日中共同作業の成果

「中華人民共和国GDP歴史統計:1952-1995」を刊行



久保庭 真彰




わたしたちのCOE形成プロジェクトの対象国には、世界最大の人口を有する中国と、世界最大の領土を持つロシア連邦(ロシア極東地域がその全体の1/3)とが含まれている。これら2つの「大国」の今後の帰趨が、21世紀におけるアジアの運命に決定的な作用を及ぼすことはほぼ間違いのないところであろう。両「大国」は、政治体制や成長テンポにおいて決定的に相違するが、計画経済から市場経済への移行プロセスにあるという限りにおいて共通面を有している。

市場経済への移行に対応して、計画経済向きの物的生産物体系(MPS)から市場経済向きの国民経済計算体系(SNA)への移行を精力的に推進させている点でも両国は共通している。しかし、1978年から改革・開放政策を取ってきた中華人民共和国の方が、1991年末に成立したロシア連邦よりSNAへの移行については当然のことながら先んじている。

ところが、時系列としてみると、中国の場合でもこれまで1978年以降しか国内総生産(GDP)や国内総支出(GDE)に関する公式統計が完備していなかったため、長期の中国経済分析を行う上で大きな支障があった(ロシアやウズベキスタン等の旧ソ連諸国はもっとひどく、1989年以降しか公式GDP時系列統計が整備されていない)。

一般に、途上国・移行国の政策当局や中央統計機関は、歴史統計作成の重要性を認めながらも、やはりどうしても近視眼的に現在の統計の改善・整備にのみ人材と資金を割く傾向がある。中国やロシアの場合も例外ではない。現在時点のSNA統計を改善していくだけでも大変な労力と資金がかかることも事実である。

COE形成プロジェクトでは、こうした時系列上の間隙を埋めるため、日中共同作業を行い、一年半という比較的短い時間でひとまず完結し、その推計結果を、中国国家統計局国民経済核算司と一橋大学経済研究所との共同編集のかたちで公表できる運びとなった(The Department of National Accounts of the SSBC and The Institute of Economic Research of Hitotsubashi University, The Historical National Accounts of the People's Republic of China, 1952-1995, September 1997, Tokyo)。以下、この日中共同事業の意義と問題点を記しておこう。


過去の統計も整備して時系列統計を完備したいが、現在の仕事は忙しいし、過去のことをやっても忙しくなるだけで報われることもないというのが、移行国の良心的な統計実務家の抱えているジレンマである(旧・現社会主義圏の実務家は、統計教育をきちんと受け、統計が本当に好きな人が多い)。移行国ではビジネスや金融に重点がおかれ、統計や歴史研究などは二の次、三の次になってしまい、実務家や研究者の待遇も良くないというのが相場でもある。

一方、わたしたち外国の研究者は、解放後中国の長期分析を確かなGDP統計にもとづいてやりたいのに、基礎データ段階でつまづいてしまうとか、実質成長率系列は数量統計によりなんとか推計可能だとしても、名目値GDP/GDE系列になると、データ不足のせいで単純なエコノメトリックス手法しか適用できないため根拠薄弱な推計しかできない、というジレンマをずっと抱えてきた。また、1978年以降の既存の中国GDP統計についても、まともな研究はほとんど行われてこなかったので、知識の集積が足りないという問題もあった。

中国側と日本側の抱えるジレンマの双方を同時解決するチャンスをもたらしたのが、われわれのCOE形成プロジェクトだといえるのではなかろうか。中国国家統計局国民経済核算司は、遡及GDP統計の必要性に関する外部の関心の高さを「外圧」として利用して、その作成実行許可について上部とその周囲の関係者たちを説得し、実務担当者も外部からの期待に刺激されて遡及統計作成という厄介な作業にやる気を感じるようになった。その結果、わたしたち日本側は、利用可能な原データを熟慮して推計方法を共同開発できたし、データの整合性もぎりぎりまで追求できるようになった。また、これまでMPSの枠内でもアクセス不能であった多くのデータも知ることができるようになった。さらに、1978年以降のデータ系列の改訂・改善もリアルタイムで討議できるようなった。

「わたしたち日本側チームが関与しなくとも、近い内に遡及GDP/GDE統計は中国国家統計局の方で作られ、公表されるのではないか」とか、「なにも相互乗り入れの研究に多額の科研費を使うことはなかったのではないか」などと、わたしたちの研究方式を疑問視する向きもあるかもしれない。しかし、「近い内」とはいつでも相対的問題であるし、GDPだけではなくGDEも推定するためには共同で知恵を絞る必要があった。さらに、遡及GDPの推計方式は一義的に規定された方法として定まっているわけではなく、この点でも国際交流の必然性はあったと確信している。このように、東京と北京での相互乗り入れの研究もインセンティブ効果は高い。

時期については、中国や旧ソ連各国の統計局内情を考慮すると、われわれや世銀などの関与がなければ、数年以内でも完成できなかったと思われる。しかも今回の共同事業では、GDP統計だけでなく、GDEについても名目値と実質値の時系列を作成することができた。中国側は、当初GDE(中国やロシア・旧ソ連では、「支出法GDP」と呼ばれることが多い)時系列、特にその実質値系列の作成に消極的であったが、生産・所得・支出間のデータの整合性を重視し、そして日本の長期統計作成の経験を重視するわたしたちの粘り強い説得により、GDE統計も共同作成することになったのである。

また移行国の遡及GDPは、従来の物的純生産(NMP)ないしは国民所得(中国語では国民収入)をベースにして行われるのが普通であるが、旧概念にαをプラスして、βをマイナスするという方式は一律ではないし、そのやり方にも生産法アプローチ、所得法アプローチ、支出法アプローチの三種類がある。また、実質値系列の遡及統計となると、作成方法も多様であり、作成の複雑さも増す。

今回の推計は、日本側の提案により、生産・支出両面への整合的アプローチを採用し、実質値系列の作成には必要な場合は物量指標を有効に活用するという基本方針にもとづいて進められた。この整合的アプローチにもとづき名目値・実質値系列を完璧に作成するということによって、ありうべき推計ミス・計算ミスの多くを回避することができたと思う。

実際、今年8月初めに一旦完成した遡及歴史統計は、整合性重視の日本側の再検討により推計ミスが発見され、8月から9月中旬までかけて全面的に修正されざるをえなかったのである。こうした修正は、日中共同作業でしか実現できなかった類のものだと断言できよう。

今回の共同作業は、中国の学術機関等との共同作業ではなく中国国家統計局との共同作業だったという点でも特色がある。ひな型としてわたしの念頭にあったのは、1995年にロシア国家統計委員会が世銀の協力をえて行ったGDP公式統計(1990-1995)の全面的修正作業と、慶応大学産業研究所・通産省産業研究所が中国国家統計局と共同で行った日中共通エネルギー・環境分析用産業連関表の作成事業である。また、筆者自身がロシアのSNA産業連関表作成のアドバイザーをつとめてきたという経験も念頭にあった。いずれも、データが秘匿されていた10年前には考えられなかったようなことである。

戦後統計については、中国の学術機関と共同研究しても、せいぜい既存の公表データか二次的・三次的資料に依拠して推計できるにすぎないので、できることなら、直接、中国国家統計局国民経済計算核算司と共同して公式統計それ自体を作成するのが最善だと考えた。また、ロシアや中国の最近の作業状況をみれば、そうしたことを行える統計環境も整っているというのがわたしたちの判断だった。実際、この考えは的と時宜を得たものだったということが、今回の共同推計作業結果によって実証されたといえよう。



移行経済ではすべてが急速に変化をとげている。統計をとりまく環境も例外ではないのである。旧来の考え方への固執や勝手な思いこみは日中双方の協力関係の発展の妨げになる。新しい事態を的確に見極め、前向きな共同推計作業体制を創造すること、これが今回の共同作業からえられた教訓でもある。

今回の共同作業結果はもとより完全無欠ではない。MPS統計をベースにしたため、単一の不変価格基準で推計を根本的にやり直すという作業は見送られた。したがって、鉱工業生産や国民所得は、52年、57年、70年、80年、90年価格系列を簡便法によりリンクさせるに止まった。また、支出系列の「マイナスβ」の推計にも改善の余地が多分にある。さらに、財務統計情報の公開も実現できなかった。

このように問題点は多岐にわたるが、今回の推計結果が中国経済の系統的分析に不可欠のデータを提供しえたこと、他の方法をとるよりはるかにベターな推計を与えている、という歴史的意義は何人も無視しえないと思う。多くの研究者によって、わたしたちの共同推計が利用され、検討と批判の対象になることを願っている。

(くぼにわ・まさあき 一橋大学経済研究所教授)