国際経済学の最新動向と長期貿易・国際収支統計



木村 福成




はじめに

    国際経済学の諸分野における最近の実証研究の進展を踏まえ、われわれが行っている長期貿易・国際収支統計の整備はどのような点に重点を置いて行われるべきか、またそれらの統計整備によってどのような実証研究が可能となるかについて、統計データのユーザーとしての立場から私見を述べてみたい。

    GDP、GNP推計がCOEプロジェクトの中心に据えられていることを考慮すると、国際関係データの整理に当たってもできるだけ「居住者ベース統計」の形に集約できるようにしておくことが望ましい。財貨貿易の部分が基本的に通関ベースであることはやむを得ないとしても、国際収支表のその他の部分については居住者概念による整理が特に重要である。日本の国際収支表のフォーマットについては、1996年1月からIMFマニュアル第5版に沿った大幅変更がなされ、居住者概念に基づく整合的な統計整理の意図がさらに明確になっている。我々の推計作業においても、なるべく新しいフォーマットに沿ったデータ推計を行えば、それだけ将来の実証研究への応用も幅広いものとなっていくものと考えられる。

    国際経済学(特に国際貿易論)における実証研究の「最新動向」を一言でいえば、「いかにして企業レベルの行動に関する理論を、マクロに積み上がるような統計データを用いた実証研究に結びつけるか」に努力が傾注されているという点に集約される。これは、現在の先進国の文脈でいえば、企業活動の国際化によって「国境」概念が多義的となり、地理的国境が必ずしも居住者・非居住者の境を意味しなくなり、また1つの企業が地理的にも居住者概念上も両側にまたがった活動を行うようになってきたことによって、当然のこととして生まれてきた実証研究の方向である。

    一方、アジアの歴史統計の意義を考えると、それとはまた別の意味で、「国境」概念を多義的に考える必要性が指摘できる。旧植民地に関しては、宗主国との間でかなりの規模の生産要素移動があったはずである。また、独立前、独立後を通じ、国内経済の規模に比し、外国経済へのexposureが大きかった経済が大半である。独立国ではなかった時代には、財の貿易以外の諸取引は適切に把握されていなかった可能性が強い。したがって、統計整備の第1歩としてはまず、できるだけ現代的な意味での居住者概念に近い形で国際関係統計を整理し、将来のより精緻なデータ整備へとつなげていくことが望ましい。

    以下、現在の我々の統計整備のスキームでは必ずしも重点が置かれていないもの、あるいはデータの入手可能性にかなりの疑問があるものも含め、統計の種類別に議論を整理する。(1)商品貿易、(2)サービス貿易、(3)人の移動、(4)国際間資本移動と投資収益、(5)国際収支、(6)為替レートの順に話を進める。




1.商品貿易

(1)統計整備について

    商品貿易データ:できる限り、(i)対象国(reporting country)、(ii)貿易相手国(partner country)、(iii)輸出・輸入、(iv)貿易品目、(v)年・月、(vi)金額・数量という6つのdimensionで整理することが望ましい。貿易品目については、現在の整備方針であるSITC revision 1(52分類)さえあれば、かなりの実証分析が可能となる。できれば、貿易相手国別データと数量データがほしいが、その整備にかなりの時間投入が必要となるので、作業の優先度は低くならざるをえないだろう。

    輸出入価格指数:貿易データ全体をカバーする価格指数は、金額と数量から計算した単価指数でもよい。特定の一次産品などについては、品質の変化を考慮した価格がとれるものもあるかもしれない。これも貴重な情報。

    国際間輸送費の把握:データ収集は難しいかもしれないが、できれば商品別、貿易相手国別にf.o.b./c.i.f.比が得られると、経済の統合度の分析が可能となる。特定品目についての情報であっても分析対象となりうる。

    貿易政策関係の情報:貿易相手が宗主国である場合とそうでない場合とでどのような差別的取り扱いがなされてきたか、関税収入が政府収入に占めていた比率はどれほどであったか、主要一次産品はどのように扱われていたか、といった問題についての情報は大変有用である。また、比較可能な形で数量化するのは難しいが、関税以外の各種貿易制限措置や特定の貿易商に対する優遇措置などの情報も重要である。


(2)実証研究のアイデア

    比較優位構造・国際競争力の把握、工業化の進展の把握:純輸出比率(net export ratio)や顕示比較優位指数(revealed comparative advantage (RCA) index)、輸入・内需比率、輸出・生産比率などを用いた間接的な比較構造の把握は、第1次的接近としては大変有用。さらに、相手国別貿易データがあれば、いわゆる「三角貿易」などの実態も数量的に把握できる。

    貿易相互依存度の把握:相手国別貿易データがあれば、「貿易補完度指数」なども計測可能。また、相手国との距離をコントロールした上で貿易量がいかなる要因によって決定されているかについての分析も可能。

    貿易量の決定要因分析(gravity model)の応用:過去においては、貿易量の決定要因としての国際間輸送費の比重は現在以上に大きかったはずである。国際間輸送費と経済の統合度の分析も重要である。

    経済の開放度(openness)、海外依存度の測定:輸出、輸入の対GDP比なども、経済の開放度を議論する際の第1次的接近としては有用。

    交易条件、一次産品価格の変化:一次産品価格の長期的低落傾向は見られるのか、価格の不安定性は大きいのか、価格の人為的コントロールは見られるのか、誰がレントを獲得していたのか、といった点につき分析ができるとすばらしい。

    貿易政策:最恵国待遇の原則と経済ブロック化、不平等条約などと貿易量との関係についての分析も重要。




2.サービス貿易

(1)統計整備について

    サービス貿易データ:IMFマニュアル第5版では、サービス貿易は輸送、旅行、通信、建設、保険、金融、情報、特許等使用料、その他営利業務、文化・興行、公的その他サービスの11項目に分類されている。サービス貿易の全面的な把握は難しいものと予想される。しかし、項目によってはある程度のデータがとれるかもしれない。なお、サービス貿易では居住者と非居住者の間のサービス取引しか把握されないので、直接投資によって設立された現地法人や長期にわたる外国人労働や移民による経済活動のデータによって補完する必要がある。

    輸送サービス取引の把握:国際間輸送費の把握、およびそのサービスが誰によって提供され、誰によって購入されていたかを把握することは、大変有用である。また、c.i.f.ベースの輸入をf.o.b.ベースに直すために、サービス貿易には含まれない国際間輸送費全体の把握も必要である。

    特許等使用料:技術移転の1つのチャンネルとして、特許等使用料のデータは貴重である。


(2)実証研究のアイデア

    国際間輸送費・輸送保険等の分析:技術貿易の部分的把握。




3.人の移動

(1)統計整備について

    人の移動の把握:マクロ統計につけるという意味ではプライオリティは下がるが、現在のパスポート・コントロールや査証に対応するものに関するデータがもし残っていれば、officialに把握されている人の移動はわかるはずである。

    雇用者報酬の把握:人の移動を裏側からとらえようとするのが雇用者報酬からのアプローチである。ただし、もし現代的な居住者概念の下で整理するならば、現地で居住者扱いとなった労働者の本国送金などは「雇用者報酬」ではなく「経常移転」に計上すべきである。また、居住者扱いとなっていない労働者の報酬などは、本国に送金しなくても「雇用者報酬」として計上し、現地における個人的支出は「サービス収支・旅行」として計上すべきである。いずれにせよ、海外送金額をおさえるだけでは外国人労働者の活動の大きさをおさえることにはならないことに注意する必要がある。


(2)実証研究のアイデア

    人の移動に関する分析:宗主国からの人的資本移動はどのような形態でどの程度の規模で行われたのか、植民地から宗主国への留学生その他の移動はどの程度のものであったのか、プランテーション経営やその他の原因による非熟練労働の移動はどのように行われたのか、などについての分析はできないか。




4.国際間資本移動と投資収益

(1)統計整備について

    投資収益の把握:宗主国に対しどの程度の投資収益がもたらされたかを知るために重要である。ただし、現地での再投資はおそらくデータに出てこないので、注意が必要。再投資に回された収益は、投資収益の部分と資本収支の中の投資収支の部分の両方に計上すべきものである。

    資本収支の把握:特に宗主国と植民地の間の資本フローを知るために必要である。投資が直接投資なのか間接投資なのかも、資金フローのチャンネルを議論するために重要である。ただし資本収支においても再投資が適切に扱われていない可能性があるので、要注意である。


(2)実証研究のアイデア

    投資活動としての植民地経営の評価:直接投資による産業の設立。




5.国際収支

(1)統計整備について

    経常収支、資本収支、外貨準備増減金の把握:マクロ統計の一部を構成するものとして重要である。


(2)実証研究のアイデア

    オープン・マクロの実証分析:リソースバランスのチェックから景気の国際間波及など、統計の整備状況に応じてさまざまな実証研究が可能である。

    経常収支の構成についての分析:モノの貿易とそれ以外の取引形態とのバランスをとらえることも、とくに宗主国と植民地の関係を考えるうえで重要と思われる。



図1 国際収支統計の新旧発表形式


6.為替レート

(1)統計整備について

    為替レートの動きの把握:外貨取引形態と為替レート変動の関係を考えるうえで重要。

    為替政策、外貨管理:どの通貨がどのような範囲で流通していたのか、外貨管理はどのようになされていたのか、その他、重要なポイントが存在。


(2)実証研究のアイデア

    為替レートと価格の関係:金本位制あるいは管理通貨制の下での国際間の価格伝播も興味深い。

    取引通貨の分析:貨幣経済が発展途上地域に浸透していく中で、宗主国の通貨がどのような役割を果たしたのかも分かるとよい。




(きむら・ふくなり 慶応義塾大学経済学部教授)