解放後の国民所得推計



久保庭真彰



解放後における中国の国内総生産(GDP)の推計、これが私の所属するCOE中国班内グループの主要なテーマである。この時期の国民所得推計は、それ以前と比較するとはるかに恵まれた統計環境にある。というのは、解放後の社会主義中国は全国的な計画経済実践のため、統計環境を抜本的に再編成し、継続的に独自の国民所得統計整備を図ってきたからである。これは、推計作業にとって、公式の国民所得統計の存在しない解放前に比較した場合の決定的な利点であることは間違いない。しかし、解放後の中国GDP推計といえども、それは大方の予想をはるかに超える作業を要する。実質系列であればまだしも、名目系列となると、私たち日本の研究者だけではお手上げといわざるをえない。そうかといって、ただ単に中国の学術研究者と組みさえすれば推計ができるというものでもない。多少なりともまともな推計には、旧統計ならびにその周辺に位置する統計を独占している中国国家統計局からのデータ協力が不可欠である。そこで、私たちは、まわりくどい迂回方式を避けて、この際いっそのこと中国国家統計局と直接協力して推計作業をやってしまおうと考えた。

幸いにも、私たちのこうしたアイデアは、資金不足に悩む中国側の思惑とも一致し、非常にタイムリーかつスムーズに私たちと中国国家統計局の共同作業は進行する運びとなった。直接協力というアイデアの背景には時代の急速な変化がある。中国は市場経済をラッシュ・スピードで進めており、中国経済の世界経済への統合と並行して、国際協力・技術協力は投資面ばかりでなく、統計の国際標準化という側面でもすでに進行していた。

また、中国はすでに現在から1978年までのGDP遡及推計作業を現・旧社会主義諸国のなかでいち早く完成させており、さらに1952年に至るまでの遡及推計作業のことを考えるゆとりが政府・統計局にもできていた。日本が漢字文化圈に属していることは、日中間の技術協力を容易にしているが、これはわれわれの場合も例外ではなかった。

日中間の直接的な共同作業の円滑な実現には、いま1つ逸することのできない要因がある。それは、わが国の大学院で学んできた中国人や日本の大学教員の職にある中国人研究者が少なからずおり、私たちのCOE作業グループもはじめからこうした中国人研究者を含めて組織されていたことである。まず、外国人任用教官として一橋大学に奉職していた薛進軍氏(現、大分大学教授)が中国国家統計局国民経済計算課長の李強氏と私との橋渡しをしてくれたこと、これにより共同研究は一気に現実的なものとなった。次に、共同作業プロセスにおいて、一橋大学大学院の博士課程を修了したばかりの若手の岳希明氏が作業グループの一員として日中双方の調停役を実にきめ細かくかつ忍耐強く努めてくれた。私は、推計作業過程において、一度ならず、遠い昔と、今現在の日中の文化交流の深さと重要性とを再認識させられた。

私たちの共同作業結果は、美しい装丁の英文パンフレットとして1997年9月に公表されている(本誌のSpecial Publicationを参照)。また、このパンフレットに含まれる全テキストと全データはインターネット上で全世界に無料公開されている。したがって、われわれの共同作業結果はパブリック・ドメインになっている。



推計方式の要点と問題点

(1)旧来の物的生産物方式(MSP)による名目ベース国民所得NMP(マルクス『資本論』のナツィオナーレ・アインコメンのロシア語訳がナツィオナールヌウイ・ダホードで、その中国語訳が「国民収入」)の組み替えと補足による名目GDPの推計、これが基本的方法。この国民所得は、中国語の「国民収入」の他、「生産国民所得」、「生産方式による国民所得(国民収入)」、「物的純生産(NMP)」ないし「生産された物的純生産(NMP produced; NMP by origin) 」などの名称をもつ。

物的部門は、鉱工業(鉱業プラス製造業)、建設、農林業、貨物運輸、生産関連通信、商業(国内商業・貿易業)・農産物調達・食堂、その他物的部門(狩猟や印刷・DPE等)である。非物的部門は、行政・金融・保険・不動産、教育・文化・科学・医療・保健・体育、旅客運輸、個人通信等である。NMPは物的部門で形成された純付加価値のみからなる。

(2)NMPのGDPへの変換作業の第一歩は、物的部門の固定資本消費(固定資本減耗、減価償却)統計の捕捉。

これまで、中国国家統計局はこの統計を公表してこなかったので、この統計を開示してもらうことが先決事項となった。そのデータ内容は上記パンフに掲載されているとおりである。この開示でさえ、中国側との交渉は難航したが、MPSを研究したことのある私や松田芳郎教授には一大関心事であったので押し切ることに成功。文革時代には減価償却概念さえ放逐されてしまったことがあるが、この点を含め、文革時代のNMP統計はすでに修正済みという中国国家統計局の立場をわれわれもひとまず了承して作業を続行。SNA68、SNA93の固定資本消費は、帳簿上の減価償却ではなく、再生産価値を基準とするが、この点も、わが国の場合と同様、無視した。

(3)変換の第2歩は、非物的部門の粗付加価値の捕捉。この作業に必要なデータは中国側に独占されているのでそれを利用。

(4)第3歩は、物的部門による非物的部門サービス投入を推計して、これをNMPから控除する作業。この作業はプラスばかりでなくマイナスも必要だということは次のように考えれば分かり易い。MPSであろうとSNAであろうと、物的部門の国内総産出(社会的総生産高)は同額(電力生産や機械生産の全額をMPSでも捕捉)。


 MPS社会的総生産

 =SNA国内総産出(for 物的部門)

定義により

 MPS社会的総生産

 =物的中間投入+減価償却+NMP(for 物的部門)

 SNA国内総産出

 =物的中間投入+非物的中間投入+GDP(for 物的部門)

上記3式から

 GDP

 =NMP+減価償却−非物的中間投入(for 物的部門)


が導かれる。

(5)名目ベースの国内総支出(GDE)の推定。GDEは中国ではSNA93に準拠して「支出方式によるGDP」と呼ばれている(これは現在のロシアの場合も同じ)。この作業の中心は、非物的サービス支出の最終消費支出の推計(プラスの部分)と、非物的中間投入に振り替えられるMPS最終需要部分(マイナスの部分)である。いずれも中国国家統計局の協力なしには推計は困難である。当初、中国側は名目ベース・実質ベースGDEの推計には難色を示したが、わが国長期経済統計の根幹に関わる事項なので当方も譲るわけにいかず、結局は粘り勝ち。これには、学究肌の許課長補佐の精力的な推計作業がものをいった。同氏は、1995年以降のGDE推計方式の改善を手がけることにより、GDE推計の重要性を認識し、その結果、遡及推計にも関心を持つようになった。

(6)実質ベースのGDPとGDEの推計作業は、基本的にこれまでの実質値NMP系列の作成方式(5つの不変価値系列の便宜的な連鎖)を踏襲した(鉱工業細部門統計等が利用できなかったため)が、運輸部門は私の提案した物理指標(人・キロメートル、トン・キロメートル)を用いたほか、様々な方法を混合使用した。すっきりとはしていないが、データ制約上やむをえなかった。

(7)以上の結果えられたGDP系列とGDE系列は、名目ベースにおいても実質ベースにおいても許容限度内の整合性を有するものであった。また、経済成長プロセスにおけるサービス部門の位置づけや重要性もえられた時系列で十分に捕捉しうる。しかし、残された問題点も多い。まず第1に、SNAに合わせて「間接的に計測された金融仲介サービス(FISIM)」等も推計されたが、通時的にみるとあまり満足のいくものではなかった。(一部推計結果はパンフにも掲載)。第2に、これまでのNMP統計の問題点を継承することになった。たとえば、国有企業におけるインセンティブ・システムに起因する鉱工業生産過大評価の問題(旧ソ連も同様な問題を持っていた)等は視野の外におかれた。今後、Rawski氏の議論も参考にして、中国の場合の過大評価の問題を究明したいと考えている。文革時代の統計の改訂も、公式改訂NMPを下敷きにしたため極めて不満足にならざるをえなかった。この意味ではわれわれの推計は今後の様々な改訂を施す場合のベースライン系列を与えたものにすぎない。しかし、代替推計の意味を明瞭にするにはまずベースラインがなれれば話が進展しないということも事実であろう。なお、中国の場合は、SNAにおける区分された輸出・輸入のデータも問題である。これについても、われわれは満足する結果に至らなかった。



他の2つの推計との比較

ところで、われわれのベースライン推定の他、中国のGDPに対する従来の推定のなかで注目に値するものとして Maddison と Wu による2つの代替的推計がある(Maddison, Angus, Chinese Economic Performance in the Long Run, OECD, forthcoming; Wu,Harry X."Reconstructions Chinese GDP According to the National Accounts, Concept of Value Added" in:the Industrial Sector, Comparative Output, Productivity and Purchasing Power in Australia and Asia (COPPAA) Series No.4. Center for the study of Australia-Asia Relation, Griffith University, 1997).

前者はGDP全体を推定したのに対して、後者は鉱工業GDPのみを推定したものである。Maddisonの推定は、産業別に行われているが、農業GDPの推定は、主に農業の産出額および中間投入額に関するFOAのデータに依拠しており、鉱工業GDPは、Wuのデータをそのまま使っていた。Wu推計では、1987年における付加価値比率に1987年価値表示の各年鉱工業総産出を乗ずることにより、鉱工業GDPを算出している。基本データは1987年産業連関表と『工業経済統計年鑑』(いずれも中国国家統計局編、中国統計出版社)を利用している。これらは、いずれも推計として意義があるが、基礎データがわれわれの推定に比較すると極めて脆弱だといえよう。共同研究を行わない独自の作業の限界である。しかし、いずれの代替的推定も鉱工業統計の上方バイアス問題に関わっており、それらは、われわれの共同ベースライン推計をわれわれ自身で再検討する場合にこそ有効に参照することができるといえよう。


(くぼにわ・まさあき 一橋大学経済研究所教授)