Kuznetsの夢の実現

「アジア長期経済統計データベース・プロジェクト」によせて


HarryT.Oshima



去る2月下旬に開かれた台湾についてのワークショップ(於一橋大学佐野書院、1997年2月27-28日、本プロジェクトの一環として開催された)は、私にとって大変興味深くまた刺激的もであった。本稿では、この「アジア長期経済統計データベース・プロジェクト」が前提とする考え方について、私の意見と多少の問題点を述べてみたい。



●本プロジェクトの意義は大きい

かつてサイモン・クズネッツ(Simon Kuznets)は、経済成長はほんの4、50年の過程で実現されるものではなく、長期的な現象としてとらえるべきであると指摘して、次のように述べた。

すなわち、第2次世界大戦後の経済の実績を、それ以前の半世紀あるいはもっと以前から生起した諸事象を識らずに理解することは困難である。

例えば、東アジアの成長率が来世紀まで持続するかどうかは、大戦前の時期のGDPやその他の経済的事実のデータを抜きにしては判断できない。第2次大戦以前の長期にわたる経済的実績の基礎には、どんな理由や条件があったのか。そしてそれらは、戦後の経済成長の要因や条件とどう違うのだろうか。これらの要因が戦後の制度、技術、資本形成、労働力などと関係があるとすれば、戦前との違いはどこにあるのだろうか。あるいは、戦前のフィリピンには相対的に高い成長の原因となるような政治的な諸勢力が存在していたのだろうか。戦後の南アジアにおける(東南アジアと比べて)比較的緩やかな成長の原因は、第2次大戦前南アジアの成長実績にあるといえるだろうか。中国における最近の急激な成長の原因は、戦前の経験のうちに求めることができるだろうか。

おそらく上記のようなことは、クズネッツが第2次大戦前諸国のGDP推計を計画し、その可能性を求めてインド、タイ、インドネシア、その他の国々を訪れたときに心に留めたことであったろう。しかしながら、彼はこれらの国では戦前推計の作成に携わる経済学者や統計学者を見出すことができず、結局自分の計画をあきらめざるをえなかった。そのかわりクズネッツは、アメリカの財団に、アジアにおいて社会科学者とりわけ経済学者を養成することを提案したのである。ロックフェラー財団はその勧告に応えて大学支援プログラム(University Development Program、UDP)を設立した。

このプログラム(UDP)はまず日本で活動を開始し、次第にフィリピン、タイ、インドネシア、そして後にはフォード財団を通じてインド、バングラデシュにも広められていった。

クズネッツは日本で、とくに一橋大学において優秀な経済学者と出会い、日本における長期経済統計を収集するプロジェクトを発足させた。その成果の一つは、全14巻からなる『長期経済統計』の刊行であり、もうひとつの成果は一橋大学が実証研究に関する専門研究者の中心として発展したことである。UDPやそれに類する諸活動は、アジア諸国でこの課題に取り組むための有能な経済学者の集団を育成してきたが、一橋大学はそのとき以来 「クズネッツの夢」を率先して実現したのである。もちろん、このような計画はほんの5か年程度で達成することは不可能に近いが、時間と資金を投資する十分な価値をもつものであろう。

以下では、本プロジェクトに関する私の意見をいくつかを述べてみよう。



(1)戦後10年間(1945−55年)の入念な研究をすべし

私は、川越俊彦教授が「農産物の長期経済統計の推計について」(本誌、No.4、January 1997)において、長期統計の主要な努力は戦前期のデータ収集にさかれるべきである、と述べられていることに賛成である。しかし戦後の10年間の時期に取り組むこともまた大変重要であると考える。というのは、この時期から得られる数値は、戦前に溯って推計するためのベンチマークとして役に立つと思われるからである。

私は、Economic Growth in Monsoon Asia(University of Tokyo Press,1987) の執筆中に、戦前の国民所得と関連データの推計を調べたが、そこで私が苦労して取り組まなければならなかったのは,戦前推計を算出するためのベンチマークとしての1950年代(ときには1960年代 )の推計の質の評価の問題であった。 Pierre van der Eng氏の論文(ピエール ヴァン デル エング「成長の計測――インドネシアにおける国民経済計算の発展――」本誌、No.4、January 1997)から判断するかぎり、1950年代(ないしは1960年代でさえも)の数値の信頼度は弱いように思える。これらの数値は、ほとんどの国にとって推計のためのデータベースがわずかしかないという理由で疑わしいのである。

また、人口センサスでさえも、不慣れな担当者によって調査が行われていることからくる多くの制約があった。国民所得の担当者についても、たいがいの国で同じような状況であった。私は、1959年の一橋大学滞在中に、(政府の)国民所得統計担当者にUNSNA(United Nations、 System of National Accounts)についての講義を依頼され、各項目についての詳細な説明を行ったことを思い出す。

したがって、もし1950年代(または1960年代)の推計を戦前期のベンチマークとして役立てるとすれば、戦後の早い時期における推計の質の検討が不可欠である。本プロジェクトでは、機会あるごとに、推計の方法や概念について改善のための詳細な情報を研究メンバーに対して提供していくことも必要であろう。

Van der Eng氏が指摘しているように、「インドネシアの国民勘定についての最近の発表は、めだって説明が少なく」なってきているとすれば、統計当局へインタヴューを行ったり、当局とコンタクトを持つような試みがなされるべきではないだろうか。さらに最近の推計がどのようにして作られているのかという情報を得るべきだろう。もし(私がひそかに感ずるごとく)、戦後のDGP成長率が過大に評価されているとすれば、戦前の成長の推計と戦後とを比較することは誤りを招くことになるかもしれないからである。

いくつかの国にとっては、データの不足を補うために、戦争直後のGDP推計に補正が必要となろう。例えば、台湾の戦後第1回の人口センサスは1956年に実施されているが、それまでの人口推計は戸籍調査もとづいていた。同様に、韓国の戦後第1回のセンサスは1949年に実施された。それ以前のセンサス(1944年)は南北両朝鮮で実施されているが、朝鮮戦争の結果、両国間に少なからぬ人口移動があったのだから、戦前の人口数を両地域間に分けるのは難しい。インドネシアでは、第二次世界大戦と独立戦争(1945−49年)のために、1940年または1950年のセンサスは実施されておらず、独立後第1回のセンサスは1961年に行われている。驚くべきことに、多くの国(タイ、フィリピン、マレーシア、シンガポール、スリランカ、そして中国)では、(1946か1947年、または1953か1955年のわずかの例外を除けば)、1950年または1951年にセンサスを行っていない。

さらに、ほとんどの国で、農業、商業、工業のセンサスは1950年代まで行われていない。この点で、アメリカの影響下にあったフィリピンが、1948年に農業、工業、商業のセンサス(あるいは調査)を行ったのは例外的なケースである。したがって、アジアのほとんどの国、とくに南アジア、東南アジアに関して、生産、賃金、物価等の統計資料の性質を吟味しなくてはならない。

アジアのモンスーン地帯では小規模経営による生産が圧倒的に多く,農業、工業、商業やその他のサーヴィス業の生産高や賃金についてのデータを得ることは困難である。農業では、主要作物は租税目的からデータを得ることができるが、それ以外の作物については不明である。私はこれらの問題について、"National Income Statistics of Underdeveloped Countries," Journal of the American Statistical Association,Vol.52,pp.162ff.(June 1957) and in Philippine Economic Journal,No.8,Second Semester,1965,Vol.IV,No.2,において議論したことがある。そこでの結論によれば、データの欠落から考えて、1950年代の工業セクターの産業別GDPは過少に推計されている可能性があるので、1950年代から60年代にかけての成長率は過大評価になっている。



(2)非経済要因にかかわるデータも集めるべし

「アジア長期経済統計データベース・プロジェクト」は、経済統計については十分カヴァーしているが、社会科学の他の関連領域の研究のためにセンサス情報を役立てることも考慮すべきであろう。例えば、戦前の地主、農業労働者、小作人、土地なし労働者,部族等に注目して、階級構造を分析することも可能であろう。教育の達成度や識字率などのような分野における変化も研究できるかもしれない。これらのデータは、さらに社会的、政治的な安定性のような問題の解明にも役立つに違いない。

戦前期にはサンプル調査が実施されなかったので、所得分配についての推計を期待することは無理かもしれない。それでも、大まかな分配の目安を示す基準を作る方法はあるにちがいない。例えば、歴史的ないくつかの分配に関するデータを得るために、本プロジェクトで下記のような変動係数を計算してみることを勧めたい。

@ 1人当たり所得高による産業の順位: 産業別1人当たり平均所得によって、あるいは従業者1人当たり産業別実質生産額の高さの順に各産業(例えば、農業、サーヴィス業、製造業,建設業、鉱業、行政、その他)を並べた後、時間を通じた平均(実質)所得の変動係数を算出する。

A 1人当たり所得高による地域の順位: 地域別1人当たり平均所得(各地域の全生産高/人口数)の高さの順に地域(province,state等)を並べ、上と同様に変動係数を算出する。

B 1人当たり所得高による職業の順位:平均所得(もっとも早い時期のデータ[おそらく1950年または1960年])の高さの順に職業(専門職、経営者、事務員、労務者、労働者等)を並べ、再び変動係数を算出する。

C 上記の変動係数の平均値を計算する。

あいにく、多くの国では、この計算のための戦前期のデータが得られるとは考えられない。しかし2、3の国についてだけでも計算することができれば、その意義は大きいだろう。



●台湾に関するワークショップについて

1997年2月に開催された「台湾の長期経済発展」のワークショップに言及して、この小論を締めくくることにしよう。

ワークショップでの提出論文に盛られたGDPや雇用に関する時系列データを使えば,マクロ経済に関する労働者1人当たりの生産性が算出できるはずである。これら生産性の数値は,戦前期における経済効率の向上の原因を探る参考になろう。もし、農業、工業、そしてサーヴィス部門の(産業別)生産性を推計できるなら、どこにその効率性改善の原因があるかが明らかになるだろう。もちろんこれらの推計には、「兼業」によによって生ずるいくつかの問題があるので(例えば、モンスーンの乾季には農民は非農業労働に雇用される)、データを調整する必要があろう。ワークショップでは製造業の構造変化に関する論文も提出されたが、その全体像を十分に捉えるためには、農業・工業・サーヴィス業相互間の構造変化についても分析することが重要である。

ついでながら、労働者1人当たり生産性のデータは、GDPや雇用推計の信頼度についてのおおまかな手がかりを与えるにちがいない。もし、長期間にわたって生産性の低下、または非常に高い生産性が得られた場合には、労働者1人当たり生産のデータの推計に問題があることを示唆しているといえよう。

さらに、資本形成に関する溝口敏行教授と寺崎康博教授の推計結果にもとづいて、1950年代資本ストックのデータを、戦前にまで逆向きに拡張してみることも可能になるだろう。 そうすれば、戦前の生産の効率性の基礎要因を探るだけではなく、限界はあるにせよ(AbramovitzやNelsonの指摘のように)、全要素生産性の試算ができよう。そして、その結果を戦後と比較することも可能になるだろう。

(East-West Center,Honolulu, Hawaii)