庁の報告系列と一致するかどうかというふうにチェックする必要があるのではないかと考えております。戦後のほうが戦前に比べて可能性としては非常に高いと思われます。ただ、戦前についてはいま申し上げたような状況になると思います。

 先ほどの Manarungsanの推計で、1950年代の1人当たりの米の消費量から戦前に遡って使用しているわけですが、その使っている数字を検討する必要があります。というのは、1980年代に京大の東南研の皆さんが、長期間、東北地方のコンケンの町の中心部から車で40分ぐらい行ったところにドンデン村というのがあるのですが、そこで数年間かけて克明な調査をやったのです。そこでは、米を1日にどれだけ炊いて、家族がどれだけであったというような調査もあります。ここは東北地方の一農村なのですが、水害がやってきて、干ばつがやってきて、それからまた水害が来て、やっと平年作が来て、というように3年に1回ぐらいやっとちゃんと収穫があるようなところの自給自足をやっていたような村なのです。だから、それは特殊なのかもわからないけれども、いま申し上げたように、コンケンから40分ぐらいというのですから、1つの典型的な東北地方の農村と考えていいと思います。そういうところの米の単収や1人当たり米の消費量から見ると、 Manarungsanが使った数字はまだまだ高い数値ではないかなと思われます。

 たまたま私がドンデン村を訪れる機会がありまして、その調査の結果にも目に触れる機会があったからなのですが、戦後の農村調査はたくさんありますので、そういうのから戦前を想像できるようなものが出てくる可能性もあるのではないかというふうなアイデアもあるわけです。人口だけではなく長期のできるだけ遡れる数字と、現在の農村調査の数値を結びつければ、何か類推できるようなものがあるのではないかというふうなことを考えております。

 私の報告で、いかにタイはデータがないかの報告となり、ほかの国の推計をされる方々にとってはまだまだたくさんのデータがあり、また自信がついたのではないかと思われます。私の今日の報告のメリットはそんなところにあるのではないでしょうか。ちょっと寂しいのですが、以上で終わらせていただきます。アイデアがありましたらよろしくお願いいたします。

 司会 どうもありがとうございました。

 それでは、松田先生にコメントをお願いいたします。

 松田(一橋大学) プロジェクトの幹事会をやってらっしゃる斎藤先生から、2〜3日前に「新谷先生のタイの国民所得のコメントをせい」と言われまして、びっくり仰天いたしまして、「私、タイについては何も知らないんですけれども」と言いまして、とにかく新谷先生のペーパーが来ないかと思って、来ませんので、慌てて、昨日の午後にFAXを送りまして、「SOS ペーパーはいつ来るか」と言いましたら、私がコメンテーターであるという話が通じてなかったみたいで、松田はレジュメの配付役か何かを仰せつかったので早く送れと言ってきたと言われまして、その後もお返事がないものですから、私は今日は一体何の話をしようかと大分首をひねって考えたのでございます。

 新谷先生には、タイからお帰りになりました後、ご本をいただきまして、あのご本は非常におもしろく、興味深く拝見させていただいたのでございます。タイの国民所得を推計する上で、私のタイに関するささやかな知識というのは、タイの国家統計局へ行きまして、2日ほど滞在しまして、通産省に頼まれましてインタビューをして、どういうふうにして各種統計がつくられているのかという話を聞いてきたぐらいでありまして、そこから国民所得までの話というのは、大分遠い話でございます。そこで、今日はお触れにならなかったけれども、新谷先生のお書きになりました本の中と関係しながら、お教えいただきたいという点を何点か出してみたいと思います。

 1つは、新谷先生の本の中に、人口の産業別就業人口というのを引用されていたかと思うわけです。たしか 140ページのところにありまして、19651990年までの産業別の就業人口の数値であります。タイは発展途上国に入れても叱られないと思いますけれども、発展途上国の国民所得推計をやっていきます上で一番大きな問題点は、農業以外にも商業部門のような第3次産業部門はまず統計がないというのが1つ。比較的信頼の置けるデータは、食料品である農作物のところが1つと、鉱工業の中で工場生産の形態をとっている部分、これは何とか統計がある。それの間をつなぎます部分は、まず統計的には不確かであるというふうに考えていいかと思います。したがいまして、そこの部分をどうとらえるかということになりますと、産業別就業人口を押さえるというのがポイントになるかと思います。先生は、そのデータをお使いになった感触から、90年代で鉱工業部門の2倍ぐらいが商業部門の就業人口になっていたと思いますけれども、ここで商業部門の人口がどの程度まで、いわゆる我々が考えますような第3次産業的なものに近づいたというふうにお考えになるか、まだまだショック・アブゾーバー的に第3次産業に働いているという形で働いていて、非常に低生産性であるというふうにみなしていいかどうか、そこらの点につきましてお教えいただければというのが第1点でございます。

 もう1点は、人口統計の精度につきましてどのように解釈したらいいかということでございます。これは別な機会にもつい先日お話し申し上げて、ここの中の何人かの方は出席されていましたので、細かい話は省略しようかと思っておりますけれども、我々が人口のセンサス・データを使いますときに、各歳別の男女別の人口がとれた場合に、人口コーホートをつくっていきますと、必ず発展途上国のデータは異常値が出てくる。これは発展途上国に限らず、日本でもそうなのですけれども、20歳の前半は漏れが多くて、20歳の後半になりまして、大学を卒業したころで、前にいたはずの人間よりも多い人間が突如として出現するというのが、日本のデータでも言えることなわけです。発展途上国の場合には、0〜5歳人口のところに1つ集中的に出ていまして、タイの場合には、8年間隔、10年間隔、9年間隔、10年間隔という形で、コーホートをつくるときに注意してつくらなければいけないのですけれども、重ね合わせていきますと、おそらく乳幼児の段階での届け出といいますか、どうせ育つかどうかわからないというので、丸めて答えるというふうなことで、それが次のセンサス時になるとぐっと増えると言われているわけですけれども、タイの人口センサスのデータをそういうふうなチェックポイントを設けて考えてみたときに、どの程度向上したというふうに考えていいか。

 3番目は、例の家計調査につきましては池本先生の克明な研究があるわけでありまして、金がないので、サンプリング地点を順繰り変えて、年次を追いかけていった。そのために時系列比較ができないデータになっていたわけです。最近は少しその点は改善されたというふうに聞いておりますけれども、そこらの点で、この間行かれまして、家計調査データのリライアビリティに対して、若干信頼性が増したというふうにお考えになるかどうかというふうな点になります。多分にデータ的に制約があるというのは新谷先生のおっしゃるとおりでありまして、非公式に聞いたところによりますと、データをディストリビュートする閣議みたいなところがありまして、そこのところに参列しないとデータがもらえない、政府の高官においてしかり、そういうふうな国であるという状態であったという時期が長いこと続いておりましたので、先ほどのお話を伺っていて、昔聞いた話を思い出していたわけです。

 以上、簡単でありますけれども、3点、タイの国民所得データを考える上での基礎統計の問題点としてどのように理解したらいいか。

 済みません、もう1点伺うのを忘れました。例の国境地帯での難民の出入りの問題を、タイの場合にどのように押さえているというふうにみなしていいか、そんなことについて少しお教えいただければと思います。

 新谷 どうもありがとうございます。ところが、何も答えられないのです。

 ただ、就業人口についての特にサービスの部門ですが、向こうでは労働サーベイは毎年、年に3回やっていまして、人口センサスのとき以外のところで、サーベイをやっているのです。ただ、サーベイの結果の数値がコロコロ変わっているわけです。向こうの労働経済をやっている方に聞くんだけれども、変わり過ぎてはっきりわからないというふうな状況です。ここのところでサーベイのシステムが変わったのだと彼は言うのですが、私なんか聞いていて意味不明なのです。それで、向こうの人が並べた数字を見ていると、やはり不連続でガクッと来るようなところがあるわけです。

 商業のところからは外れますけれども、農業の就業人口は1980年代後半ぐらいからずっと減ってきたのです。ところが、1990年にセンサスがあったものだから突然また増えてしまいまして、何か変なぐあいです。それに合わすために、1991年、92年はまたちょっと増えているのです。だから、私がタイにいたころにはまだ1990年のセンサスで十分分析ができてなかったものですから、向こうの労働経済の先生は、農業の就業人口は減ってきていると言っていたのです。ところが、そうじゃなくなってしまいました。

 というようなことがあって、長期に見たときにどうなのかというのは、全然答えられません。ただ、近代的な3次産業部門に就労しているところでは、十分押さえられるだろうと思うけれども、レストランだとか小売のようなところ、特にバザールや、タラーと呼ばれているようなところで働いている人々の把握は非常に困難ではないかと思われます。

 先生のコメントに直接答えられないものですから、私の話はどんどん脱線します。向こうで国会議員の選挙があるのですが、これは戸籍のあるところでやるわけです。皆さんバンコクに勤めていても、戸籍を移すのが面倒だからほとんど移してないようです。企業に、選挙のある前の日から彼らに休業を与え、故郷へ帰って投票させるようにと政府から指示が来るというのです。そのようなことからかんがみて、いまバンコクは 650万人の人口があるというけれども、本当なのかどうかさっぱりわかりません。夜行バスに乗れば1日でほとんど国境地帯からバンコクへ出てこられるのです。大きなバスの乗り場へ行くと、絶えず行き来していまして、大混雑している状況が見られます。

 ですから、松田先生が言われたような就業人口の中の産業別の分類は本当に正しいのかと言われるのもはっきりしません。国民所得統計でみれば、農業のGDPが1990年で1516%なのです。ところが、就業者数が60%ぐらいあるのです。どっちかがおかしいという感じなんですね。ある人は、農業の所得、GDPが少な過ぎると言うし、また別の人は、労働統計のほうがおかしいんだ、というよう状況です。人口センサスも、戸籍が農村部にあるので、多分戸籍のほうからアプローチするのだろうと思うのです。そうなってくると本当にどうなっているのか、というのが私の感想なのです。

 しかし、いままではユーザーでしたので、発表された数字を信じていたのですが、今度はメーカーに回ったわけですから、いま申し上げたような点ももっとチェックせざるを得ないというのが心境なのです。全然答えられなくて申しわけございません。

 松田 新谷先生のご回答は、ある意味で私はよくわかります。そうすると、私が前に統計局に行きましたときの状況は大して改善されていない、ということだと思って理解いたしました。そのときの状況とあまり変わりないということで、ご説明申し上げますと、まず、我々に応答するのは上級官僚なのです。上級官僚というのは、大体アメリカへ留学して、理論は知っている。しかし、実際の調査がどう行われているかというのは、わからない。我々みたいな統計屋が行きますと、微に入り細にわたって、実際がどうなっているのかという話をしますので、とたんに答えられなくて、下僚を呼ぶ。下僚は英語がわかりませんから、タイ語で、通訳が入ってくる。その通訳がうまくいっているのかどうなのかということが一番わからないところでありまして、それでなかなか話がうまく返ってこないのです。

 後で、JETROの人に、あの人たちはどれくらい正直なことを言っているのかと聞くと、ニヤッと笑って、まあ、ご想像に任せます、という話が出てきました。ですから、調査方法で統計調査の票様式に書いてあることだけをウのみにして、議論はなかなかできないということです。しかし、我々としてはそれ以上のことは、おそらくメーカーに回ったとしても、もともとは1次メーカーでないわけですから、それは難しい。そうすると、そういうときにどうしたらいいかということを少し議論をする必要があるのではないか、というのが正直な感想です。

 尾高 質問と、あとコメントがあるのです。

 1つは、戦前の統計がないというのは、多分そうなのかもしれませんが、本当にそうなのか。例えば物価統計とか貿易統計は、探せばあるのではないか。

 新谷 貿易統計はあるのです。先ほど申し上げたように、米、スズ、チーク材、ゴムについてです。

 尾高 物価はどうですか。

 新谷 物価も、いまの輸出財の値段があります。それから、生計費に関しては、バンコク市内について1920年ごろからあります。あまり遡れません。

 尾高 いずれにしても、ないものはしようがないでしょうけれども、日本や戦前の朝鮮とかの経験で言うと、政府がつくってなくても商工会議所が統計を集めていたりすることもあるので、そういうところまで手を広げれば、少しはあるかもしれない。それから、外国の外交官文書、特に英国の領事館とか大使館で集めている可能性もあると思うのです。そういうところをもう少し探してみることはできないだろうか。

 イングラムの本は全然助けにならないのですか。

 新谷 彼の貿易統計があります。戦前期についての輸出の関係が彼の本のベースです。

 尾高 そうですか。

 それが質問で、あと提案ですが、我々のプロジェクトとしては、現地のタイの学者で若い人に参加してもらう必要があって、そういう人を発掘して、ぜひ協力をしていただきたいと思うのです。

 ちなみに、オーストラリアと協力する可能性がありますので、東京とバンコクと、どこだかわからないけどメルボルンかな−でやることを考えたいと思っていて、後で一緒にご相談するときに、オーストラリアにはファルカスという経済史家がいて、一緒にやってもいいと言っていますので、その人と協力して、かつタマサットもしくはチュラロンコンの若い学者に一緒に協力してもらうということをぜひ考えていただきたい。やはり現地の人に協力してもらわないと、先ほど松田さんがおっしゃったような問題も乗り越えられませんので、乗り越えられるかどうかわからないけれども、我々よりましだと思うのです。とにかく会話ができないと話にならないから、現地の人に協力していただく方向を考えていただきたい。

 それで、いますぐというわけにはいかないですけれども、少し時間がたてば、日本へ来てもらうこともできますので、PDFで呼べますので、東京へ来て一緒にやってくださるということもあわせて考えて、ぜひ打開していただきたいと思います。

 司会 ほかにご質問はありませんか。川越さんと松田さんの順でお願いします。

 川越(成蹊大学)  Manarungsanの米の推定ですが、こういう大胆なやり方で米の推計をするのは、かなりきついなとは思うのです。ただ、このやり方は、収穫面積と収量から推計した米の生産量とこういう形でつき合われるというやり方はあるかなとは、前から考えたいたのです。ただ、一般的には1人当たり消費量というのは基本的にアウトプットと人口から割って出てくるものですね。彼の場合は、1人当たり消費量というのはどこから持ってきているのでしょうか。

 新谷 それは、1950年代のいろいろな状況下の数値を、前へずっとただぶっかけただけです。

 川越 1人当たり消費量というのは固定されているわけですか。

 新谷 そうです。

 松田 先ほどの尾高先生のお話なのですけれども、貿易統計、戦前の場合というのは非常に難しいです。いわゆる先進国との間の貿易は通関統計で押さえられますけれども、タイの場合でも、あのあたりの国と同じで、国境越えの貿易というのはまず押さえられませんし、記録は残っておりません。そこのところで日本と東アジアの国の貿易統計が比較的しっかりしているものによる考えというのを、ストレートにこちらの地域に適用するのは難しい。

 商工会議所のデータですけれども、これは中国系の資本が押さえていまして、ちょっと日本の商工会議所統計と比較して考えるわけにはいかないだろうと思います。領事館のレポートも、植民地化されませんでしたから、植民地化された地域のヨーロッパ諸国が持っているデータとは、比較が難しいだろうと思います。ですから、インドに関して松井透先生がおやりになったようなものと比較するのは、非常に難しいだろうと思います。

 尾高 それはそうでも、簡単にあきらめて投げ出さないほうがよろしいと思います。

 司会 砂糖なんかも生産量がわからないのですか。タックスがあるから、輸出税からまた逆算するとかね。可能性としては。

 ほかにご質問ありませんか。

 新谷 いや、もうお恥ずかしい。ありません、ありませんという報告になりました。

 司会 どうもありがとうございました。