フィリピン歴史経済統計の所在と構造



永野 善子




●資料収集作業の概要と経過

1995年7月に『アジア圏長期経済統計データベースの作成』プロジェクトが開始された直後から、筆者は同プロジェクトのフィリピン部会のメンバーとして、植民地期フィリピンの基礎的歴史経済統計の収集作業にあたってきた。資料所在調査に始まり、資料所蔵機関へのマイクロフィルム作成依頼の送付、見積書の受け取りから予算書の作成、そしてマイクロフィルムの発注から現物の到着にいたるまでに、およそ2年を要した。このたびようやく、現在収集を計画したうちの8割強のマイクロフィルムが一橋大学経済研究所資料室に収められた(付表を参照)。この間、一機関に発注したマイクロフィルムの一部が届かず、その処理に数カ月も悪戦苦闘するという苦い経験もあった。しかし、多くの方々のご理解とご協力を得てようやく大方の基礎資料の収集の見通しがたったので、ここで植民地期フィリピンの歴史経済統計の骨格を素描することにしたい。

後述のように、アメリカでは、米国議会図書館をはじめ数多くの大学図書館で、このたびCOEプロジェクトが収集した資料を比較的容易に参照することができる。しかし、日本では、アメリカ植民地期フィリピン歴史経済統計の体系的収集は、これまでまったく手つかずの状態であった。この意味で、今回の資料収集作業は、日本におけるアメリカ植民地期フィリピン経済史研究の進展にとってきわめて大きな意義をもつものといえよう

なお、フィリピン部会が当初収集を計画した植民地期フィリピンの歴史経済統計は、@アメリカ植民地期(1898-1946年)における基礎的経済統計とA19世紀後半スペイン植民地末期における貿易統計書の二つからなる。このうちAについてはすでに「19世紀後半フィリピン歴史貿易統計について」(『ニュースレター』第3号[1996年10月])で紹介したので(1)、ここでは@のみについて取り扱うことにする。


●日本における資料所蔵状況

筆者はかつて『フィリピン社会経済史関係解題つき文献目録−−19世紀後半から第一次大戦前まで』(文部省科研究費総合研究 [A]「資本主義世界市場の形成に関する文献目録シリーズ No.1[1980年])作成のため、国内におけるフィリピン経済史関係所蔵文献調査を行なったことがある。当時、この分野の文献を所蔵していたおもな大学・研究機関は、アジア経済研究所、東京大学文学部、東京大学東洋文化研究所、東洋文庫であった。それから15年あまりの歳月を経過した今日、フィリピン関係文献の国内における所蔵状況は格段に進歩した。京都大学東南アジア研究センターがフォロンダ・コレクション(7000点)を取得し、上智大学図書館がマウロ・ガルシア・コレクション(7000点)を購入した。このほか、東洋文庫がフィリピンの稀覯本を集めたベラルデ文庫(500点弱)を入手し、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ではフィリピン関係の新聞や政府官報のマイクロフィルムなどを所蔵するようになったからである(2)

こうしたなかで、従来から東京大学文学部と一橋大学経済研究所が所蔵してきた『1903年センサス』(4巻)やアジア経済研究所図書資料部所蔵の『1918年センサス』(4巻)および『1939年センサス』(7巻)に加えて、1900-16年にフィリピン植民地政府の統括的機関の役割を果たしたフィリピン行政委員会の報告書(Report of the Philippine Commission)(36巻)の大半が上智大学図書館に、また、同報告書の原書および写本(Manuscript Reports of the Philippine Commission, 1900-1915)のマイクロフィルム(74巻)が東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)に保管された。だが、その他多くの大学や研究機関が所蔵するフィリピン経済史関係文献を集めても、本研究プロジェクトが必要とするような、多岐の分野にわたる時系列の統計情報を得ることはきわめてむずかしいのである。


●アメリカにおける資料所在確認のための手引き書

そこで、筆者は時系列の歴史経済統計を掲載している文献を収集するため、体系的に資料所在調査を実施した。アメリカ植民地期のフィリピン経済統計資料をもっとも大量に所蔵しているのは、ワシントンDCの米国議会図書館と米国国立公文書館である。このほか全米のかなり多くの大学がフィリピン関係の歴史経済統計を備えており、また、フィリピンでは国立フィリピン大学ディリマン校図書館にはすぐれたコレクションがある。しかし、国立フィリピン大学では、資料の閲覧と複写はできてもマイクロフィルムの作成は依頼できないので、体系的な資料収集には不便である。このため、筆者は資料収集地としてアメリカを選定した。

資料所在確認の手引き書として、最も役に立ったのは、@Daniel F. Doeppers comp., Union Catalogue of Selected Bureau Reports and Other Official Serials of the Philippines, 1908-1941 (Center for Southeast Asian Studies, University of Wisconsin-Madison, 1988) である。このカタログには、 D.F.Doeppersが、その名著:Manila, 1900-1941: Social Change in a Late Colonial Metropolis ( Quezon City: Ateneo de Manila University, 1984)を執筆するにあたり収集した政府刊行統計書の、全米22カ所の大学図書館・米国議会図書館・米国国立文書館(およびオーストラリア国立大学)における所蔵状況が詳細に示されている。これを参照することによって、アメリカ植民地期にどのような政府機関が存在し、どのような統計を刊行していたのかを知り、さらにその所蔵状況を把握することができるのである。 筆者がアメリカのいくつかの図書館と手紙や電子メールでの交信を始めるにあたって、まず参照したのは上記のカタログであった。

その他の手引き書としては、The National Union Catalog: Pre-1956 Imprints, Vol. 455(Washington. DC: Library of Congress)が有益である。本書の「フィリピン諸島(Philippine Islands)」関係の文献カタログには米国議会図書館の蔵書を中心として、アメリカ植民地期に刊行された諸官庁の年次報告書が数多く掲げられている。他方、Richard S. Maxell comp., Record of the Bureau of Insular Affairs: National Archives Inventory Record Group 350 (Washington, DC, 1971) は、米国国立公文書館の島嶼局コレクション(Bureau of Insular Affairs[BIA] Library)の概要を知るのに役に立つ。島嶼局とは、1898-1939年に米国陸軍省のもとにおかれた植民地・属領関係担当機関で、フィリピン、プエルトリコなどの統治問題を担当した機関である。同コレクションには島嶼局が収集した膨大なフィリピン関係の公文書などが収められている。


●米国国立公文書館での調査

約半年間、国内からアメリカのさまざまな図書館や文書館と交信を繰り返した後、筆者は1996年4月にワシントンDCを訪れ、米国議会図書館と米国国立文書館(メリーランド州カレッジパーク)に通った。2週間の滞在中、とくに多くの時間を費やしたのが米国国立文書館の島嶼局コレクションにおける資料所在調査であった。

同コレクションのフィリピン関係資料は、大別すると未刊行文書と刊行文書の二つに分類することができる。未刊行文書は、@Manuscript Reports of the Philippine Commission, 1900-1915、AManuscript Reports of the Governor-General of the Philippines, 1916-1935、BManuscript Reports of the U.S. High Commissioner to the Philippine Islands, 1936-1940の三つからなる。これは、それぞれの時期のフィリピン植民地政府の統括的機関もしくはその役割を担った、フィリピン行政委員会、フィリピン総督府、在比アメリカ高等弁務官が公刊した報告書のほか、関連諸官庁から収集した年次報告書などの原書および写本のコレクションである。

他方、刊行文書の検索はやや繁雑な手続きを要する。検索には、@所蔵文献が項目別(アルファベット順)に示された数十箱のインデックス("Indexes to the Library, 1898-1935")とA所蔵文献の十進法分類表(Decimal Classification Scheme)の二つを組み合わせながら、文献を探さなければならない。@のインデックスには、Aの分類表に対応する番号が示されていない。他方、Aの分類表からいきなり文献を検索しようとしても、書庫にはこの分類表に対応する文献がまったくないことすらある。そして大変不自由なことには、われわれが公文書館の司書に文書の閲覧希望書を提出する時には、Aの分類表の項目を示す必要がある。そうしなければ、司書は書庫で文献を探し出すことはできないのである。

たとえば、筆者は@のインデックスで、米国議会図書館が所蔵していない19世紀後半の貿易統計書の多くを見つけることができたので、Aの分類表の「132.4 Trade statistics」にあると考えて、司書に閲覧希望を出したところ、この項目にはないことがわかった。2時間近く待って書庫から出された文献は、筆者が希望したものではなかった。そこで司書に掛け合ったところ、書庫に案内していただけることになり、膨大な島嶼局コレクションを自分の目で確かめる機会に恵まれた。幸い職人的感が働いてそれほどの困難もなく、検索中の文献を書庫で見つけることができた。が、しかし、この貿易統計は、Aの分類表の「195 Miscellaneous collections」の項目のなかに入っていたのである。


●みえてきた歴史経済統計の構造

ワシントンDCでの資料調査をへて、筆者の頭のなかで「フィリピン歴史経済統計の構造」とも呼ぶべきものがイメージできるようになった。それは、アメリカ植民地期のフィリピン経済統計は、三つの層から成り立つ、刊行・未刊行資料から得ることできるということである。

第1は、上述の『1903年センサス』、『1918年センサス』および『1939年センサス』や1910年代末からほぼ体系的に刊行が開始された年次別統計資料集(付表の6.)から構成される基礎的経済統計資料である。センサスがさまざまの産業分野に関するクロスセクション・データを提供するとするならば、年次別統計資料集はかなり粗削りながらもそれを時系列的につなぐ役割を果している(3)

第2は、各関連官庁が分野別に刊行した年次統計書(付表の25.)である。このたび一橋大学経済研究所資料室に収められた、金融・財政、貿易、農業、労働・賃金関係の政府刊行物のマイクロフィルムには、上述の年次別統計資料集が依拠した、各分野に関する詳細な統計が掲げられている。

第3は、未刊行資料(付表の1.および東外大AA研所蔵資料)である。これらの未刊行資料のなかには、付表の26.で得られなかった、各省庁の統計資料の原書がある。とくに、Manuscript Reports of the Governor-General of the Philippines, 1916-1935のマイクロフィルムについては、各巻の所蔵文献の目録があって、使いやすい。

こうして、三つの層からなる資料のなかに収められた経済統計を抽出し、それらを組み合わせることによって、筆者は、アメリカ植民地期フィリピン歴史経済統計の土台を創りあげることができるのではないかと考えている。これは、あたかも植民地行政機構を念頭に置きながら、当時の経済統計の収集システムを再構成する作業のようにも思える。今後どこまでこのような作業が進められるのだろうか−−COEプロジェクト・フィリピン部会の課題といえよう。


(ながの・よしこ 神奈川大学外国語学部教授)






 




(1) 付表の「3.貿易」に示したように、19世紀後半の貿易統計書については、1868-1872年の5年間を除いて1851-1894年の期間のすべてを収集することができた。収集先は、フィリピン国立公文書館、米国議会図書館、スペイン国立図書館(Biblioteca Nacional)である。『ニュースレター』第3号ではマドリッドのスペイン国立図書館の所蔵状況を明らかにしていないが、その後の調査により同文書館は、1868-1872、1878-1879、1889の8年間を除く、上記期間の貿易統計書を所蔵し、世界で最もすぐれたコレクションであることが判明した。ところで、今回の収集作業によりCOEプロジェクトでは、1878-1879年と1889年の3年間の貿易統計書のマイクロフィルムをフィリピン国立公文書館と米国議会図書館から入手した。したがって、一橋大学経済研究所資料室の19世紀後半の貿易統計書マイクロフィルム・コレクションは、スペイン国立図書館の原書コレクションがカバーしていない年次をも含むものとなった。




 






(2) 北野康子「京都大学東南アジア研究センター図書室のコレクションについて」、寺田勇文「上智大学図書館マウロ・ガルシア・コレクションについて」『東南アジア:歴史と文化』第21号(1992年)。池端雪浦編『ベラルデ文庫目録』(財団法人東洋文庫、1993年)。池端雪浦「財団法人東洋文庫の東南アジア関係コレクション」、同「東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所のフィリピン関係コレクション」『東南アジア:歴史と文化』第23号(1994年)。




 






(3) フィリピンでセンサス統計局(Bureau of Census and Statistics)による最初の刊行物 (Yearbook of Philippine Statistics: 1940)が出版されたのは、1941年のことである。『1903年センサス』はフィリピン行政委員会によって、『1918年センサス』はフィリピン諸島センサス課(Census Office of the Philippine Islands)、『1939年センサス』はセンサス委員会(Commission of the Census)によって実施・編纂された。また、1918-1929年の年次別統計資料集は商務・産業省によって、1930年代には農業・商務省統計部によって編集されたものである。




 






付  表

一橋大学経済研究所資料室「フィリピン歴史経済統計コレクション」(一橋大学百年募金による)

      本リストは19世紀後半の貿易統計をも含む。 カッコ内はマイクロフィルム作成協力機関名。

      マイクロフィルム巻数のあとの記号は一橋大学経済研究所資料室における請求番号を示す。



 1.未刊行資料




 


 2.金融・財政




 


 3.貿   易




 


 4.農   業




 


 5.労働・賃金




 


 6.年次別統計資料集