20世紀を鳥瞰するマクロ長期統計作成の課題



プロジェクト代表 尾高 煌之助


アジア長期経済統計データベース・プロジェクトの目的は、アジア諸国(広義)のマクロ経済統計を対象に、長期にわたる体系的なデータベースを構築するところにある。

マクロ概念にもとづく経済分析は、昨今の経済学界では分が悪いようだ。集計量としてのマクロ統計は何を表現しているのか必ずしもはっきりしないところがあるから、経済の実態像に迫りたい場合には、出来るだけミクロの資料によって経済主体の意思決定の過程を明瞭に観察したいと思うのは自然である。計画経済の営みがみずから率先して破産を宣言し、かわって洋の東西を問わず市場原理が重視される最近の傾向も、マクロではなくミクロの分析が注目される動向と密接に関連している。

だが、GDPに代表されるマクロの統計情報がその価値を失ったわけではもちろんない。一国を単位とする経済の動きを概観的に知ろうとすればマクロ統計によらざるを得ないし、経済政策の策定やその効果の測定にはマクロ統計量が不可欠である。さらに、現在と未来とを考えまた語るための前提として経済の歩みを歴史的に展望しようとするときには、マクロの長期統計はとびきり強力な助け手になる。このあたりに、マクロ経済データベース作成の意義がある。

ところで、マクロ経済統計の現代的意義を顧みるとき、第二次大戦後におけるマクロ経済学の歩みに思いを馳せざるを得ない。戦間期から戦中・戦後にかけては、まず経済統制、ついでマクロ経済政策(とりわけ総需要管理)に熱い視線が注がれたので、それがアメリカを中心とする自由主義圏諸国の経済学研究にも強い影響を与えた。

同じ流れのなかで、その後工業化の歩みが世界的に拡散し、「経済発展」なる新しい概念が脚光を浴びることになった。パックス・アメリカーナのもとで自他ともに認める自由主義世界の指導者となったアメリカが、経済不安や蔓延する貧困が政治的不安定を助長する重要な要因だと考えたからである。その認識は知識人階層も共有するところだったから、まもなく各地の大学で経済発展の研究や教育が始まり、発展のための政策が論じられたり、その実施に与る有為な人材が育成された。その後同国が、発展途上国援助に関する政策の立案や実施に長けた数多くの人材とノウ・ハウとを蓄えるに至ったのは、一つには高等教育機関における地道な努力があったためであろう。このように考えると、経済発展の専門学術雑誌、Economic Development and Cultural Change(『経済発展と文化変容』)が1952年に創刊されたのは歴史的意義をもっている。その主宰者はシカゴ大学の社会学者ホゼリッツ(Bert Hoselitz)であった。

地球上のある地方では豊かな生活が見られるのに、他のところでは貧困が支配している。この意味では、不均等こそがこの世の現実である。いうまでもなく、一人当り実質所得の成長率にも、長期にわたって格差が認められる。いったいこれはなぜか。経済成長でははなく経済発展に焦点をあてようとした研究者の問題意識は、このようにも表現できよう。

上記の雑誌の創刊にあたって掲載された巻頭言には、(1)これまで社会科学全般の立場から経済発展を扱う専門の論壇がなかったこと、(2)新しい分野なので、どの問題が重要かについては意見の一致がないこと、(3)経済発展を厳密に計測するのは難しいこと、しかし(4)究極的には物質的な厚生(福祉)の増進に関心を寄せていること、が述べられている。巻頭言がさらに続けて言うところによれば、「物質的な生活水準の向上を問題にするのは、何も・・・・西欧文化のバイアスによるだけではなく、非西欧的世界の人たちのこの方面での希望が近年とくに強く、この問題について考えを巡らさざるを得なくなったために他ならない。・・・・西欧がまず進歩したという環境が既存であるがゆえに、その他の地域の進歩は、多くの場合この環境に対する選択的模倣ないし適応から成る。今日の低開発国の経済成長は、たんに局地的な革新にとどまらず文化移転を含むものたらざるを得ないのである」云々。このマニフェストから自然に読み取れるのは、執筆者が西欧世界の立場から見ていること、物的要件に関心の的があること、進歩に対する信奉が強いこと、経済発展とは一つの文化移転だと率直に表明していることなどである。

このように経済発展の概念は、その生成の経緯からして、西欧化、産業化、都市化、技術革新、近代化などと密接な関係にあり、したがって暗黙のうちに欧米における産業化の歴史や制度を前提としている。欧米の学者が論ずるときにそれ以外でないのは当然だろう。しかし、このユニヴァーサリズムを、欧米以外の地域でも当然のこととして受容できるかどうかは改めて検討を要する問題である。

生産中心の経済発展の概念を一層明確に打ち出したのがサイモン・クズネッツ(Simon Kuznets)による「近代経済成長(Modern Economic Growth、 略称MEG)」の定義である。MEGとは、人口も、人口一人当り生産量も持続的に上昇し、かつ広範囲にわたって経済構造の変化が発生する現象をいう。近代経済成長の特徴としてクズネッツがあげているのは、(イ)科学の成果が生産活動に対して広範囲に適用されていること、および(ロ)世俗主義、平等主義、ならびにナショナリズムの影響下にあること、である。ここで世俗主義(secularism)とは、「経済的栄達に高い順位を与えるような優先尺度をもって現世の生活に執着する態度」のことであり、平等主義とは人の生来の相違をいっさい認めない立場をいう。またナショナリズムとは、共通の歴史的・文化的遺産を共有する(と信ぜられている)人たちの集合を政治の単位として認め、ここに政策行動や長期的意思決定の基礎を据えようとする立場のことである。ナショナリズムを標榜する当然の結果として、近代経済成長の考察の単位は国民国家になる。

こうしてみると、経済発展の思想が、フランス革命のスローガン、「自由・平等・友愛」に強く影響されていることが分かる。

さて、上記の学問的動向の余波は、自然とアメリカ外の諸国にも及び、日本ではまず一橋大学の研究グループがその学問的恩典を受けた。大川一司ほかによる『長期経済統計(LTES)』(全14巻)がその成果である。この推計作業がロックフェラー財団や文部省科学研究費補助金の支援を受けて開始されたのは1951年だったが、その後1960年代には日本も高度成長の波に乗ることが出来たので、マクロ経済の統計情報としてのLTESはいやでも時代の注目を受けるに至ったのである。

本プロジェクトは、上述の学問的潮流を継承するものとして発足した。この意味では、このプロジェクトは20世紀アジアのマクロ経済の歩みの総集編を、統計情報の面から作成しようとするものともいえ、しかもエコノミスト、歴史家、地域研究者、そして統計専門家たちの共同作業である。この知的結集が日本を中心に全世界にまたがるネットワークを確立し、その過程でアジア経済に対する広くまた深い関心を培うよすがになるならば、その学問的貢献ははかり知れない重さと意義をもつ。

昨秋、折り返し時点を通過した本プロジェクトは、今年その成果の総合化に向けて収斂の歩みを始める。具体的には、(a)相対的に歩みの遅い分野の梃子入れをし、(b)国際間のデータの整合性の検討と調整とに意を用い、(c)推計結果の性格吟味と系統的なデータのワークステーションへの収録とによってデータ・ベース公開の準備を促進し、さらに(d)成果の出版準備を開始する。この過程で、本プロジェクトでは充分にとりくむまでに至らず、次世代の研究課題に引き継ぐことになるさまざまな研究テーマについても系統的に明らかにしたい。この残された課題のなかには、近年注目を浴びた「生活の質」をめぐる情報の処理もおそらく含まれることになろう。

(おだか・こうのすけ 一橋大学経済研究所教授)